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7、光栄やわ
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「もう、ぜんぜん店に来てくれないんだから。顔を忘れちゃうところだったわ」
俺に声をかけてきたのは、クラブで働いとう女性やった。
名前は覚えてへん。弟分の付き合いで、何回か店に行ったことがある程度やったから。
生白い肌に、白いビキニやから。全体的にぼやけて見える。
「いや、ここで営業されても困るんやけど」
俺は、お嬢の方に目を向けながら一歩下がった。
「あら。花隈さんったら、子ども連れなんだ。へーぇ、姪っ子さん?」
急に女が、俺の腕に手を絡めてきた。
「かわいそーぉ。せっかくのお休みなんでしょ。子守りを押しつけられてるの?」
「別に子守りやないし、姪っ子でもない」
「ねぇ、そこの君。もう四年生か五年生くらいなんでしょ? 家にはひとりで帰れるわよね」
でかい胸が、俺の腕に押しつけられる。海に似合わん、きつい香水のにおいがした。
こいつ、人の話をぜんぜん聞いてへん。
「ジブン、客と一緒に来てんねんやろ。さっさと戻りぃや」
「えーぇ。あんなジジイ、待たせといていいわよぉ。そうだ、花隈さんのこと『花ちゃん』って呼んでもいーい?」
甘ったるい声が、俺の耳もとで囁く。
日傘の下で、お嬢が傷ついた顔をしたんが分かった。竹でできた柄の部分を、両手できゅっと握りしめてる。
「花ちゃん。今夜、店に来てよ」
「行かへん」
べったりとした声に、肌を舐められた気がした。気持ち悪い。
女に「花ちゃん」と呼ばれるんが、こないにも寒気がするとは思わんかった。
「ちょっと、そこのあなた。いつまでいるの? 駅はあっちよ」
女は松林の向こうの通りを指さした。こいつは女の形をした夜や。
お嬢の足が、わずかに動く。
あかん。もう限界や。
「離せや。勝手に俺に触れてええって、誰が言うた」
俺の口から出てきた声は低く、凄味があった。女が喉の奥で短く「ひっ」と声を上げる。
「で……でも。子守りで疲れてるだろうから、あたしが癒してあげようと思って」
「しつこい」
俺は女の手を振りほどいた。握られてた腕が、じっとりと湿って気持ちが悪い。
お嬢の日傘が、砂浜に落ちる。
「わ、わたし。帰るから、平気だから」
背中を向けて、お嬢は走りだした。俺は日傘を拾い、お嬢を追いかける。
砂に足が取られて進みにくい。けど、それは相手も同じこと。
腕をのばして、お嬢の背後からウェストの部分を持ちあげる。
「きゃあ」
細い体は軽々と宙に浮いた。黒髪がなびいて、淡い水色と白のワンピースの裾がひらめく。
海から渡ってきた風に、ハマヒルガオがそよと揺れた。
「逃げたらあかんでしょ」
右腕にお嬢を座らせて、俺はため息をついた。彼女が三歳くらいの頃に、ようしてた格好や。お嬢自身も慣れたもんで、自然に俺の首に両腕をまわしている。
「迷子になったら、どないするん。人出も多いねんで」
「だって。花ちゃんに子守りをさせてしまったんだもの」
やっぱりそこか。
お嬢の声は、か細くて。強烈な日光に、今にも彼女ごと消えてしまいそうに思えた。眉を下げて、見るからにしょんぼりしている。
「俺は子守りや思てないですよ。もし子守りやったら、休日出勤の手当てを請求するし」
「でも、わたしと一緒じゃ楽しくないでしょ」
媚を売ってきたり、スキンシップと称してしなだれかかってくる店のおねーちゃんとおるのは、全然楽しいことあらへんのやけど。
けど、それは清らかなお嬢に聞かせる話やない。
「楽しいですよ」
「気をつかってるもん」
「つこてませんて」
俺の両頬を、お嬢が手で挟んだ。
「ちょっと困りますわ。こんな人前で」
なんでやろ。お嬢に対してやと、文句ですら声が明るくなるんが分かる。
「困らせてるの」
お嬢が俺のサングラスを外す。ちょっと唇を尖らせて、拗ねた顔が間近に見える。
「妬いてくれてるんですか? 光栄やわぁ。お嬢やから特別に、俺のほっぺたにちゅーしてもええですよ」
「ちゅ、ちゅー?」
お嬢の声が上ずった。
「ほら、日傘で隠しといたげますから。花ちゃんは、お嬢のもんですよ。昔も今も、これからもずっと」
真っ白と青の世界のなかで、俺ら二人を柔らかな影が包む。
ふわっと柔らかいもんが、俺の頬をかすめた。
波の音も松林を渡る風の音も、人のざわめきも、音楽も。全部の音が消えた。
お嬢の長い睫毛が、俺のひたいに触れる。
見れば、腕に抱きあげたままのお嬢が、顔どころか耳までも真っ赤に染めていた。
「えー、それだけですか?」
心の中は「うわー、うわー」って、中学生みたいに大騒ぎしてんのに。俺は大人やから、若頭やから。努めて冷静な声を出す。
こくこくと何度もうなずくお嬢は、すでに涙目や。
あんまりからかったらあかんな。
まだ小学生やもんな。
「お嬢。ついでにお願いがあるんです。俺のことを呼んでください」
「花ちゃん。でいいの?」
うんうん、と俺はうなずいた。お嬢の声で「花ちゃん」と呼ばれると、心が弾むんがわかる。
自分の中の、きれいな部分がきらきらと輝くんや。
いちばん大事な女の子にだけ許された呼び名は、特別やった。
「あの、花ちゃん」
「なんですか?」
「そろそろ地面に下してほしいの。さすがにいつまでも抱っこは、恥ずかしいんだけど」
うかがうように、お嬢が俺の顔を覗きこんでくる。
「いくらお嬢でも、その頼みは聞けません」
俺はにっこりと笑顔で、きっぱりと断った。
(了)
俺に声をかけてきたのは、クラブで働いとう女性やった。
名前は覚えてへん。弟分の付き合いで、何回か店に行ったことがある程度やったから。
生白い肌に、白いビキニやから。全体的にぼやけて見える。
「いや、ここで営業されても困るんやけど」
俺は、お嬢の方に目を向けながら一歩下がった。
「あら。花隈さんったら、子ども連れなんだ。へーぇ、姪っ子さん?」
急に女が、俺の腕に手を絡めてきた。
「かわいそーぉ。せっかくのお休みなんでしょ。子守りを押しつけられてるの?」
「別に子守りやないし、姪っ子でもない」
「ねぇ、そこの君。もう四年生か五年生くらいなんでしょ? 家にはひとりで帰れるわよね」
でかい胸が、俺の腕に押しつけられる。海に似合わん、きつい香水のにおいがした。
こいつ、人の話をぜんぜん聞いてへん。
「ジブン、客と一緒に来てんねんやろ。さっさと戻りぃや」
「えーぇ。あんなジジイ、待たせといていいわよぉ。そうだ、花隈さんのこと『花ちゃん』って呼んでもいーい?」
甘ったるい声が、俺の耳もとで囁く。
日傘の下で、お嬢が傷ついた顔をしたんが分かった。竹でできた柄の部分を、両手できゅっと握りしめてる。
「花ちゃん。今夜、店に来てよ」
「行かへん」
べったりとした声に、肌を舐められた気がした。気持ち悪い。
女に「花ちゃん」と呼ばれるんが、こないにも寒気がするとは思わんかった。
「ちょっと、そこのあなた。いつまでいるの? 駅はあっちよ」
女は松林の向こうの通りを指さした。こいつは女の形をした夜や。
お嬢の足が、わずかに動く。
あかん。もう限界や。
「離せや。勝手に俺に触れてええって、誰が言うた」
俺の口から出てきた声は低く、凄味があった。女が喉の奥で短く「ひっ」と声を上げる。
「で……でも。子守りで疲れてるだろうから、あたしが癒してあげようと思って」
「しつこい」
俺は女の手を振りほどいた。握られてた腕が、じっとりと湿って気持ちが悪い。
お嬢の日傘が、砂浜に落ちる。
「わ、わたし。帰るから、平気だから」
背中を向けて、お嬢は走りだした。俺は日傘を拾い、お嬢を追いかける。
砂に足が取られて進みにくい。けど、それは相手も同じこと。
腕をのばして、お嬢の背後からウェストの部分を持ちあげる。
「きゃあ」
細い体は軽々と宙に浮いた。黒髪がなびいて、淡い水色と白のワンピースの裾がひらめく。
海から渡ってきた風に、ハマヒルガオがそよと揺れた。
「逃げたらあかんでしょ」
右腕にお嬢を座らせて、俺はため息をついた。彼女が三歳くらいの頃に、ようしてた格好や。お嬢自身も慣れたもんで、自然に俺の首に両腕をまわしている。
「迷子になったら、どないするん。人出も多いねんで」
「だって。花ちゃんに子守りをさせてしまったんだもの」
やっぱりそこか。
お嬢の声は、か細くて。強烈な日光に、今にも彼女ごと消えてしまいそうに思えた。眉を下げて、見るからにしょんぼりしている。
「俺は子守りや思てないですよ。もし子守りやったら、休日出勤の手当てを請求するし」
「でも、わたしと一緒じゃ楽しくないでしょ」
媚を売ってきたり、スキンシップと称してしなだれかかってくる店のおねーちゃんとおるのは、全然楽しいことあらへんのやけど。
けど、それは清らかなお嬢に聞かせる話やない。
「楽しいですよ」
「気をつかってるもん」
「つこてませんて」
俺の両頬を、お嬢が手で挟んだ。
「ちょっと困りますわ。こんな人前で」
なんでやろ。お嬢に対してやと、文句ですら声が明るくなるんが分かる。
「困らせてるの」
お嬢が俺のサングラスを外す。ちょっと唇を尖らせて、拗ねた顔が間近に見える。
「妬いてくれてるんですか? 光栄やわぁ。お嬢やから特別に、俺のほっぺたにちゅーしてもええですよ」
「ちゅ、ちゅー?」
お嬢の声が上ずった。
「ほら、日傘で隠しといたげますから。花ちゃんは、お嬢のもんですよ。昔も今も、これからもずっと」
真っ白と青の世界のなかで、俺ら二人を柔らかな影が包む。
ふわっと柔らかいもんが、俺の頬をかすめた。
波の音も松林を渡る風の音も、人のざわめきも、音楽も。全部の音が消えた。
お嬢の長い睫毛が、俺のひたいに触れる。
見れば、腕に抱きあげたままのお嬢が、顔どころか耳までも真っ赤に染めていた。
「えー、それだけですか?」
心の中は「うわー、うわー」って、中学生みたいに大騒ぎしてんのに。俺は大人やから、若頭やから。努めて冷静な声を出す。
こくこくと何度もうなずくお嬢は、すでに涙目や。
あんまりからかったらあかんな。
まだ小学生やもんな。
「お嬢。ついでにお願いがあるんです。俺のことを呼んでください」
「花ちゃん。でいいの?」
うんうん、と俺はうなずいた。お嬢の声で「花ちゃん」と呼ばれると、心が弾むんがわかる。
自分の中の、きれいな部分がきらきらと輝くんや。
いちばん大事な女の子にだけ許された呼び名は、特別やった。
「あの、花ちゃん」
「なんですか?」
「そろそろ地面に下してほしいの。さすがにいつまでも抱っこは、恥ずかしいんだけど」
うかがうように、お嬢が俺の顔を覗きこんでくる。
「いくらお嬢でも、その頼みは聞けません」
俺はにっこりと笑顔で、きっぱりと断った。
(了)
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