「僕が望んだのは、あなたではありません」と婚約破棄をされたのに、どうしてそんなに大切にするのでしょう。【短編集】

長岡更紗

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それ、私じゃなくてあなたが終わりです

05.そんなふうに、見つめないで

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 そして、数日後。私は再び、民たちの前に立った。

「私の名は、アーティア・レグナス。ヴァルテアの第一王女です。けれど、本当はその血を……──引いて、いません」

 ざわめきが走る。

 私は、一呼吸置いて、はっきりと告げた。

「ヴァルテア王は、血が繋がっていなくとも父に変わりはなく、私はこの国と向き合う任を託されています。しかし私は、自分の意思で──想いと責任で、この国を守ると、そう誓います。皆さんと共に国を発展させ、この地に骨を埋める覚悟です」

 私の覚悟に、ざわめきが消える。
 まっすぐな群衆の視線を受けて、私は言い放った。

「どうか、これからも私に力を貸してください。この国を、より良くしていくために!」

 しん、と静まり返る中。
 最初の拍手が起きた。

 それは、ひとりの老婆の震える手から始まり、次第に広がり、やがて大きな歓声へと変わっていった。

「アーティア様は、私たちの王女様だ!」
「血なんて関係ない!」
「ここまで変えてくれた人を、信じないでどうする!」

 民衆の声が胸に突き刺さる。
 私はただ、静かに、深く頭を下げた。
 その瞬間、私はようやく──“アーティア・レグナス”として、真にこの国に立てた気がした。


 ***


「アーティア様は、王族の血を引いてらっしゃらなかったのですわねぇ」

 ぽわぽわとしたリルの声には、ほんの少しの驚きこそあれど、嫌味や責める響きは一切なかった。
 彼女の隣に座るシオンも同じだ。

 私はそっと笑いながら、彼女の差し出した紅茶を受け取る。
 窓の外では春風が、政庁舎の庭を静かになでていた。

「……ごめんなさい。ずっと言わなきゃと思っていたの。でも、言葉にするのが、少し怖かったのかもしれないわ」

 言いながら、自分でも少し驚いていた。
 こんなにあっさり、口に出せるようになるなんて。

「でも、知ってほしいの。私のこと、ちゃんと」

 そう言って私は、カップを置き、ふたりを正面から見つめる。
 リルがにっこり笑って頷いてくれた。

「私は、もとはヴァルテアの子爵家に生まれたの。幼い頃に両親を亡くして、財産はすべて狡猾な貴族に横取りされてしまっていた。……それで、王都の孤児院に預けられたわ」

 リルが目を丸くして、思わずといったように小さく声を漏らす。

「まぁ……」
「その頃、ヴァルテア王宮では──第一王女が、重い病で伏せっていたの。次にいつ“表に出せるか”もわからない状態で……。それで、替え玉を立てることになったのよ」
「もしかして、その役に選ばれたんですの?」

 私は微笑んだ。

「そう、私。教養だけはあったしね。王の目に止まって、それで……正式に、王女の名を与えられた」
「では……本物の第一王女様は、今……?」

 シオンの静かな問いに、私は頷く。

「今はもう元気よ。表舞台に立つことは望まず、静かに暮らしてる。とても優しい子で、私のことを、いつも“お姉さま”って呼んでくれてたわ」

 懐かしむように、思い出をなぞる。

「そして先日、ヴァルテア王がすべてを公表したの。“第一王女は二人いる”って。……私は王族の血を引いていない。でも、王の名のもとに、もう一人の“王女”として正式に認められているわ」

 リルが小さく目元を押さえるようにして、にっこりと笑った。

「とってもアーティア様らしいご出自ですわぁ。強くて、真っすぐで……だからきっと、王様の目に止まったのですわね」
「……血がすべてではない。それをこの国に証明してくださったのは、あなた自身です」

 シオンの瞳は、真剣で、どこまでもまっすぐだった。
 その言葉に、私はようやく胸の奥が、ふっとほどけていくのを感じた。

「ありがとう。ふたりとも、聞いてくれて。私、やっと……ちゃんと、話せた気がする」

 この国に立つ理由も、王女としての資格も、すべて。
 もう隠しておくものなんて、なにひとつなかった。

 見れば、ふたりは言葉にしないまま、穏やかに微笑んでいた。

 リルはいつもと変わらぬ、ぽわんとした表情で紅茶を口に運びながら、にこにこと目を細めている。
 シオンは静かに頷いて、私に向けて、ほんのわずかに唇の端を上げた。その眼差しには、確かな安心と信頼が宿っていた。

 胸の奥が、じんわりとあたたかくなる。
 まるで春の日だまりのような──そんなぬくもりが、静かに私を包んでいた。

 ようやく、本当にここに居ていいと思えた気がする。
 私はまた、そっと笑った。



 ──それからというもの、彼と私の間には、少しずつ確かに変化が生まれはじめた。

 言葉を交わさなくとも伝わるものがあり、沈黙が心地よいものへと変わっていく。

 シオンと私が、初めて二人きりで甘い沈黙を分かち合ったのは、ある夜のことだった。

 仕事終わりの政庁舎。
 その書庫の奥、照明石のほの明るい光だけが灯る静かな部屋で、私たちは向かい合って座っていた。

「……もう、資料は見ないの?」
「ええ。……あなたを、見ていたくなったので」

 心臓が跳ねた。

 シオン・カヴァリエ。無表情で、理詰めで、感情に反応することの少ない彼。
 それなのに、時折こうして──不意打ちのように、心の奥を言葉にしてくる。

「……ずるい言い方ね。それじゃ、私ばかり意識してしまうわ」
「それなら、もっとずるいことを言いましょうか」

 ただその一言だけで、胸が高鳴る。

「……たとえば?」
「私が今ここにいるのは、仕事のためではない。アーティア。あなたと同じ部屋にいて、あなたの横顔を見ていたいからです」
「……っ」

 胸がぎゅっと鳴って、呼吸が詰まりそうになる。
 頬が熱くて、思考なんてもう、どこかに飛んでいった。

「……そんなふうに、見つめないで」
「なぜ?」
「……好きになってしまうじゃない」

 自分で言っておいて、また心臓が跳ねた。
 けれど彼は──いつもの冷静な瞳で、でもその奥に確かな熱を宿して、こう言った。

「好きでいてください。私も、同じですから」

 それは、きっと彼なりの優しい告白。

 彼の指先が、そっと私の手の上に重ねられた。
 触れたところから、じんわりと熱が広がっていく。

「あなたを、私だけのものにしたい」

 シオンの静かな言葉に、胸が甘く軋んだ。
 呼吸が詰まりそうになるくらい、まっすぐで、優しい言葉。

「……ずるいわ。私だって、あなたを私だけのものにしたいのに」
「私はもう、とっくにあなただけのものですよ」

 唇が、自然と近づいていく。
 言葉よりも深く、静かに。
 私たちは、確かな想いをひとつに重ねた。

 未来へと続く扉が、そっと開くような夜だった。



 ***



 ルクレイド王国はもう、存在しない。
 けれど、そこに生きていた人々の心が残っている限り──私たちは、この国を“殺した”のではない。
 再生させたのだ。

 そして私はこれからも、ヴァルテアの王女として。
 この土地に根を下ろした者として。
 新たな国を築く、その責任を背負っていく。

 彼と、あの令嬢と、共に。

 過去を断ち切り、今を越え、未来へと歩いていく。
 この国を守るために──私たちの、手で。
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