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慎ましさで国が守れるなら、どれほど楽なことでしょう?
03.二人の決意
しおりを挟むある日の夕刻。リヴィアが執務室で報告書をまとめていると、エドワールがふいに入ってきた。
「働きすぎだな、リヴィア」
「まだ終わっておりませんのに?」
この国をより良くするための改革に終わりはない。
民の不満をすべて解消し、誰もが不自由なく暮らせる世を築くことは、容易なことではないのだ。一生の課題である。
エドワールが微笑を浮かべて近くにやってきたので、リヴィアは手を止めて彼を見上げた。
「君がこの国を良くしようと動いているのはわかっている。だが、王太子妃が倒れてしまっては困る」
「候補、でございますわ」
リヴィアはまだ、王太子候補のままだった。
〝慎ましやか〟とは程遠い、辣腕の持ち主。
リヴィアを認める者も多くなってはいるが、いまだに王太子妃として正式に受け入れることに難色を示す者もいた。
貴族社会に根付く古い価値観が、慎ましやかな伴侶を理想とする中で、彼女の実力と行動力は異端と見なされがちだったのだ。
「今日は俺に付き合え」
「……つまり、気分転換に誘ってくださるのですか?」
「そういうことだ」
エドワールの優しさにリヴィアは微笑んで、そっと椅子から立ち上がった。
「ならば、お言葉に甘えますわ」
エドワールはリヴィアを連れ出し、王宮の庭園へと向かう。
満月が輝く、美しい夜だ。
噴水の水音が静かに響く中、エドワールはリヴィアの手を取り、そっと腰に手を回す。
「音楽がなくても、踊れるか?」
「王太子殿下がリードしてくださるなら」
「なら、任せろ」
月明かりの下、二人は静かに踊り始めた。
リヴィアの足が軽やかに宙を舞い、エドワールの腕の中で優雅に回る。
「……君は、俺の人生を変えたな」
「そうですか?」
「この国の未来を語る会話が、こんなにも楽しくなるとは思わなかった」
エドワールは王太子ではあるが、国王である父親はここ数年伏せている。実質、エドワールが王のようなものだった。
その重圧を軽減させたのは、リヴィアの存在で間違いない。こんなにも楽しく改革を進められるとは、エドワール自身思ってもいなかったのだ。
エドワールの手が、優しくリヴィアの腰を引き寄せる。
「君は、どうだ?」
「……わたくしは」
リヴィアは一瞬だけ彼の瞳を見つめ。そしてふっと微笑む。
「……わたくしも楽しいのです。ずっと、こうしていたいと思うくらいには」
リヴィアの囁くような声に、エドワールの唇がわずかに弧を描く。
「ならば、そうしよう」
低く響く声が、甘やかな余韻を帯びる。
リヴィアは思わず笑ってしまった。
「まるで簡単なことのようにおっしゃいますのね」
「君となら、不可能なことなどない」
エドワールの言葉に、リヴィアの胸の奥は温かくなる。
エドワールと顔を見合わせるたび。言葉を交わすたび。
リヴィアの心臓の音は、どんどんうるさくなっていく。
最初は恋などではなかった。
ただ、この国のために尽力できるのは自分しかいないと、リヴィアは信じていた。
国をより良くするためには、王太子妃が単なる飾りではいけないと強く感じていたためだ。慎ましやかなだけでは、決して国を動かすことはできないと。
役割を果たすために必要な強さと覚悟が、リヴィアにはあった。
国のためなら、好きでもない相手と結婚することですら、辞さないと。
だが、エドワールとの日々を重ねるうちに、次第に心が揺れ始める。
彼の言葉、行動、そしてその真摯な姿勢に触れるたびに、リヴィアの心にはかすかな変化が訪れていた。
それは、政治家としての王太子を尊敬する気持ちを超え。次第に一人の男性として、強く惹かれていった。
改革に奔走する日々の中、こうして穏やかな時間を過ごせることが、今はただ嬉しかった。
この先も彼とともに、この国の未来を語り続けていきたい。
王太子妃候補ではなく、真の王太子妃として。
リヴィアは静かに、そう願うのだった。
ある日、貴族たちは王宮の広間に集められていた。
大広間の豪華なシャンデリアが光を反射し、貴族たちの装飾品が煌びやかに輝く。その場に集まった者たちは一様に緊張した面持ちで、しばしの静寂が広がっていた。
今日は王太子エドワール・ディアグランツが、公に発表する重要な議題があるとあらかじめ告知されている。
誰もが彼の登場を待ちわびていた。
リヴィアも貴族たちに混じって、一体今日はなんの議題だろうかと居住まいを正している。
これだけの人数を集めるとは、ただ事ではない話だと見当はついた。
そのエドワールが、広間の奥から静かに歩み出る。足取りに迷いなどない。
王宮内の空気が引き締まり、貴族たちの視線を一斉に集めた。
瞳の奥に、決して揺らぐことのない強い意志を持ったそのエドワールが、ゆっくりと口を開く。
「皆の者、ここに宣言する」
声が広間に響き渡り、すべての目が彼に釘付けになる。
「俺がこの国を治めるために、共に歩むべき相手として、リヴィアを選ぶ」
一瞬、広間の空気が凍りついた。王太子が王太子妃候補を発表するのは、常に厳重な儀式を要するものだ。
しかし誰よりも驚いたのは、リヴィアだった。
もちろん、王太子妃になるためにずっと頑張っていたのだが、急な話だったのは間違いない。
今まで、どんな政策でも、貴族への説得を十分にしてきたエドワールである。
しかし王太子妃は自分の意思で決めるとばかりに、貴族の承諾も得ず宣言したのだ。リヴィアが驚かないわけがなかった。
エドワールの声は断固としていて、揺るぎない決意を周囲に与えている。
「彼女は単なる王太子妃の役目に留まる者ではない。この国を共に治め、未来を切り拓くパートナーとして、俺の傍に立つ者だ」
リヴィアは息を呑んだ。貴族たちの驚きの視線が集中する中、リヴィアの心は高揚した。
その言葉には、力強さと温かさが込められている。胸が熱くならないはずはなかった。
エドワールはリヴィアに目を向けると颯爽と歩み寄り、周りの貴族が道を開けように下がった。
目の前に現れたエドワールに、リヴィアは凛と彼を見上げる。
「リヴィア、君は俺の信じる力だ。君がいなければ、この国を真に良くすることはできない」
その言葉に、リヴィアの胸が高鳴った。エドワールが信じてくれている。その言葉だけで、胸の中に積もっていた思いが一気に溢れ出しそうになった。
しかし、リヴィアは冷静を保つ。王太子妃候補として、自分の役目を果たすためには、この瞬間だけは揺らいではならない。
リヴィアは一歩前に出て、堂々とエドワールを見上げた。
「エドワール様、わたくしもあなたの考えに共鳴いたします。この国をより良くするため、わたくしはあなたを全力で支えますわ」
リヴィアの宣言に、エドワールの瞳がわずかに揺れる。そして彼は静かに笑った。
「君がそう言ってくれるなら、俺も心強い限りだ」
周囲の貴族たちが動揺する中、リヴィアはさらに言葉を続ける。
「あなたの隣に立ち、共に国を治め、民を守る者として選ばれたことを誇りに思います。わたくしはただの慎ましやかな王太子妃になるつもりは毛頭ございません。この国の未来を築くために、力を尽くしたいと思っておりますわ」
挑戦的なリヴィアの涼やかな微笑みと宣言に、エドワールはふっと口の端を上げる。
「君が隣にいる以上、俺も気を抜けないな。ならば、その手、しっかりと取らせてもらおう」
言葉通りにエドワールはリヴィアの手を取り。
そしてその甲にゆっくりと口づける。
リヴィアはそれを当然のように受け入れながらも、耳の熱さを隠そうと必死になっていた。
広間を満たしていた静寂が、二人に当てられたように次第に熱を帯び始める。
「……なんと……」
「この国の未来を築く、か……」
誰かが呟いた。その言葉はまるで火種のように広がり、貴族たちの間にどよめきが生まれた。
エドワールはリヴィアの手を取ったまま、高らかに宣言する。
「聞け、我が臣下たちよ! この国を導くのは、俺一人ではない。リヴィアこそが、俺と共にこの国を背負う者だ!」
その瞬間、広間に衝撃が走った。驚きに目を見開く者、感動に声を詰まらせる者、そして誇らしげに頷く者。
あらゆる反応が入り混じる中、一人の老臣が膝をついた。
「王太子殿下、リヴィア様……いえ、王太子妃殿下! この国の未来をお導きください!」
それを皮切りに、次々と貴族たちが膝を折る。
「我らもお支えいたします!」
「殿下とリヴィア様の築く未来に、尽力を誓います!」
次第に、忠誠の声が広間を埋め尽くしていく。
リヴィアはその光景を前に、胸に熱いものが込み上げるのを感じていた。
これまで幾度となく議論し、衝突し、それでも諦めずに歩んできた道。その努力が今、確かに実を結ぼうとしている。
感激に打ち震えそうになるリヴィアに、エドワールが微笑みを向ける。
「どうやら、君の覚悟はしっかりと伝わったようだな」
リヴィアも、静かに……しかし力強くエドワールへと微笑み返した。
「はい。この国の未来を、あなたと共に……必ず」
その誓いを最後に、広間には割れんばかりの拍手が響き渡ったのだった。
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