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六章 出会い
5、言いたい、言えない
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翠鈴は寿華宮の前を、行ったり来たりしていた。
中に入ろうとする宦官が「取り次ぎましょうか」と声をかけてくれるのが、申し訳ない。
ずいぶんと時間が経った頃。
ところどころ雲が切れて、金色の光が輝く線となって後宮を照らした。
寿華宮の小路から、はしゃぐ声が聞こえる。翠鈴は急いで門へと駆け寄った。
「桃莉、さま?」
驚いた。あまりにもびっくりして、翠鈴のいつもの鋭い目が丸くなったほどだ。
桃莉は、二歳ほど上の女の子と手をつないで笑っていた。
「あ、ツイリンっ。あのね、タオリィね、ほめてもらったの。それにね、どくをたべせせ……えっと、たべさせられたのに、よくがんばりましたね、だって」
「それは、ようございました。皇后陛下が褒めてくださるなんて、素晴らしいです」
だが、訊きたいのはそれだけではない。
翠鈴は、桃莉たちの後ろに立つ侍女頭の梅娜に視線を向けた。
「この方は、皇后陛下の姪御さんでいらっしゃいます」
「初めまして。施潔華と申します」
少女は翠鈴に挨拶をした。
子供にしてはきれいな所作だ。施家といえば名門の貴族。常日頃から礼儀正しくあるように教育されているのだろう。
「皇后陛下は、潔華さまと桃莉さまの仲睦まじい様子を、とても喜んでいらっしゃいました」
「そこなの?」
今日の用事は、皇后陛下を祝うことなのだが。本来の目的が軽くなっていないか?
「では、タオリィ。ここで」
潔華が桃莉とつないでいた手を離した。
けれど、名残惜しいのだろう。人さし指が、最後まで触れあっている。
「うん。またあそんでね」
初対面で桃莉公主の心を掴むとは。施潔華は、単に桃莉と年が近いというだけではないだろう。
「遊びたいけど。めったに、ここには来れないから」
潔華の表情が曇る。
確かに皇后の姪とはいえ。頻繁に後宮を訪れることはできないだろう。
「あそべないの? はるになったら、お花がさくよ。タオリィね、ジエホアおねえさまと、お花のくびかざりをつくりたいの」
「大丈夫」
今にも泣きだしそうな桃莉の肩を、潔華が引き寄せた。
袖が下がり、潔華の腕が露わになる。
「花が咲いたら、また来るね。でも、それまで長いから。手紙を書くから」
「てがみ? タオリィ、ちょっとだけもじ、よめるよ」
「じゃあ、何度も手紙を書くね」
潔華に抱きしめられて、桃莉も彼女の背中に手をまわした。
「タオリィ。おべんきょうする。もじ、かけるようになるね」
小さな女の子ふたりが、ぎゅっと抱きしめあっている姿は、とても微笑ましい。
だが、翠鈴は気がついていた。
皇后陛下が、周囲を欺いていることに。
潔華。これは、きっと偽名だろう。
子供らしい細い腕ではあるが。骨格も筋肉のつき方も、女の子のものではない。腕も指も長い。
(皇后陛下にとって、仲のよい甥なんだろうな。だからこうして、女装させてまで呼び寄せて)
そこまで考えて、はっとした。
今日はもともと蘭淑妃が、この寿華宮を訪れるはずだった。あえて今日、皇后が甥を招いたのは。
人見知りの桃莉公主と引きあわせるよりも、まずはその母親から、と考えたのではなかろうか。
後宮には帝の子供以外の、男の子は入れない。だから女の子の格好をさせて。
もし潔華が、本来の男の子の姿でいれば。桃莉は懐くことはなかっただろう。
蘭淑妃の思わぬ怪我で、女の子同士の子供ふたりが出会ったわけだが。
(潔華さまって、七歳くらいだよね。桃莉公主は五歳でいらっしゃる)
上流の子供って、そんなに小さい頃から将来の相手が決まるってこと?
梅娜は、桃莉たちを微笑ましく眺めている。
これはお見合いであり、縁談であることに気づいているのは翠鈴だけ。
(せめて蘭淑妃にはお話ししないと)
一刻も早く未央宮に戻るべきだ。
けれど、桃莉は潔華と別れを惜しんでいる。
ただの顔合わせにしては、仲良くなりすぎている。
だって、そうだ。桃莉にとっては年の近い女の子の友達ができたのだから。それも生まれて初めて。
しかも潔華が、さりげなく桃莉を気遣っているのだから。桃莉にとっては、まさに「優しいお姉さま」なのだろう。
(違うんです。桃莉さま。その方は、お姉さまじゃなくってお兄さまなんですよ)
言いたい。でも言えない。
「どうしたの? 翠鈴。外に長くいたから、冷えて厠に行きたくなっちゃった?」
「そうだったら、どんなにいいか」
思いがけない翠鈴の返事に、梅娜が「へ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「やだぁ、大変。我慢しすぎなの?」
違いますー。違うんですー。
本当のことを言いたい、けれど桃莉公主の前では言えない。
考えを巡らせる翠鈴に対し、梅娜は「とにかく早く戻りましょう。頑張って」と背中を押した。
中に入ろうとする宦官が「取り次ぎましょうか」と声をかけてくれるのが、申し訳ない。
ずいぶんと時間が経った頃。
ところどころ雲が切れて、金色の光が輝く線となって後宮を照らした。
寿華宮の小路から、はしゃぐ声が聞こえる。翠鈴は急いで門へと駆け寄った。
「桃莉、さま?」
驚いた。あまりにもびっくりして、翠鈴のいつもの鋭い目が丸くなったほどだ。
桃莉は、二歳ほど上の女の子と手をつないで笑っていた。
「あ、ツイリンっ。あのね、タオリィね、ほめてもらったの。それにね、どくをたべせせ……えっと、たべさせられたのに、よくがんばりましたね、だって」
「それは、ようございました。皇后陛下が褒めてくださるなんて、素晴らしいです」
だが、訊きたいのはそれだけではない。
翠鈴は、桃莉たちの後ろに立つ侍女頭の梅娜に視線を向けた。
「この方は、皇后陛下の姪御さんでいらっしゃいます」
「初めまして。施潔華と申します」
少女は翠鈴に挨拶をした。
子供にしてはきれいな所作だ。施家といえば名門の貴族。常日頃から礼儀正しくあるように教育されているのだろう。
「皇后陛下は、潔華さまと桃莉さまの仲睦まじい様子を、とても喜んでいらっしゃいました」
「そこなの?」
今日の用事は、皇后陛下を祝うことなのだが。本来の目的が軽くなっていないか?
「では、タオリィ。ここで」
潔華が桃莉とつないでいた手を離した。
けれど、名残惜しいのだろう。人さし指が、最後まで触れあっている。
「うん。またあそんでね」
初対面で桃莉公主の心を掴むとは。施潔華は、単に桃莉と年が近いというだけではないだろう。
「遊びたいけど。めったに、ここには来れないから」
潔華の表情が曇る。
確かに皇后の姪とはいえ。頻繁に後宮を訪れることはできないだろう。
「あそべないの? はるになったら、お花がさくよ。タオリィね、ジエホアおねえさまと、お花のくびかざりをつくりたいの」
「大丈夫」
今にも泣きだしそうな桃莉の肩を、潔華が引き寄せた。
袖が下がり、潔華の腕が露わになる。
「花が咲いたら、また来るね。でも、それまで長いから。手紙を書くから」
「てがみ? タオリィ、ちょっとだけもじ、よめるよ」
「じゃあ、何度も手紙を書くね」
潔華に抱きしめられて、桃莉も彼女の背中に手をまわした。
「タオリィ。おべんきょうする。もじ、かけるようになるね」
小さな女の子ふたりが、ぎゅっと抱きしめあっている姿は、とても微笑ましい。
だが、翠鈴は気がついていた。
皇后陛下が、周囲を欺いていることに。
潔華。これは、きっと偽名だろう。
子供らしい細い腕ではあるが。骨格も筋肉のつき方も、女の子のものではない。腕も指も長い。
(皇后陛下にとって、仲のよい甥なんだろうな。だからこうして、女装させてまで呼び寄せて)
そこまで考えて、はっとした。
今日はもともと蘭淑妃が、この寿華宮を訪れるはずだった。あえて今日、皇后が甥を招いたのは。
人見知りの桃莉公主と引きあわせるよりも、まずはその母親から、と考えたのではなかろうか。
後宮には帝の子供以外の、男の子は入れない。だから女の子の格好をさせて。
もし潔華が、本来の男の子の姿でいれば。桃莉は懐くことはなかっただろう。
蘭淑妃の思わぬ怪我で、女の子同士の子供ふたりが出会ったわけだが。
(潔華さまって、七歳くらいだよね。桃莉公主は五歳でいらっしゃる)
上流の子供って、そんなに小さい頃から将来の相手が決まるってこと?
梅娜は、桃莉たちを微笑ましく眺めている。
これはお見合いであり、縁談であることに気づいているのは翠鈴だけ。
(せめて蘭淑妃にはお話ししないと)
一刻も早く未央宮に戻るべきだ。
けれど、桃莉は潔華と別れを惜しんでいる。
ただの顔合わせにしては、仲良くなりすぎている。
だって、そうだ。桃莉にとっては年の近い女の子の友達ができたのだから。それも生まれて初めて。
しかも潔華が、さりげなく桃莉を気遣っているのだから。桃莉にとっては、まさに「優しいお姉さま」なのだろう。
(違うんです。桃莉さま。その方は、お姉さまじゃなくってお兄さまなんですよ)
言いたい。でも言えない。
「どうしたの? 翠鈴。外に長くいたから、冷えて厠に行きたくなっちゃった?」
「そうだったら、どんなにいいか」
思いがけない翠鈴の返事に、梅娜が「へ?」と素っ頓狂な声を上げた。
「やだぁ、大変。我慢しすぎなの?」
違いますー。違うんですー。
本当のことを言いたい、けれど桃莉公主の前では言えない。
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