後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

文字の大きさ
74 / 171
六章 出会い

3、たどり着くのか?

しおりを挟む
 侍女たちが、桃莉タオリィの手を洗い、髪を梳かして着替えさせた。

 前で合わせる衿の部分に花模様の刺繍を施した、おしゃれな衣裳だ。
 さっきまで泥で遊んでいたとは思えぬほどに、清楚で愛らしい。

 皇后の宮に同行するのは、侍女頭の梅娜メイナーと翠鈴だ。二十代半ばの梅娜は、いつもは落ち着いているのだが。今日はそわそわとしている。

 未央宮の門を出るまで、桃莉公主はなんどもふり返って、蘭淑妃に手をふっていた。

「迷子にならないようにね、桃莉」
「だいじょうぶ。タオリィ、しっかりさんだから」
皇后娘娘ファンホウニャンニャンへのご挨拶は覚えたわね」
「うん。タオリィ、おりこうさんだから」

 頼れる言葉に、蘭淑妃をはじめ未央宮の侍女たちが「おおっ」と歓声をあげる。

 誰もが口々に「いってらっしゃいませ。公主さま」「ご武運を」などと言うものだから。
 付き添いの翠鈴ツイリンも、まるで今から出征するような気分になってしまう。

「あのー。失礼があっても、手打ちになんてなりませんよね」

 梅娜の耳もとで、翠鈴は問うた。
 左手は、桃莉とつないでいるので。彼女には聞こえないように小声だ。

「大丈夫よ。杷国はこくの皇太后で、それはもう恐ろしいお方がいらっしゃったけど。それは昔のことだからね」
「どれくらい恐ろしいんですか?」
「訊いちゃったわね」

 梅娜メイナーはにたぁと暗い笑みを浮かべた。

「あ、今のナシで」

 薬師だから、病に伏した人や怪我をした人を見る頻度は高い。だが、翠鈴の本能がその先を知るのを拒否した。

 おそらく猟奇的な罰を下したのだろう。
 だとしたら、就いたばかりの大理寺卿だいりじけいを降ろされた陳天分は、悪い意味での懐古主義者だったのかもしれない。

「ほら、公主もいらっしゃいますから」
「それもそうね。姫さまの耳に入ってはいけないわね」

 小声で話す翠鈴と梅娜を、桃莉公主が見あげた。

「ちゃんとついてくるのよ、メイナー、ツイリン」

 小さな主は、大役を任されたこともあって勇ましい。

 だが、それも一瞬のことだった。
 まだ春には遠いというのに。越冬中に迷い出てしまったのだろう。黄色い蝶がふわふわと飛んでいる。

「わぁ、ちょうちょだぁ」

 桃莉が翠鈴の手を離して走り出した。

「いけません。桃莉さま」

 慌てた翠鈴が、桃莉の腰の部分を持って抱きあげる。空中に上げられても、桃莉は手を足を動かしていた。
 両足をバタバタさせる桃莉。両腕で桃莉を抱える翠鈴。
 あまりにも目立つ。

 後宮内を歩いている宦官が「うわ、誘拐か」と身構えたが。翠鈴の側に立つ侍女頭の梅娜を見て、胸をなでおろす。

「桃莉さま。暴れては危ないですよ」
「だって、ツイリン。ちょうちょだよ。ほら、いっちゃうよ」

「行ってしまった方がいいんです。まだ冬ですからね。冷たい風を避けることのできる場所を探しているんです」
「びおうきゅうなら、あったかいよ」

 うーん、想像できるぞ。
 きっと火鉢で温かくなった部屋で。桃莉公主は、黄色い蝶を相手に「はい、お花のみつですよ。たっぷりのんでね」と、庭の水鉢に張った氷の薄いかけらを差しだすのだろう。

「また春に出てきてくれますから。ちょうちょさん、またねって手をふりましょうね」
「ちょうちょさん、タオリィのこと、おぼえてる?」

「はい。こんなにも愛らしい桃莉さまのことを、どうして忘れることができましょう。あの黄色い蝶は、春まで桃莉さまの夢を見て眠るんですよ。温かくなれば、本当の桃莉さまに会いに来てくれるでしょう」

 翠鈴の言葉に、梅娜がうっとりとした表情を浮かべる。その瞳が「素敵ねぇ」と語っている。

(いけない。光柳さまといることが多いから。つい、麟美リンメイさまの詩みたいに話してしまった)

 詩心なんて、これっぽっちもないのに。
 通りを歩く大人たちが、どんどん翠鈴たちを追い越していく。

「そのうち亀にでも抜かれそうね」
「否定はできません」

 梅娜メイナーと翠鈴は、顔を見合わせて苦笑した。

「桃莉さま。重要なお務めをお忘れではないですか?」
「はっ。そうだった!」

 梅娜に声をかけられて、桃莉はようやく何をすべきか思いだしたようだ。

(これは、寿華宮じゅかきゅうに着くまで、手を離さない方がいいね)

 公主の小さな右手を、翠鈴はぎゅっと握りしめた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

番を辞めますさようなら

京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら… 愛されなかった番。後悔ざまぁ。すれ違いエンド。ゆるゆる設定。 ※沢山のお気に入り&いいねをありがとうございます。感謝感謝♡

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。