書庫『宛先のない手紙』

中村音音(なかむらねおん)

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凋落あれば繁栄あり。

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 どこまでも広がる宇宙みたいに、誰もが無限大だと信じて疑わなかったグローバル社会が急速に伸びしろを縮めている。限度に達し、手のひらを返したみたいに落ち込み始めた。まるでロケットが吐き出す息を吐き出し切って、宙の一点でいちど静止し、落下し始めるように、凋落は突然で激しかった。

 このフレキシブルで増殖しか知らないように思えたグローバル社会が、ある一定の大きさまで膨らむとそれ以上には大きくならずに収束し始める、そのことに気づいたのは、つい今しがただった。
 まだ大丈夫。そう信じて資金の大半を投資にまわし、取らぬ狸の皮算用にふけっていた。
 その間に魔の触手は、経済の神経を確実に蝕んでいたというのに。
 これじゃあ、アメリカのサブプライム住宅ローン危機の再現を自らの身で体現しているのと同じじゃないか。
 くそっ。

 株価の暴落は、いくら複数台のパソコンを駆動しても、処理しきるには扱い商品を広げ過ぎていた。
 手続きに手間取ったり、焦燥が指先を狂わせたりするたびに、現金が100万円単位で飛んでいく。
 ちくしょう。
 なんでこんな時期に限って、こんなことになるんだ。

 自国第一主義の政策を甘くとらえすぎていた。日米同盟はちょっとやそっとのことじゃ揺るがない。アメリカの自国第一主義だって、大国がそう声を挙げれば他国はアメリカのご機嫌をうかがうようになる。そうした戦略的意図があるからに違いないと踏んでいた。
 もちろん投資は賭けであることを心得てはいた。

 経営者は、実現可能性が70パーセントを担保できない新規事業に手を出してはいけないという鉄則を死守する。俺だって、3桁代の従業員を抱える経営者のはしくれだ。企業運営にも資本金を活用した運用を取り入れ、これまでもやってきた。
 認識もあるし経験もある。
 そこから導き出した勝算は75パーセントほどだったというのに。

 なぜこんな事態に陥ったのかの分析はあとまわしでよかった。
 とにかく早急に被害を最小限におさえこまなければならない。
 数秒で数百万円、数十秒で数千万円が消えていく。

 対処しながら、俺は消えていく金がどこにまわるのかを考えていた。
 証券会社は手数料ビジネスだから、どっちに転んでも薄利多売で利益を出すことはわかっている。空売りを仕掛けた奴らがまんまと莫大な利ザヤをもっていくことは明らかだった。

 俺はマネーゲームで負け犬になろうとしているのか?
 まさかかませ犬として扱われようとしているのではあるまいか?

 バブル期は恩恵に与れなかったことが幸いした。もしいい思いをしていたら、きっと溺れて失敗するまで手を引くことはなかっただろう。
 あれほど自分に言い聞かせてきたのに、戒めにもなんにもならなかった。

 処理はおよそ半分まで進んだくらいか。
 秒単位の損失は、まだまだ続く。
 だが、規模の大きなものから対応してきたから、残りの資産はおよそ5分の1。
 それでも全力でコトにあたらなければならない。

 試算では、資産は半減ではすまないはずだった。
 4分の1くらいに目減りするだろうか。
 そこまで落ち込めば、キャッシュ・フローにも少なからず影響が出てくる。
 倒産?
 銀行口座がいったん焦げ付けば、続けざまに買掛金が不足する。2度ショートすれば、会社法上、会社は倒産してしまう。
 そんな悪夢が脳裏をかすめ飛んでいく。


-------


「バベルの塔の先には、天国はなかったんだよ」

 秋の陽は季節以上の熱気を放っていた。
 俺は額の汗を日本手拭いで吸い取ってから、無農薬で育てたブドウをひと粒ちぎって、口の中に放り込んだ。
「おまえたちも食べてみるといい」

 子どもたちは半信半疑で、俺の顔を恨めしそうに凝視しながら生唾をごくんと呑み込んだ。
「遠慮しないで」
 いちばん小さい男の子が、おそるおそる「本当にいいの?」と訊いてきた。
 都会にいれば、幼稚園に入園できるかできないかくらいの年齢だろう。
「もちろん、いいとも。そのための農園だ」

 借金を返すメドはまだたってはいないけど、親のない子、見捨てられた子たちと過ごす田舎暮らしは、追われるもの、負うものがない分、ずっと気楽で幸せだ。

 今では30人を超える子たちが一緒に暮らすようになっている。

 それにしても、今どきの子どもたちは、どうしてこうもみんながみんな、口をそろえたみたいに礼儀正しくなっちまったんだと少し寂しい。
 彼らは中学を卒業するまでここで過ごすことになっている。中坊といえば、生意気ざかりもいいところだ。少なくとも俺がカギのころには。そう、中坊のころの俺は、こいつらと違ってもっとせっついていたんだよ。

 世の中が、突っ張ることを制御するようになっちまったんだろうと俺は考えている。
 牙を抜かれたというか、野心を持っていないというか、こんちくしょう魂を閉じ込めているというか。
 そりゃあ、人の顔見て石橋を叩いて渡る人生もあるさ。
 まわりにはそんなヤツもたくさんいた。
 無謀にもチャレンジするようなことをしなけりゃ、失敗もしないですむ。
 これからの時代に生きる子たちは、そっちのほうが幸せなのかもしれない。

 だけど、それでいいのか。

 これだけの大失態をさらしても、捨てる神ありゃあ拾う神ありだ。この俺を見てみろ。
 クラウド・ファンディングでこれだけの施設ができてしまうんだ。
 歯を喰いしばるときは歯ぐきから血が滲むほど根性入れなきゃなんないけど、得られた時の至福の爆発はみなぎる生命の躍動を手中にできる。
 こんな生き方、しようと思わねえのかなあ。
 思わないんだろうなあ、今の子たちは。

 それにしても、大口で資金提供してくれたファイナンス会社の社長さん、本当に太っ腹だ。感謝してもしきれねえ。
 本当にありがたいことだ。

 俺は子どもたちに、ことあるごとに自分のしくじり人生を聞かせてやることにしている。
 そして人として、救いの手を差し伸べること、差し伸べられることの大切さってやつを切々と説くことにしているのさ。
 社長さんへの感謝の意味を含めてな。

 さあて今夜はたまに豪勢にいくとしようか。鳥小屋で4羽ほどシメれば足りるかな。

 宙高くトンビがくるりと輪を描いていた。
 とびっきりの時間が今日もまたゆるりと流れていく。


-------


「社長、順調に消費者確保の数字は上がってきています。とくに孤児受け入れの施設、規模の割に入園率が高く好成績です」
「そうか、ご苦労。グローバル社会は崩壊したが、消費者が目減りしていっては我が社の業績に支障が出る。お金は、まわす循環を作り上げてなんぼの世界だ。その調子でよろしく頼むよ」
「はい。天からのまわりものでございますから」
 それまでにこやかだった社長の顔色がにわかに曇った。そしてひと言。
「いや、違う。勘違いするな。仕掛けてまわすものなんだよ」
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