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悪魔令嬢はその肩に、苛酷な印を背負っている 〜聖女など、おとぎ話だと思っていました〜
中編
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ルパート様はそれから、私に衣食住を与えてくれて、勉強も学ばせてくれた。
専門の家庭教師が教えてくれるけれど、ルパート様も暇を見つけては来てくれて、食事のマナーやダンスに作法も教えてくれる。
私は今までやったことのなかった勉強に夢中になった。
海外情勢を学び、私はいかに小さな世界で生きていたかを知った。文字を学び、知識を得て、立ち居振る舞いを習得し、〝人〟として生きる喜びとはこんなに素晴らしいものだったのかと震えた。
毎日ちゃんと出る食事には、ありったけの感謝をして、残さず美味しくいただいた。
最初はリゾットばかりだったけれど、一年経った今ではもう、お肉もお魚も食べられるようになった。
骨と皮だけだった私の体は、ハリと艶を得て生き生きとし始めた。
「アンジー!」
「ルパート様!」
ほんの少しの時間でも会いに来てくれるのが嬉しい。
ルパート様のお顔を見るだけで、私の心は羽根のように軽く舞い上がる。
「今日は二人で食事をとれそうだ。俺の部屋に用意してもらうから、後でおいで」
「はい、ありがとうございます!」
ルパート様はまだ仕事が残っているとすぐ出て行ってしまわれて、私はまた勉強に精を出した。
夕食の時間になり、一緒に食事をしようと、私はルパート様のお部屋に向かう。
「っち。どこの娘かもわからん女が、調子に乗りおって」
ビリッと背中に突き刺さる視線。この声は……いつも私を目の敵にしている、ルパート様の秘書官の補佐である、ボット様だ。
どうやら私がルパート様と仲良くさせてもらっているのが気に食わないみたい。
私は彼のことを無視して、ルパート様のお部屋に入る。
「待ってたよ、アンジー。遅くまで勉強ご苦労様」
「ルパート様も、本日のご公務お疲れ様でございました」
二人で微笑み合いながら、食事をとる……この瞬間が、最高に幸せ。
「アンジーがここに来て、一年が過ぎたな」
「……はい」
ルパート様の言葉に、私の胸はざわついた。
この幸せは長く続かないと、わかっていたから。
〝自分のために食事を摂り、しっかり勉強をするんだ。人らしく生きるために。一年の間だけは、その環境を俺が与える〟
私はその約束を思い出して、夢のような一年を振り返る。
たった一年だったけど、その間に私は……恋を知った。人として扱ってもらえる幸せを知った。
ここから離れたくなんかない。けど……これ以上、ルパート様にご迷惑はかけられない。
「家庭教師から、アンジーは優秀だと聞いている。普通なら何年もかかる勉強を、たった一年ですべて自分のものにしてしまったと。俺もそう思うよ」
「ありがとうございます。勉強をする環境を与えてくださった、ルパート様のおかげです」
「アンジーの努力の成果だ。よくがんばった」
褒められると嬉しくて、勝手に顔が綻んでしまう。
ルパート様が目を細めていて、胸は大暴れを始めているんじゃないかと思うくらいにドクドク鳴った。
「それで、今後のことなんだが」
今後のこと。私の鼓動は不安へと切り替えられる。一年という約束は、もう終わっている。
私はここを出て、働かなくてはいけない。そのために教養を身につけていたのだから。
ここを出れば、もう二度と……ルパート様と食事できることはないだろう。それどころか、お目もじすら叶わなくなる。
「……どうして泣いている? アンジー」
ルパート様に言われてハッと気がついた。私が涙を流していたことに。
「いえ……もう二度とお会いできないと思うと……申し訳ありません……」
「出て行くつもりか?」
「いえ、出て行きたくなどありません……! 私、ここを出ていけば、また一人ぼっちになってしまう……」
「じゃあここにいればいい」
「え?」
顔を上げると、ルパート様はにっこり笑っていた。
「これからはアンジーにも仕事をしてもらいたい」
「仕事……ですか」
「ああ。俺の秘書官の補佐の補佐……まぁ雑用のようなものにはなってしまうが、それでもよければアンジーを雇いたい。今まで通り、ここに住んでくれても問題ない」
まさかの提案だった。仕事を与えてくれる上に、ここを出なくてもいい。
最高の条件に、私は「ぜひよろしくお願いします」と頭を下げた。
ルパート様の秘書官はスウィフト様という方で、その補佐をしているのがボット様だ。
私はそのボット様の下で仕事をさせてもらうことになったのだけど。
「ボット様、この書類はこちらにまとめておいた方がよろしいのでは。なぜこのようなやり方をするのですか?」
「うるさい、こうするのが慣例なんだ! お前は黙って言われたことをやっていればいい!」
頭ごなしにダメだと言われる毎日。
どう考えてもやり方が非効率で、無意味な労働も多いように感じてしまう。
スウィフト様にお尋ねしたくても、「余計なことをするな」とボット様に邪魔されて、話しかけることさえ許されない。
私が現状に不満を募らせていると、ルパート様が「仕事はどうだ」と聞いてくださったから、すべてありのままに話した。
ルパート様は私の提案を喜んでくれて、今後はそのようにするようにとボット様に伝えてくれた。
私は直接スウィフト様と話せるようになり、あれこれ改善点を提案する。半年もするとスウィフト様の信頼を得て、私の方を秘書官補佐、そしてボット様を私の補佐へと、立場を逆転させた。
「はは、とうとうやったな、アンジー! いつかこうなるとは思っていた!」
今でも私はルパート様と、たまにだけど一緒に食事をする。
その席で、ルパート様は痛快だとでも言うように笑っていた。
「こうなるとわかっていたのですか?」
「まぁわかっていたというよりは、そうなってほしいという願望だった。ボットは父上の恩人の息子なのだが、俺もスウィフトも手を焼いていてな。アンジーの有能さを俺とスウィフトで陛下に説いたんだ。ボットをクビにはできなかったが、それでもアンジーが上になってくれてほっとしたよ」
「そうだったのですか」
たしかにボット様は自分の思うようにやりたい放題だった。
義理がたい陛下が、恩もあって仕方なく雇い入れたんだろうけれど。王家のしがらみって、色々大変なのかもしれない。
そう考えていると、ルパート様は急に真顔になった。
「すまない、アンジー。君を利用するみたいになってしまった」
その言葉に、私は思わず微笑んでしまう。
利用だなんて瑣末なこと。私を信じてくれたからこそなのだから、嬉しくてたまらないくらい。
「いいえ、これくらいなんともありません。私、ルパート様のお役に立てて光栄です」
「そうか、ありがとう……でもこれからもボットはいる。困ったことがあったら、すぐ俺に相談してくれ」
「ありがとうございます、ルパート様」
私のことを考えてくれているのがわかる。大切にしてくれているのがわかる。
だからこそ、私もルパート様のためになんだってしたい。なんだって──
それからの私は仕事に邁進した。スウィフト様が大切な仕事を回してくれることもあって、やりがいは十分に感じている。
ボット様は毎日のように嫌味を言ってくるけれど、その程度じゃ私はビクともしない。もっと抉られるような言葉や暴力を受けてきた私には、耐性ができていた。
でもそんなある日、私は今まで受けたことのないダメージを心に受けることになる。
「今度、俺は婚約することになった」
婚約。
ルパート様の言葉に、私は身体中を引きむしられる以上の痛みを感じた。
いつかはこんな日が来るんじゃないかって、わかっていたけれど……。
だってルパート様は私より二つ年上の十九歳。今まで婚約者がいなかったのが不思議なくらいだったもの。
「おめでとうございます……お相手をお伺いしても……?」
「ワナメイカー侯爵家の、へスター嬢だ」
「ああ……おきれいな方ですよね」
「知っているのか?」
私はその問いには答えず、にっこりと微笑みを見せた。
知っているもなにも……私は彼女の美しさに、ずっと憧れていたから。
「これからはその令嬢との時間をとらなければいけなくなった。残念だが、アンジーとは……」
「わかっています。今までたくさん私に時間を割いてくださってありがとうございました。どうぞこれからは、そのご令嬢と仲良くお過ごしください」
「……すまない」
私は唇を噛んで、自分の涙に泣くなと言い聞かせる。
でも……ルパート様も唇を噛んでいるように見えるのは、どうしてだろう。
それからはルパート様と会う回数がグッと減った。
仕事上で顔を合わせるくらいで、プライベートの時間に会うことはなくなった。
そのかわり、ルパート様のご公務がスムーズに行くように、仕事を頑張った。私にできることは、もうこれしかなかったから。
「アンジーちゃんの仕事は早くて正確だし、助かるよ。僕が引退したら、次の秘書官はアンジーちゃんだね」
スウィフト様がそう言って笑っている。
そんな風に評価をもらえることが、私の今の生きがいだ。
背中にボット様の突き刺さるような視線を感じたけど、気にせずに仕事を続けていた。
ルパート様とへスターは逢瀬を重ねているようで、ご公務が終わると護衛騎士と共にいつも王宮を出ていく。
みんな帰っていなくなった秘書専用の執務室で、醜い嫉妬の炎が私の心の中に渦巻いた。
へスターと婚約して半年が経っても、私の中でいつも同じ疑問が舞っては消えていく。
どうして私じゃなかったんだろう。
暇を見つけては、へスターのところに通うルパート様。
相手が私であっても、おかしくはなかった。
だって私は、ワナメイカー侯爵家の長女だったんだから!!
ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
わかってる、すべての原因はこれのせい。
私は一人、服を滑らせて左肩を睨みつけた。
この気味の悪い魔法陣のような痣のせいで、私の人生は全部狂ってしまった。
ようやく人並みの幸せを手に入れているとは思う。でも、それだけじゃ足らないと感じてしまうのはいけないことだろうか。
へスターが羨ましい。
お父様とお母様の愛情を一身に受けた上、ルパート様の愛までも……。
「へスター……」
悔しかった。
私はへスターに憧れていたけれど、彼女は私をゴミクズ同然にしか見ていないことを知っていたから。
明るくて華やかで、美しくてすべてを手に入れられる妹。
醜い私を見ては、甲高い声で笑っていた妹……。
「憎い……っ!」
ドス黒い感情が渦巻いて、私の意志とは関係なくそんな言葉が溢れ出す。
左肩が熱い……苦しい……っ
「うわぁああ!? なんだ、お前の肩は……!!」
後ろからの声に驚いて、私は慌てて振り向く。
そこには帰ったはずのボット様がいて、私は言葉を失った。
気をつけていたというのに、肩の痣を見られてしまった。
でも、いつもの痣じゃない。赤黒く光ってる……うそ……!
「お前、あ、あ、悪魔だったんだな!!」
「誰にも言わないでください!!」
「や、やめろ、近寄るな!! この化け物め!!」
どうしよう、知られてしまった……
このままじゃ、ルパート様にご迷惑をかけてしまう!
「ボット様、どうかこのことはご内密にお願いします……! どうか……なんでもしますので!!」
「な、なんでも……だとう?」
私の言葉を聞いていくらか平静を取り戻したのか、ボット様は少し考えたあとニヤッと笑った。
「じゃあ、死ね」
「……え?」
いきなりの乱暴すぎる発言。死ねって……何度も言われてきた言葉だけど、王宮に来てからは一度もなかった。
「そ、んな……それは……」
「できないのか?」
「だって、死ぬだなんて! いやです! 私は……」
生きたい。
だって、生きる喜びを知ったから。
労働の楽しさを知ったから。
──そして、人を愛する幸せを知ったから。
たとえ叶わぬ恋だとしても、それらを放棄して死にたくなんてない。
「だったら、陛下や王子殿下に報告するしかないな。この女は悪魔だったと。どっちにしろお前は捕らえられて殺される。王子殿下がお前をこの王宮内に連れてきたということは、第二王子を呪い殺す算段だったんだろう? ああ、それとも陛下の方か?」
私は顔から血の気が引いていくのがわかった。
ルパート様に人を呪うつもりがなかったことは、誰より私がよくわかってる。
だってルパート様は、私が悪魔の刻印を持っているなんて知らなかったんだもの。
でも実際に私を連れてきた時点でそう思われても仕方のない状況なのは間違いない。
私のせいで、ルパート様が疑われてしまう……今までずっと、王となるべく頑張ってきたルパート様の未来が……閉ざされてしまう……!!
「わ、私が死ねば……このことは黙っていてくれるんですね……?」
「ああ、別に俺はお前がいなくなればいいだけだからな」
ボット様にとっては、どっちに転んでも私が死ぬからかまわないのだろう。
ある意味、見られたのがボット様で良かったのかもしれない。忠義に厚いスウィフト様だったなら、私がどう頼んでも報告されていただろうから。
「わかりました……では……死にます」
「はは! 見届けてやるよ!」
いつの間にか肩の痛みと赤黒い光は消えていた。いつもの痣に戻っていた。
専門の家庭教師が教えてくれるけれど、ルパート様も暇を見つけては来てくれて、食事のマナーやダンスに作法も教えてくれる。
私は今までやったことのなかった勉強に夢中になった。
海外情勢を学び、私はいかに小さな世界で生きていたかを知った。文字を学び、知識を得て、立ち居振る舞いを習得し、〝人〟として生きる喜びとはこんなに素晴らしいものだったのかと震えた。
毎日ちゃんと出る食事には、ありったけの感謝をして、残さず美味しくいただいた。
最初はリゾットばかりだったけれど、一年経った今ではもう、お肉もお魚も食べられるようになった。
骨と皮だけだった私の体は、ハリと艶を得て生き生きとし始めた。
「アンジー!」
「ルパート様!」
ほんの少しの時間でも会いに来てくれるのが嬉しい。
ルパート様のお顔を見るだけで、私の心は羽根のように軽く舞い上がる。
「今日は二人で食事をとれそうだ。俺の部屋に用意してもらうから、後でおいで」
「はい、ありがとうございます!」
ルパート様はまだ仕事が残っているとすぐ出て行ってしまわれて、私はまた勉強に精を出した。
夕食の時間になり、一緒に食事をしようと、私はルパート様のお部屋に向かう。
「っち。どこの娘かもわからん女が、調子に乗りおって」
ビリッと背中に突き刺さる視線。この声は……いつも私を目の敵にしている、ルパート様の秘書官の補佐である、ボット様だ。
どうやら私がルパート様と仲良くさせてもらっているのが気に食わないみたい。
私は彼のことを無視して、ルパート様のお部屋に入る。
「待ってたよ、アンジー。遅くまで勉強ご苦労様」
「ルパート様も、本日のご公務お疲れ様でございました」
二人で微笑み合いながら、食事をとる……この瞬間が、最高に幸せ。
「アンジーがここに来て、一年が過ぎたな」
「……はい」
ルパート様の言葉に、私の胸はざわついた。
この幸せは長く続かないと、わかっていたから。
〝自分のために食事を摂り、しっかり勉強をするんだ。人らしく生きるために。一年の間だけは、その環境を俺が与える〟
私はその約束を思い出して、夢のような一年を振り返る。
たった一年だったけど、その間に私は……恋を知った。人として扱ってもらえる幸せを知った。
ここから離れたくなんかない。けど……これ以上、ルパート様にご迷惑はかけられない。
「家庭教師から、アンジーは優秀だと聞いている。普通なら何年もかかる勉強を、たった一年ですべて自分のものにしてしまったと。俺もそう思うよ」
「ありがとうございます。勉強をする環境を与えてくださった、ルパート様のおかげです」
「アンジーの努力の成果だ。よくがんばった」
褒められると嬉しくて、勝手に顔が綻んでしまう。
ルパート様が目を細めていて、胸は大暴れを始めているんじゃないかと思うくらいにドクドク鳴った。
「それで、今後のことなんだが」
今後のこと。私の鼓動は不安へと切り替えられる。一年という約束は、もう終わっている。
私はここを出て、働かなくてはいけない。そのために教養を身につけていたのだから。
ここを出れば、もう二度と……ルパート様と食事できることはないだろう。それどころか、お目もじすら叶わなくなる。
「……どうして泣いている? アンジー」
ルパート様に言われてハッと気がついた。私が涙を流していたことに。
「いえ……もう二度とお会いできないと思うと……申し訳ありません……」
「出て行くつもりか?」
「いえ、出て行きたくなどありません……! 私、ここを出ていけば、また一人ぼっちになってしまう……」
「じゃあここにいればいい」
「え?」
顔を上げると、ルパート様はにっこり笑っていた。
「これからはアンジーにも仕事をしてもらいたい」
「仕事……ですか」
「ああ。俺の秘書官の補佐の補佐……まぁ雑用のようなものにはなってしまうが、それでもよければアンジーを雇いたい。今まで通り、ここに住んでくれても問題ない」
まさかの提案だった。仕事を与えてくれる上に、ここを出なくてもいい。
最高の条件に、私は「ぜひよろしくお願いします」と頭を下げた。
ルパート様の秘書官はスウィフト様という方で、その補佐をしているのがボット様だ。
私はそのボット様の下で仕事をさせてもらうことになったのだけど。
「ボット様、この書類はこちらにまとめておいた方がよろしいのでは。なぜこのようなやり方をするのですか?」
「うるさい、こうするのが慣例なんだ! お前は黙って言われたことをやっていればいい!」
頭ごなしにダメだと言われる毎日。
どう考えてもやり方が非効率で、無意味な労働も多いように感じてしまう。
スウィフト様にお尋ねしたくても、「余計なことをするな」とボット様に邪魔されて、話しかけることさえ許されない。
私が現状に不満を募らせていると、ルパート様が「仕事はどうだ」と聞いてくださったから、すべてありのままに話した。
ルパート様は私の提案を喜んでくれて、今後はそのようにするようにとボット様に伝えてくれた。
私は直接スウィフト様と話せるようになり、あれこれ改善点を提案する。半年もするとスウィフト様の信頼を得て、私の方を秘書官補佐、そしてボット様を私の補佐へと、立場を逆転させた。
「はは、とうとうやったな、アンジー! いつかこうなるとは思っていた!」
今でも私はルパート様と、たまにだけど一緒に食事をする。
その席で、ルパート様は痛快だとでも言うように笑っていた。
「こうなるとわかっていたのですか?」
「まぁわかっていたというよりは、そうなってほしいという願望だった。ボットは父上の恩人の息子なのだが、俺もスウィフトも手を焼いていてな。アンジーの有能さを俺とスウィフトで陛下に説いたんだ。ボットをクビにはできなかったが、それでもアンジーが上になってくれてほっとしたよ」
「そうだったのですか」
たしかにボット様は自分の思うようにやりたい放題だった。
義理がたい陛下が、恩もあって仕方なく雇い入れたんだろうけれど。王家のしがらみって、色々大変なのかもしれない。
そう考えていると、ルパート様は急に真顔になった。
「すまない、アンジー。君を利用するみたいになってしまった」
その言葉に、私は思わず微笑んでしまう。
利用だなんて瑣末なこと。私を信じてくれたからこそなのだから、嬉しくてたまらないくらい。
「いいえ、これくらいなんともありません。私、ルパート様のお役に立てて光栄です」
「そうか、ありがとう……でもこれからもボットはいる。困ったことがあったら、すぐ俺に相談してくれ」
「ありがとうございます、ルパート様」
私のことを考えてくれているのがわかる。大切にしてくれているのがわかる。
だからこそ、私もルパート様のためになんだってしたい。なんだって──
それからの私は仕事に邁進した。スウィフト様が大切な仕事を回してくれることもあって、やりがいは十分に感じている。
ボット様は毎日のように嫌味を言ってくるけれど、その程度じゃ私はビクともしない。もっと抉られるような言葉や暴力を受けてきた私には、耐性ができていた。
でもそんなある日、私は今まで受けたことのないダメージを心に受けることになる。
「今度、俺は婚約することになった」
婚約。
ルパート様の言葉に、私は身体中を引きむしられる以上の痛みを感じた。
いつかはこんな日が来るんじゃないかって、わかっていたけれど……。
だってルパート様は私より二つ年上の十九歳。今まで婚約者がいなかったのが不思議なくらいだったもの。
「おめでとうございます……お相手をお伺いしても……?」
「ワナメイカー侯爵家の、へスター嬢だ」
「ああ……おきれいな方ですよね」
「知っているのか?」
私はその問いには答えず、にっこりと微笑みを見せた。
知っているもなにも……私は彼女の美しさに、ずっと憧れていたから。
「これからはその令嬢との時間をとらなければいけなくなった。残念だが、アンジーとは……」
「わかっています。今までたくさん私に時間を割いてくださってありがとうございました。どうぞこれからは、そのご令嬢と仲良くお過ごしください」
「……すまない」
私は唇を噛んで、自分の涙に泣くなと言い聞かせる。
でも……ルパート様も唇を噛んでいるように見えるのは、どうしてだろう。
それからはルパート様と会う回数がグッと減った。
仕事上で顔を合わせるくらいで、プライベートの時間に会うことはなくなった。
そのかわり、ルパート様のご公務がスムーズに行くように、仕事を頑張った。私にできることは、もうこれしかなかったから。
「アンジーちゃんの仕事は早くて正確だし、助かるよ。僕が引退したら、次の秘書官はアンジーちゃんだね」
スウィフト様がそう言って笑っている。
そんな風に評価をもらえることが、私の今の生きがいだ。
背中にボット様の突き刺さるような視線を感じたけど、気にせずに仕事を続けていた。
ルパート様とへスターは逢瀬を重ねているようで、ご公務が終わると護衛騎士と共にいつも王宮を出ていく。
みんな帰っていなくなった秘書専用の執務室で、醜い嫉妬の炎が私の心の中に渦巻いた。
へスターと婚約して半年が経っても、私の中でいつも同じ疑問が舞っては消えていく。
どうして私じゃなかったんだろう。
暇を見つけては、へスターのところに通うルパート様。
相手が私であっても、おかしくはなかった。
だって私は、ワナメイカー侯爵家の長女だったんだから!!
ぽろりと涙がこぼれ落ちる。
わかってる、すべての原因はこれのせい。
私は一人、服を滑らせて左肩を睨みつけた。
この気味の悪い魔法陣のような痣のせいで、私の人生は全部狂ってしまった。
ようやく人並みの幸せを手に入れているとは思う。でも、それだけじゃ足らないと感じてしまうのはいけないことだろうか。
へスターが羨ましい。
お父様とお母様の愛情を一身に受けた上、ルパート様の愛までも……。
「へスター……」
悔しかった。
私はへスターに憧れていたけれど、彼女は私をゴミクズ同然にしか見ていないことを知っていたから。
明るくて華やかで、美しくてすべてを手に入れられる妹。
醜い私を見ては、甲高い声で笑っていた妹……。
「憎い……っ!」
ドス黒い感情が渦巻いて、私の意志とは関係なくそんな言葉が溢れ出す。
左肩が熱い……苦しい……っ
「うわぁああ!? なんだ、お前の肩は……!!」
後ろからの声に驚いて、私は慌てて振り向く。
そこには帰ったはずのボット様がいて、私は言葉を失った。
気をつけていたというのに、肩の痣を見られてしまった。
でも、いつもの痣じゃない。赤黒く光ってる……うそ……!
「お前、あ、あ、悪魔だったんだな!!」
「誰にも言わないでください!!」
「や、やめろ、近寄るな!! この化け物め!!」
どうしよう、知られてしまった……
このままじゃ、ルパート様にご迷惑をかけてしまう!
「ボット様、どうかこのことはご内密にお願いします……! どうか……なんでもしますので!!」
「な、なんでも……だとう?」
私の言葉を聞いていくらか平静を取り戻したのか、ボット様は少し考えたあとニヤッと笑った。
「じゃあ、死ね」
「……え?」
いきなりの乱暴すぎる発言。死ねって……何度も言われてきた言葉だけど、王宮に来てからは一度もなかった。
「そ、んな……それは……」
「できないのか?」
「だって、死ぬだなんて! いやです! 私は……」
生きたい。
だって、生きる喜びを知ったから。
労働の楽しさを知ったから。
──そして、人を愛する幸せを知ったから。
たとえ叶わぬ恋だとしても、それらを放棄して死にたくなんてない。
「だったら、陛下や王子殿下に報告するしかないな。この女は悪魔だったと。どっちにしろお前は捕らえられて殺される。王子殿下がお前をこの王宮内に連れてきたということは、第二王子を呪い殺す算段だったんだろう? ああ、それとも陛下の方か?」
私は顔から血の気が引いていくのがわかった。
ルパート様に人を呪うつもりがなかったことは、誰より私がよくわかってる。
だってルパート様は、私が悪魔の刻印を持っているなんて知らなかったんだもの。
でも実際に私を連れてきた時点でそう思われても仕方のない状況なのは間違いない。
私のせいで、ルパート様が疑われてしまう……今までずっと、王となるべく頑張ってきたルパート様の未来が……閉ざされてしまう……!!
「わ、私が死ねば……このことは黙っていてくれるんですね……?」
「ああ、別に俺はお前がいなくなればいいだけだからな」
ボット様にとっては、どっちに転んでも私が死ぬからかまわないのだろう。
ある意味、見られたのがボット様で良かったのかもしれない。忠義に厚いスウィフト様だったなら、私がどう頼んでも報告されていただろうから。
「わかりました……では……死にます」
「はは! 見届けてやるよ!」
いつの間にか肩の痛みと赤黒い光は消えていた。いつもの痣に戻っていた。
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幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、
いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。
そして――年末の舞踏会の夜。
「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」
エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、
王国の均衡は揺らぎ始める。
誇りを捨てず、誠実を貫く娘。
政の闇に挑む父。
陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。
そして――再び立ち上がる若き王女。
――沈黙は逃げではなく、力の証。
公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。
――荘厳で静謐な政略ロマンス。
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