思い出のチョコレートエッグ

ライヒェル

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夕焼けの海

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小夏花音、27歳。
今日、もう何度目かわからないくらいのため息をつく。

「カノン、ため息ばっかりしていると老けるよ」
横でローション付パックを袋から取り出しながら、妹が横目で私を見る。
「わかってるよ。でも自然と出ちゃうんだからどうしようもないじゃない。ママみたいな説教、やめてくれる?」
イラッとしながら私はパックを始めた美妃から目を逸らし、窓の外を見た。
白い雲の海がずっと空の向こうまで広がり、遠くのほうはオレンジ色の太陽の光に染まっている。
私達はまもなく、オランダの国際空港、スキポールに到着する。

「全くもう、姉の突飛なお願いを聞いてあげた妹に対する態度じゃないわね。少しは殊勝な態度でいてくれないと、励ます気分にもならないよ。私、カノンの為に大事な有給休暇を5日も使ってあげてるんだよ。わかってんの?」
妹の情け容赦ない言葉に、ムカッとして振り返ったが、のっぺりしたパック貼付け顔を見ると言い返す気力もなくなって、はぁ、とまたため息が出てしまった。
美妃は、ぺたぺたをパックの顔を指で押さえながら、偉そうに小言を続ける。
「大体、発想が幼稚すぎる。彼氏にふられたからって、なにも彼の出発日に自分も国外に出るって、なんの意味があるのかしらね。彼は今頃、南米行きの機内、そして自分は欧州行きの機内……真逆の方向へ飛ぶ、って理解不能な発想よね」
「……あなたねー、私の年齢での失恋って、どんだけ応えるか理解出来る?23歳のひよっこに深い理解は期待はしてなかったけど、もう少し、思いやりのある言い方出来ないの?!」
カッとなって言い返すと、美妃は少し黙って、それからペリペリとパックをはがし始めた。
「さすが、機内は乾燥してるね。ひたひたに潤ってたパックシート、もう完全に乾いてる!カノンも1枚使う?」
「……なにげに今、話、逸らした?」
「27歳なんでしょ。失恋したんでしょ。心身も、お肌もぼろぼろなんでしょ?ハイ、パック!」
妹はベリッとパックの袋を破り、中からシートを出して私に差し出した。
「……ありがと」
ハァ、とまたため息が出た。
髪を後ろにひとつにまとめて、受け取ったパックを広げて、目を閉じて顔に張り付けた。窓からすきま風みたいな空気の動きがあるせいか、パックが若干冷たい気がする。

そう、私は失恋旅行に妹を無理矢理同行している。
25歳から付き合っていた彼が、南米のチリ駐在になってしまい、私は仕事を辞めてでもついて行きたかったのに、彼は「危険な場所にカノンを連れて行きたくない。それに、俺はまだ結婚するほど心の準備は出来ていない。3年間、帰国まで待っていてとは言えないから、別れよう。もし俺達が運命で繋がっているのなら、また巡り会うと信じている」なんて言って、別れを告げた。
駐在予定の3年間、日本で待つことさえ拒否されたという事実に、私はものすごく傷ついた。
27歳というとても微妙な年齢だし、これから3年後となると私は30歳。
彼が、30歳まで私を日本で待たせておくというのは、あまりに惨いと思ったからだろうというのは解る。
頭では解るが、だからといって納得出来るかと言えば違う。
あれよあれよと言ううちに、彼の出国日が近づいてくる。
私は彼が出国する日に、日本で泣いていたくなかった。
それで、慌てて海外傷心旅行を計画し、妹に無理矢理有給休暇を取らせて、彼の出国する日、しかも彼の乗る便よりも早い時間に出国した。
無茶苦茶な段取りだったけど、機上の人となって少しだけ気が紛れてきたので、この旅行を決めて良かったんだろうと思う。

「オランダかぁ……もうどれくらいぶりだっけ?」
美妃が、ガイドブックをパラパラとめくりながら言う。
「もう17年くらいかな?うわー、そう考えると私、年取ったなぁ……」
自分で答えておいて、どーんと落ち込む。17年って、すごい時間が経ったものだ。
「私はほとんど記憶にないんだよね。カノンは覚えているの?」
「そうだねー。断片的には覚えているかな。私は10歳だったでしょ。美妃は6歳。おじぃちゃんのお見舞いに行ったきりだもんね」
私達の父は、ベルギー人の祖父と、日本人の祖母から産まれたハーフ。当時、祖父母はオランダに住んでいて、祖父が入院した時にお見舞いに行ったのが17年前のことだ。あれからまもなく、祖父は亡くなってしまったが、都合でお葬式は父だけが行き、祖母はそれからも1人でオランダに住んでいるが、足腰も丈夫で元気なので、年に1、2回、日本へ遊びに来てくれる。そのせいか、私達が行くこともないままもう17年も経ってしまった。
今回、私の傷心旅行だということは祖母には告げていないが、私達孫姉妹が来るというのでとても喜んでいる様子だった。
「まぁ、カノンの失恋がなければ、こうやって二人で行く事もなかったことだし、おばぁちゃん孝行にもなるから、いわゆる一石二鳥ってやつ?」
「そういうことにしとこう」
私はあっと言う間にパリパリになったパックを剥がした。

機内アナウンスが流れる。もうすぐ着陸体勢に入るようだ。
「ねぇカノン、オランダ語、どう?」
美妃がハンドミラーを睨みながら、眉毛を描き足しつつ私に聞く。
「わかんないよ。いや、なんとなくわかる時もあるかもだけど、基本、オランダ人は英語大丈夫だから、オランダ語わからなくても平気でしょ」
「そうだよね。おばぁちゃんなんてさ、英語、オランダ語、ドイツ語も解るもんね。日本語入れて4カ国語!すごいよねー」
「私が思うに、英語とドイツ語を足して二で割ったらオランダ語って感じ?美妃は英語は大丈夫よね」
「やだー、何のプレッシャー?」
「だって英文科でしょ」
「会話はあまり自信ないなぁ……カノン、こういう時こそ、姉、の威厳を見せてね~」
「なんでまたそこだけ姉を強調するのっ」
美妃からハンドミラーを奪い、中に映る自分の顔を見た。
泣きはらしてシワシワになっていた肌は、機内の乾燥で相変わらず乾いているように見えるが、少しだけ血色が良くなった気がしないでもない。
「よしっ」
私はパチンをハンドミラーを閉じて気合いを入れた。
「海に行く!」
「はぁ?」
美妃が目を丸くして私を見た。
そう、オランダには美しい海がある。
どこまでもまっすぐな水平線と、真っ白な砂浜。山がない平地の国だから、どこまでもまっすぐな海岸線。
ずっと前、子供の時に遊びに行った砂浜。夕暮れのオレンジに染まる空になめらかな銀色の砂浜。そして静かな波音を立てる透き通る海。夏は日が長いから、夜遅くまでたくさんの人が海辺にいるはずだ。

「パパとママと、おばぁちゃんと一緒に行った海よ。砂浜に沢山のカフェやレストランがあって、私達はそこでパンケーキを食べたり、アイスを食べたり。砂浜でボール蹴って、波打ち際で水遊びをしたよ。初夏でまだ肌寒かったから、泳がなかったけど。全く覚えてない?」
「うーん……写真は見た記憶あるけど、はっきりとは覚えてないなぁ。カノンはよく覚えているの?」
「そうそう、遊んでいたら美妃が迷子になって、大騒ぎしたんだった」
「えっ、それって危なくない?溺れてたの、私?誘拐?」
真顔で焦る妹の様子がおかしくて、つい笑ってしまった。
「それがね、誰かの誕生日パーティに紛れ込んでたのよー」
「ええっ?!」
そう、誰かの誕生日パーティが砂浜で開かれていて、子供達が宝の地図を片手にスコップを持って砂浜をあっちこっち掘っていた。まだ6歳だった美妃は、ついつい気になって一緒に穴掘りを眺めていたのだ。
「パパと私が美妃を見つけて連れ帰ろうとしたら、参加者か主催者かわからないけど、誰かのママらしき人が、パーティは人数が多いほうが楽しいから、一緒にどうぞって言ってくれて」
「へぇー、親切!」
「で、私達も宝探しに飛び入り参加したの」
私は目を閉じて、その時のことを思い出そうとした。
「宝の箱が見つかって、それが結構、本物の海賊の宝の箱みたいに木製で飾りがついていて、立派だったなぁ。中には、お菓子とかおもちゃとかいろいろ入っていて……そう、珍しいチョコレートがあったんだった」
「チョコ?」
「アレ、多分手作りだと思うんだけど、チョコレートエッグみたいなのがあったの。当時は、チョコレートエッグなんてまだ珍しかったと思うんだよね」
「あぁ、タマゴの形をしたチョコ?なんかおもちゃとか入っているやつ」
「そうそう。それが、もともとの招待された子供の人数しか入ってなくて、美妃が欲しがってダダこねてねぇ……」
「えー、やだ、なんか恥ずかしい!」
美妃が肩をすくめた。
「そしたら、子供の1人が、チョコレートエッグをくれたの。確かなんか、その子の兄は今日来てないからとか言って、兄の分とその子の分、タマゴを2個」
そうだった。当時、ほとんどオランダ語も英語も理解出来なかったはずだが、子供同士は言語力に関係なく意思疎通は出来たようで、言っていることはなんとなく解ったんだった。
「優しい子じゃない!男の子?」
「そうそう、キッラキラの金髪だったのは覚えてるなぁ~」
「現地のオランダ人じゃない?今頃イケメンになってるんじゃないの?うわー、名前聞いとけばよかったのに」
突如テンションが上がる妹に呆れる。
「通りすがりの他人だし、なんたって私達10歳と6歳だったんだから、そんな発想あるはずないじゃない」
「そりゃそうだけど。で、タマゴの中身は?」
「えっとね、美妃のは私は覚えてない。美妃が口の周り、チョコで真っ黒にしてたのは覚えてるけど。私のチョコレートエッグの中身は、カプセルに入っていた3cmくらいの木製の守護天使。ほら、クリスマスツリーを飾る時に今も使っているやつの中にあるでしょ。おばぁちゃんが、ドイツの有名なギュンター・ライヒェル社のオーナメントだって言ってた」
「エンジェルのオーナメントはいくつもあるから、私にはどれかわからないなぁ」
「天使の底部分に、Sって刻印がついてるやつよ。まぁいちいち底なんて見ないから、美妃がわからないのも当然だと思う」
そんな話をしているうちに、KLMオランダ航空862便は、定刻通り15時にスキポール空港に着陸し、私達は17年ぶりにオランダ王国へ降り立ったのだった。

これが、私の想像を超えた冒険の幕開けとなるとは、その時は知るよしもなかった。
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