後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃

文字の大きさ
137 / 171
十章 青い蓮

3、薬草酒

しおりを挟む
 侍女頭の晩溪ワンシーが持ってきた薬酒を、呂充儀は自分で碗に注いだ。
 こぽこぽと音を立てて、壺から焦げ茶色の液体が現れる。

 芹の一種である過泥子アニス、イナゴ豆、竜胆りんどう薫衣草くんいそう薄荷はっか甘草かんぞうなど多くの種類の生薬を浸けこんだ薬草酒だ。
 とろりとした酒を口にすると、独特の甘くて苦い味が広がっていく。
 かつて地上に青蓮娘娘チンリエンニャンニャンがいらした時に、伝えられたお酒だという。

「女炎帝といわれる薬師が、後宮に現れるそうね」

 晩溪は返事をしない。呂充儀はひとりで話を続けた。

「そんな偽者の女神に傾倒している女官や宮女が多いんでしょ。馬鹿ね。どうせなら青蓮娘娘を信仰すればいいのに」

 薬草種の酒精はきつい。だが、呂充儀は一息に碗を空にした。
 待っていても晩溪は、二杯目を注いでくれない。これまでなら複数の侍女が側にいたのに。仕事が忙しいと、主の元に寄りつかない。
 しょうがないから、呂充儀は手酌をした。

 薬酒はいい。いくら飲んでも薬草を浸けてあるのだから、健康にいい。
 煎じ薬に似た苦さに重なる甘さは、クセがあるが。後を引く味でもある。

「女炎帝さまは、ご立派です」

 思いもがけない晩溪の反論に、呂充儀は碗を卓に置いた。唇の端から茶色いひとすじが、とろりと垂れる。

「病気とまではいかぬ、医局を頼りにくい症状ですら、女炎帝さまは治してくださいます。品階の差を気にかけることもなく、侍女も下女も差別することなく。安価で安全な薬を分けてくださるのです」

 何を愚かなことを。呂充儀は、三杯目の薬酒を飲み干した。

「女炎帝はただの人間でしょ。青蓮娘娘は違うわ、真の女神よ。地上に生薬や薬酒を伝えてくださったのよ」
「ですが。そのお酒は碗一杯で、宮女のふた月ぶんの給金を越えます。充儀さまはすでに宮女の半年分の金額をお召しあがりになりました」

 どうして自分が説教をされなければならないのだろう。
 子を喪って、こんなにもつらいのに。

「女炎帝さまは、宮女からお金をむしり取りません。呂充儀さまが、天堂教の高額なお酒や生薬を取り寄せることがお出来になったり、法外な値の弔いを依頼できるのは、故郷のお父さまのお力があってのことです」

 どうして女神のふりをした女への褒め言葉を、侍女頭から聞かなければならないのだろう。
 何か……何かを間違えている気がする。

 これまでは南蕾ナンレイがいたから。
 口ごたえもせず、主張もしない地味な南蕾に仕事を振ることで、侍女たちは後宮で楽に暮らせていたから。
 不満が、主である呂充儀に向くことがなかったのだ。

「充儀さまはご存じないでしょうけれど。天堂教に入信できるのは、地位や財産がある者だけ。それが証拠に、この間のお弔いでは大勢の女官や宮女、宦官が集まっておりました。富のあるなしで信者を選ぶんですよ、天堂教は」

 晩溪の声は冷たい。
 いけない。このままでは。
 お酒でぼうっとした頭で、呂充儀は考えを巡らせる。

「でも侍女でも天堂教の信者はいるわ。皇后の侍女も信者であると、巫女が話していたわ」
「充儀さま」

 侍女の言葉は、ため息と共に発せられた。

「皇后陛下の侍女が、平民のわけがございませんよ」

 これもだめだ。
 女炎帝なんて、女神を騙る詐欺師に負けるわけにはいかない。

 真の女神である青蓮娘娘の信徒として。そしてこの文彗宮の主として。
 青蓮娘娘がすべての人を等しく愛して、慈愛に満ちているかを知らしめなければ。

 そうだ。確か皇后は頭痛に悩んでいるはずだ。
 未央宮の生意気な下女は、丁子のお茶は妊娠時は飲むことを禁じたが。
 丁子以外のお茶が悪いとは聞いていない。

 皇后の頭痛を治して恩を売れば。皇帝陛下は感動して、また自分の元に通ってくるに違いない。侍女たちも「さすがは充儀さま」と見直してくれるだろう。

 なによりも、皇后自らが感謝をするだろう。今は蘭淑妃にしか許されていない「皇后娘娘ファンホウニャンニャン」の呼称を、充儀にも認めるかもしれない。
 皇后は偏屈なのか、普通の敬称である皇后娘娘を己が心を許したものにしか使わせない。

「充儀さま。宮女がこの部屋を掃除しますので、床の青い花はすべて捨てさせていただきます」
「いいわよ。その代わり、持ってきた紙を藍で染めてちょうだい。それから蓮の花の形に切り抜くのよ」
「侍女頭である私がですか?」
「当然よ。下女になんて任せられないわ。天堂教に奉納するのよ、丁寧にね」

 晩溪は自分が持ってきた紙の束に目を向けると、肩を落とした。
 これまで清めのために床に散り敷いていた紙の青い花を、呂充儀は決して片づけさせなかった。

 だが、今後の見通しが立った今。いつまでも仄暗い弔いの中に留まってはいられない。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

番を辞めますさようなら

京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら… 愛されなかった番。後悔ざまぁ。すれ違いエンド。ゆるゆる設定。 ※沢山のお気に入り&いいねをありがとうございます。感謝感謝♡

三回目の人生も「君を愛することはない」と言われたので、今度は私も拒否します

冬野月子
恋愛
「君を愛することは、決してない」 結婚式を挙げたその夜、夫は私にそう告げた。 私には過去二回、別の人生を生きた記憶がある。 そうして毎回同じように言われてきた。 逃げた一回目、我慢した二回目。いずれも上手くいかなかった。 だから今回は。

下賜されまして ~戦場の餓鬼と呼ばれた軍人との甘い日々~

イシュタル
恋愛
王宮から突然嫁がされた18歳の少女・ソフィアは、冷たい風の吹く屋敷へと降り立つ。迎えたのは、無愛想で人嫌いな騎士爵グラッド・エルグレイム。金貨の袋を渡され「好きにしろ」と言われた彼女は、侍女も使用人もいない屋敷で孤独な生活を始める。 王宮での優雅な日々とは一転、自分の髪を切り、服を整え、料理を学びながら、ソフィアは少しずつ「夫人」としての自立を模索していく。だが、辻馬車での盗難事件や料理の失敗、そして過労による倒れ込みなど、試練は次々と彼女を襲う。 そんな中、無口なグラッドの態度にも少しずつ変化が現れ始める。謝罪とも言えない金貨の袋、静かな気遣い、そして彼女の倒れた姿に見せた焦り。距離のあった二人の間に、わずかな波紋が広がっていく。 これは、王宮の寵姫から孤独な夫人へと変わる少女が、自らの手で居場所を築いていく物語。冷たい屋敷に灯る、静かな希望の光。 ⚠️本作はAIとの共同製作です。

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。