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王子様、推しを聴く。それ私でした。
後編
しおりを挟む結婚生活が始まって、一ヶ月が経った。
公務でお忙しい中でも、シルヴァート殿下は毎晩ちゃんと時間を作ってくださる。食事をともにし、たわいもない話をして、夜は同じ部屋に──けれど、殿下は決して無理を強いることはなかった。
本当に、優しくて紳士的なお方。
その夜も、私たちは向かい合って夕食をとっていた。
不思議なことに、結婚してから一度も辛いものが食卓に並んでいない。私は辛いものが得意ではないけれど、それを殿下に伝えた覚えはなくて。
(まさか、誰かに聞いたのかしら。それとも偶然? でも、殿下は辛いものがお好きだと噂で聞いたような……もしかして私のこと、気遣ってくださってる?)
婚約当初、「辛い物ばっかり好きな人だったらどうしよう……一口で泣いちゃう……!」なんて震えていた私だけれど──その心配は、今のところ杞憂だったみたい。
「今日は花の品評会に行ってくれたんだな。君が気に入った花はあったか?」
「はい。淡いピンクのラナンキュラスがとても綺麗でした。春の陽だまりのようで……見ているだけで、心がほぐれるようでしたわ」
「春の陽だまり……なるほど。君の声で聞くと、余計にそんな気がしてくるな」
優しい目で言われると、私の胸の奥はふわりと温かくなる。
けれど、そのぬくもりに身をゆだねるのが、なぜだか怖い。
部屋に戻ると、殿下はカップに香草茶を淹れてくださった。
「眠れないときには、これがいいと聞いた」
殿下は少し照れたように笑って。
「イレーネには、よく眠ってもらいたい」
微笑みを、私に向けてくれる。
こんな素敵な人が、夫だなんて──いまだに信じられない。
思えば、最初からそうだった。
婚礼の夜、何も強いられることなく、ただ静かに「話をしよう」と言ってくれて。
それは、あまりにも優しすぎて、痛みさえ感じるほどだった。
(政略結婚なのに、こんな風に大事にされるなんて……思っていなかったの……)
ルナとして配信していた私に、蒼月さんがそうしてくれていたように。
殿下も、私を大事にしてくれている。
だけど、蒼月さんを思い出すと、胸がぎゅっと痛んだ。
恋をしていた。
たぶん、あのとき、本気で。
ずっと封じ込めていたけど、今だからこそ気づいて──
同時に、隣にいる殿下の静かな思いやりに、心が少しずつ揺れていく。
どうしよう。殿下といると、楽しい。
心の奥底から、幸せな感情が湧いて出てきてしまう。
こんなの、知らなかった。誰かが隣にいることが、こんなにあたたかいなんて。
「今日の君は、よく笑っていたな。……それだけで、なんだか救われる」
その一言に、喉の奥がきゅっと締まった。
こんなにも、大事にされている。
(……どうして、もっと早く、殿下のことを知ろうとしなかったの)
私は、殿下の横顔を見つめた。
整った顔立ち。けれどその奥にある、真摯さと静かな孤独。
この方は、孤独の中で誰かを求めていたのではないのかしら。
そう思うと、心が揺れた。
それと同時に、私の胸の奥にひっそりと残る想いが……痛むのです。
蒼月さんへの未練。断ち切らなければいけないと思いながら、ずっと燻っているままの、この気持ちが。
(どちらも、本物の気持ちなのに)
けれど、確かに……私は殿下に惹かれている。
殿下に優しくされるたび、自分が変わっていくのがわかる。
それが嬉しくて、そして、少しだけ怖かった。
***
ある夜、私は思い切って、殿下にお願いをした。
「今晩だけは、寝所を別々にお願できないでしょうか」
静かな間があった。けれど、シルヴァート殿下は何も聞かず、ただ頷いてくださった。
「わかった。何かあったら、呼んでくれ」
その声に、胸が苦しくなる。
まるで、嘘をついているような気がして。──でも、今夜だけは、自分の気持ちと向き合いたかった。
私は、久しぶりに〝ルナ〟になった。
魔道送信機の前に座る指先が、かすかに震えている。
けれど、もう迷わない。──今日が、その最後。
「……お久しぶりです。ルナです。この配信が、最後となります」
言葉にすると、いろんな感情が胸を押し寄せた。けれど、もう抑えない。
「結婚をして、一ヶ月が経ちました。夫となった方が、とても優しくて……気がついたら、恋をしていました」
そう告げると、心の中にずっとあった迷いが、少しだけ溶けた気がした。
「でも……蒼月さんも、大好きでした。どれほど励まされ、救われてきたか……言葉では、とても伝えきれません」
自然と涙が、頬をつたう。
「蒼月さん……本当に、ありがとう。あなたのこと……ずっと、大切に思っていました」
彼が聞いているかどうかはわからない。けれど、言いたかった。この心を伝えたかった。
「蒼月さんがずっと笑顔でありますよう……心から願っています」
──そして、配信を終えた。
もう、戻れない。蒼月さんと過ごしたあの頃には。
私はこらえきれず、声を殺して泣いた。
──そのとき。
ノックの音がした。私は、はっとして顔を上げる。
扉の下から、便箋が差し入れられた。
(これは……蒼月さんが、いつも使っていた便箋!?)
震える手で拾い上げ、文字を追う。
〝もうあなたの声が聞けないのなら、せめて隣で、聞かせてください〟
手紙の文字が、滲んでいく。
頭が真っ白になった。
──え?
まさか。
まさか、そんな。
扉を開けると、そこにいたのは、シルヴァート殿下。
けれど、私にはもう、それだけじゃなかった。
ずっと応援してくれていた〝蒼月さん〟が、そこに重なる。
「……殿下が、蒼月さんだったんですね……! どうして……どうして言ってくださらなかったんですか……!」
涙声で問いかける私に、殿下は少し困ったように笑って、けれど優しく言った。
「……君にとって俺は、ただのリスナーに過ぎなかったからな。それに……君の中にある〝蒼月像〟を壊したくなかったんだ。でも、俺は──最初からずっと、君を大切に思っていたよ」
言葉の一つひとつが、胸に染みる。
全部、繋がった。
だからあんなに優しかったんですか? 私のことを知っていたんですか?
最初から、ずっと──私の声を聞いてくれていたなんて。
「……そんなの……ずるいです……」
泣きながら、私は殿下にすがる。
「ずっと……好きだったのに。どちらのあなたも、大好きだったのに……!」
シルヴァート殿下──蒼月さん──は、私を優しく抱きしめてくれた。
「……ありがとう。君が君でいてくれるだけで、俺は幸せだ」
その腕はあたたかくて、どこか懐かしくて。
そして、なにより──安心できる場所だった。
ようやく私は、自分が本当の意味で〝恋に落ちた〟のだと気づいた。
もう、迷わない。
私の隣にいる人は、最初からずっと、私の幸せを願ってくれていたのだから。
「これからも、君の声を聞かせてくれるか?」
その問いに、私は涙を拭いながら、こくんと頷いた。
「……はい、ずっと……あなたの隣で」
私がそう答えると、シルヴァート殿下はふっと笑って、私の頬にそっと触れた。
「君の声が、大好きだ」
その言葉は、心の奥深くまで染み込んで、熱を灯す。
私は俯いて、そっと彼の胸元に顔を埋める。
鼓動が聞こえる。確かにそこにある、彼の想い。
私だけのものになった、彼のぬくもり。
──そのまま、彼は私の手を取った。
「部屋へ、戻ろうか」
低く落ち着いた声。けれどその中に、どこか甘さが混じっていて──
私は、ゆっくり、頷いた。
扉の向こうに広がる夜は、驚くほど静かで優しくて。
ふたりで手をつなぎ、並んで歩いていく。
すべてを打ち明けた今、その隣はあたたかくて、どこまでも心地よかった。
そうして私たちは、もう一度、二人だけの箱庭に戻っていく。
──今度こそ、本当の意味で、ひとつになるために──
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