後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

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四章 猛毒草

11、喧嘩を売られて

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 翌朝。翠鈴は医局へと向かった。

 蔡昭媛ツァイしょうえんも、時を同じくして医局を訪れていた。
 椅子に座った蔡昭媛が、翠鈴に挨拶をする。背後に立つ范敬ファンジンは、感じ悪くつんと横を向いた。
 手には小さな包みを持っている。もう薬の調合が終わったのだろうか。

(昨夜の未央宮もだけど。わざわざ嬪ともあろう人が、足を運ばずとも)

 気虚ききょに効く薬をもらうだけなら、侍女に頼んでもいいはずだ。
 昨日は、侍女が主の言いつけを聞かないのかと考えたが。どうやらそうではないようだ。

翠鈴姐ツイリンジェ。おはようございますっ」

 医官の仕事は忙しいはずなのに。胡玲フーリンの声は弾んでいた。

桃莉タオリィ公主のしもやけは、いかがですか?」
「冷水とお湯で血行をよくして、薬も飲んでいただけているから。時間はかかるけれど、治るわ」
「よかったです。本当は、私が調合すべきなのですが」

 胡玲は、奥の寝台に視線を向けた。
 そこには呉正鳴ウージョンミンが眠っている。
 昨日のように暴れてはいない。苦しそうに呻いてもいない。
 だが消耗しきった様子で、ぐったりしている。

翠鈴姐ツイリンジェですって? なにそれ、馬鹿げた呼び名ね。聞いたわよ。ぜったいに十五歳になんて見えないのに、この女は十五と言い張ってるそうじゃない」

 蔡昭媛の侍女である范敬ファンジンが、翠鈴の前に立った。
 むろん、翠鈴の方が背が高いのだが。なんとか威圧しようと、肩をいからせている。

(またか。なんでわたしは、こうも突っ掛かられるんだか)

 どうにもよその宮の侍女とは、相性が悪い。
 あれは甘露宮かんろきゅう陳燕チェンイェンだったか。以前、同じ指摘を似たような口調で問い詰められた。

雪雪シュエシュエさま。こんな怪しい女の助言を真に受けるなんて。どうかなさっておいでです」

「おやめなさい」とたしなめる女主人の言葉を、侍女は聞きもしない。

「そこに病人がいるのに。騒ぐものではないわ」

 冷静な声で翠鈴は告げる。
 侍女と蔡昭媛は、そろって奥の寝台に目を向けた。

 一瞬、間があった。
 患者が、蔡昭媛ツァイしょうえんを虐げている張本人であると分かったのだろう。

 だが、それだけだ。ふたりの表情に変化はない。

 ふと、辺りが暗くなった。
 まどから入る光が遮られたのかと思ったが。そうではなかった。
 翠鈴の目の前に、胡玲の背中があったのだ。

「そこのあなた。私が、親しい彼女を『翠鈴姐ツイリンジェ』と呼ぶことに、文句でもあるのですか?」

 胡玲は厳しい声で、侍女に詰め寄った。
 翠鈴は背後にいるので、胡玲の顔は見えないが。きっと険しい目をしているに違いない。

「赤の他人のあなたに、呼称を馬鹿にされるいわれはありません。薬を受けとるという主の使いもできず、ただ付き添うだけの侍女など必要ないです。外に出てください」
「わ、私は何も」

 まさか医官に叱られるとは、思わなかったのだろう。范敬の声は上ずっている。

(喧嘩を売った相手が、わたしだけだと思ってたのね)

 やれやれ、と翠鈴は肩を落とした。
 胡玲は冷静沈着で賢い女性だが。こと、翠鈴の件になると熱くなる。

 翠鈴のことを、実の姉のように慕ってくれているのだ。その翠鈴が、後宮では事あるごとに馬鹿にされる。それが、胡玲には我慢ならないのだろう。

(優しい子なのよね。胡玲は)

 だからこそ怒らせると怖い。

 范敬は、事あるごとに相手が大事にしている部分、嫌がる部分をきっちりと踏んでいく。
 踏んで、踏み抜いて。あんたなんて位が低いくせに、と馬鹿にする。

(まぁ、勝手に胡玲に怒られていれば、いいかな)

 翠鈴は放っておくことに決めた。
 胡玲の怒りをなだめて、侍女をかばう気にはなれない。
 因果応報だ。

(因果応報?)

 自分の頭に浮かんだ言葉に、はっとする。

「もしかして。胡玲、ちょっといい?」

 翠鈴は胡玲の袖を掴んだ。そのまま外へ出ていく。
 部屋に残された蔡昭媛と范敬は、顔を見あわせた。
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