「僕が望んだのは、あなたではありません」と婚約破棄をされたのに、どうしてそんなに大切にするのでしょう。【短編集】

長岡更紗

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婚約破棄されたので、全力で推し活しますわ! 王子の尊さに気づけないなんて、お気の毒ですわね?

中編

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 ──ある日、高官のもとに一通の密書が届けられた。

 封蝋には第一王子アルトの印章。筆跡も文体も、見紛うことなく“本物”と一致していた。
 内容は、国の資源を私的に動かすよう命じる、あまりに危うい一文。

 高官は顔を強張らせ、文書を握る手にじっとりと汗を滲ませる。

「まさか……アルト殿下が……?」

 ──そのとき、執務室の扉が控えめにノックされ、文官の一人が顔を覗かせた。
 ゼファリオの腹心である、マルクスだ。

「どうやら、密書が届いたようですね」
「……これのことか?」

 マルクスは、高官の手の中にある封筒を見てニヤリといやらしく笑った。

「アルト殿下の不正については、ゼファリオ殿下もすでに把握されております。閣下には、“迅速に告発せよ”とのお達しが届いております」
「告発……?」

 思わず声が漏れる。

(王宮の中枢に仕える自分が、第一王子を?)

 しかし、その命がゼファリオから下されたものである以上、拒否などできはしない。

 この高官はかつて、賄賂の授受に関わった過去を持っていた。
 本来であれば、すぐさま処罰の対象となるべき重大な不正。だが、件は不問とされ、記録が残されることはなかった。

 なぜなら、ゼファリオが密かに証拠を握り潰していたからだ。

『お前のような優秀な者を失うのは惜しいからな』

 ゼファリオのその言葉に、『ゼファリオ殿下が目をかけてくださったからこそ、私は今もこの地位にいられる』と高官は信じて疑わなかった。

 しかし、真実は違う。
 賄賂の行方を辿れば、その一部がゼファリオの名をかすめていたのだ。
 証拠を消したのは、ゼファリオ自身が共犯だったからである。

 それでもなお、ゼファリオは己の関与を悟らせることなく、高官に“借り”を負わせ、従わせることに成功していた。

 ゆえに彼は、過去の罪を“見逃された”と信じている。そのため、ゼファリオに逆らうことができない。

 “告発せよ”というゼファリオの命が下された高官は、ほんの一瞬だけ、表情に迷いが浮かぶ。だがやがて、その眼差しは決意に染まった。

「……わかった。命じられた通り、動こう」

 そしてその夜、彼は密やかに動き出す。
 それは、アルトを告発するための準備──ではなかった。

「……第一王子殿下のご署名とされる文書ですが、念のため、ご見識を仰げればと」

 彼は密書を差し出した。その相手は──

「アルト様からの密書? 拝見いたしますわ」

 冷たく笑みを浮かべる、リリエラである。
 彼女は、すべてを知っていた。

 ──この高官が賄賂を受け取ったこと。
 ──ゼファリオがその証拠を揉み消したこと。
 ──そして、ゼファリオ自身もまたその金の一部に関与していたこと。

 けれど、それを公に告発する手立てはなかった。
 リリエラの手元にあるのは、あくまで写しや断片──推測を裏づける程度の情報にすぎない。

 裁くには足りず、黙るには惜しい。

 だからこそ、彼女は選んだのだ。
 この男一人を、確実に掌握するという方法を。

 ──数か月前の夜。
 リリエラは帳簿の写しをそっと差し出しながら、こう囁いた。

『ご安心ください。わたくしの手の内にあれば、決して世に出ることはありませんわ。……あなたが、私に忠誠を誓うならば、ではございますが?』

 涼やかな瞳で脅すその姿に、高官は逆らう術などない。
 それ以降、彼はゼファリオに従うふりをしつつ、リリエラに逐一情報を流す密偵となったのだ。

 それもこれも、すべては──推しのための脅しである。

 高官から受け取った封書を、リリエラは静かに開いた。
 その視線が流れるように紙面を走る。
 記されていたのは、国の資源を私的に動かすよう命じる内容。
 文体、書式、印章……どこを取っても精巧に仕立てられており、一見しただけでは偽物とは断じがたい。

 だが、封蝋のわずかなズレ。筆跡に潜む微かな違和感。そして、語彙の選び方に滲む癖。
 アルトの言葉を誰よりも熟知している彼女にとって、その粗はあまりにも目立っていた。

(わかっておりませんわね。わたくしの愛しきポンコツのアルト殿下が、こんな巧妙な抜け道を思いつくはずがございませんのに)

 即座に騒ぎ立てるような真似はしない。
 リリエラはあくまでも偶然を装いながら、周囲の文官たちの様子を探り、別の手段でも出所を洗いはじめていた。

 文書には、第一王子から直々に届けられたものであることが明記されていたが、実際に王子の執務室から発せられた記録は、どこにも存在しなかった。

 王族の命を伝える文書には、本来なら控えが残る。
 筆写者も封蝋の責任者も、届けた者の名も──すべて記録されるのが決まりだ。
 それが、この一件に限っては、一切なかった。

(記録を消すには、よほど上層に通じていなければ不可能ですわ。けれど……)

 調査を進めたリリエラは、文書を運んだとされる人物の所在を追跡する。
 しかし、そんな人物はどこにもおらず、浮かび上がったのはゼファリオの腹心、文官マルクスの存在だった。

(やはり、ゼファリオ殿下……)

 薄暗い書庫の一角にマルクスを呼び出したリリエラは、まっすぐ彼を見据えた。
 扉の外には騎士を待機させ、いつでも突入できるよう手はずを整えてある。

 その鋭い視線に射抜かれ、マルクスは睨まれた蛙のように怯え、固まっていた。

「あなたが、あの偽造密書を仕組み、アルト殿下を陥れたのでしょう? そのことも、これまでに殿下に対してした裏切りも、全部わたくしは知っているのですわ」

 リリエラは手元の推し活日記を開き、ゼファリオとマルクスの企てと思しき陰謀を、淡々と読み上げていく。
 今回の調査によって、マルクスの関与を決定づける証拠もいくつか手に入れていた。

 マルクスは必死に言い訳を探したが、リリエラの眼差しは容赦なく彼を追い詰めた。

「どこまでアルト殿下を貶めれば気が済むのですか!? その卑劣な所業、すべて白日の下にさらして差し上げますわ。……覚悟はよろしいですわね? お答えなさい!!」

 リリエラの迫力に、とうとうマルクスは肩を落とす。

「……全部、ゼファリオ殿下の命令だ。俺だけの罪じゃない! だが、頼む。お願いだ。これ以上、あの偽造密書のことは口外しないでくれ……本当に失脚してしまう……っ」

 リリエラは微かに唇を吊り上げ、穏やかな口調で答えた。

「いいでしょう。ただし、あなたが知るゼファリオ殿下の悪事はすべて白状しなさい。アルト殿下を守るために、協力してもらいますわ!」

 マルクスは震える声で頷いた。

「わかった。すべて話す……だから、あの偽造密書のことだけは、外には出さないでくれ」

 その懇願を聞き届けたリリエラは、淡く笑みを浮かべる。

 そして──

 彼女はすべてを聞き終えたのち、あっさりと表に控えさせていた騎士へとマルクスを引き渡した。

「密書の偽造の件も、しっかりと罪を償っていただきますわ」
「貴様……! これでは約束が違う!!」
「あなたはアルト殿下にとって害悪ですわ。許すはずもございませんでしょう?」

 リリエラは淡々と告げた。

「ふざけるな! どうして私がこんな目に遭わねばならんのだ!!」

 マルクスの叫びも、歪んだ顔も、リリエラにとってはどうでもよかった。
 騎士たちに連れられていくその背を、冷たい目で刺すだけだ。

 けれどその胸の奥では、怒りの炎がじわりと燃えていた。

(アルト殿下を貶める者は、万死に値しますわ!!)

 胸の怒りを押し隠しながら、リリエラは歩き出した。
 次は──すべてに決着をつける。その覚悟を胸に。
 すべては、最推しのために。



 ***


 ──謁見の間。

 緊迫した沈黙が、荘厳な空間を支配していた。
 王族や重臣たちが居並ぶ中、その中心に立つのは王──そして、その視線の先にいるのは、第二王子ゼファリオだった。

 王の口が静かに開く。

「第二王子ゼファリオによる、王族の名誉を著しく損なう陰謀が確認された」

 その一言が落ちた瞬間、広間の空気が凍りついた。
 どよめきすら許されない重さの中で、ゼファリオの顔から血の気が引いていく。

「……馬鹿な……っ、あの高官は……俺の言うとおりに動いていたはず……!」

 それは、策をめぐらせた者の顔ではなかった。
 信じていた駒に裏切られ、仕掛けた罠は、音もなく己の首を絞めつける。

 リリエラは一歩、ゆるやかに前へ進み、王の前で恭しく頭を垂れた。

「陛下。この件は、偶然文書の不備に気づいたわたくしが調べ、明らかになったものでございます。アルト殿下は一切、関わっておられませんわ」

 澄んだ声が、重苦しい空気に一筋の光を差す。
 王はしばし沈黙し──やがて深く頷いた。

「……よくぞ見抜いた。そなたのような者が、この宮廷に在ることを誇りに思う」

 ゼファリオは、その場に崩れ落ちた。
 野心と謀略は潰え、王太子候補からの正式な除外が宣告される。

 その日を境に、彼の名が政の場に上がることはなくなった。

 王宮の判断により、ゼファリオは寒風吹きすさぶ辺境の監視所に送られたのだ。
 荒れた風土に人の気配は乏しく、通信手段も限られている。
 彼はひたすら、冷え込む石壁の中で書類と向き合い、監視の報告書を綴る日々を送っている。

「……あの女を選びさえしていれば……」

 そんな悔恨のこもった声が、吹き荒れる夜に聞こえるとか聞こえないとか──
 今では、辺境にまつわる噂話のひとつにすぎない。
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