小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃

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一章

8、たんぽぽ

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 非番の日。朝食にレモンを入れた紅茶を飲み、かりっと熾火で焼いたパンにバターを塗った朝食を取る。
 妃殿下が、お手製の杏のジャムとコケモモのジャムをくださったのだが。
 あっという間に食べてしまったのだ。
 市場で買ってもいいのだが、買った物は甘さがきつくて、どうにもなぁ。

 ざく切りにしたレモンを皮ごと、カップに放り込んでスプーンで潰す。パンが甘くないので、蜂蜜をレモンにかけてさらに潰す。
 皮ごと入れているからだろうか、爽やかないい香りが広がった。

 そこに熱い紅茶を注ぐと、香り高い飲み物になる。私の気に入りの飲み方だ。
 窓から差し込む光が、木の床を照らしている。
 今日は洗濯日和だ。
 
◇◇◇

 春はよく晴れた日が続き、洗濯物もよく乾いて助かる。
 洗濯を終えた私は、宿舎の前に張ったロープに洗濯物を干した。

 姫さまのガーゼのハンカチが大量だ。一枚一枚、洗濯板で丁寧に洗い、ぴんとまっすぐに伸ばして干すと皺にならない。
 ガーゼのハンカチは、熾した炭を中に入れたアイロンをかけたりしないからな。

 街の商店でガーゼのハンカチを何束も買った時のことだ。
 店主に「いったい何に使うんだい? 騎士団は物騒なんだねぇ」と言われたが。
 さすがに怪我にはハンカチではなく、ガーゼそのものを使うよな。

 とはいえ「姫さまの手やお顔を拭く」とも言えないから。「いや、まぁ。いろいろとな」と誤魔化したのだが。店主の目にはさぞや不審に見えたことだろう。

 そよそよと吹く春風は、眠気を誘う暖かさだ。
 夏ほどには青が深くない、春特有の滲んだ淡い青空。午前の太陽は柔らかな光を放っている。
 かごから自分のシャツを取り出していると、ふわふわと雪のようなものが舞ってきた。

 不思議に思い振り返ると、それはたんぽぽの綿毛だった。
 続いて聞こえてくる、ぱたぱたという軽い足音。

「アレクー」
「待ってちょうだい、マルティナ。走るのが速いわ」

 何か茎のようなものをぶんぶん振りまわしながら、マルティナさまがこちらへ向かってくる。蜂蜜色の髪と白いエプロンドレスのフリルが、走るのに合わせて揺れている。

 後を追うマルガレータ妃殿下は息を切らしながら走っておられるが。背後に立つ護衛の女騎士はのんびりと歩いているぞ。まぁ王宮内だから、護衛もいらないとは思うのだが。
 それにしても、マルガレータさま。畏れながら、おみ足が遅すぎませんか?

「みた? みた?」

 私の太腿に直撃して、そのまま抱きついてくるマルティナさま。ひたいが腿にぶつかりましたが、鍛えているので痛いのではないでしょうか。

 案の定、ひたいを赤くしながらマルティナさまは私を見上げてくる。
 痛くないんだ? それとも慣れておしまいになった?

「えーと、何を見ればよろしいのでしょうか」
「わたげー」

 わたげー? なにやら怪しい毛なのか?
 そう考えたが脳内にたんぽぽの綿毛が浮かんだ。
 ああ、さっき風に舞っていた綿毛か。

「もしかして姫さまが綿毛を飛ばしたのですか?」
「うん。ふーってしたの。みせてあげるね」

 姫さまは手にしたたんぽぽに口を寄せようとなさったが。数本持つどれもが、茎だけになっていることに気づいた。

 あー、これ、あれだ。元気に走って来たから、全部綿毛が散ってしまったんだ。
 きっと泣く、姫さまは泣いてしまう。

 先手を打つために、私は玄関の側に生えているたんぽぽを手折って、姫さまに手渡した。
 潤んだ蒼い瞳が、瞬時にぱぁっと輝く。

「すごいですね、アレクさん。マルティナのことをよく分かってらっしゃいますね」

 感心したようにマルガレータさまが、微笑んでくださる。

「あのね、にわしのおじいさんが、たんぽぽをふーってしないで、っていったの」
「そうなんですか?」

 子どもの遊びなのだから、別にいいではないかと思ったが。マルガレータさまは、姫さまの頭を撫でながらお傍にしゃがんだ。

「たんぽぽは他のお花よりも強いから、あんまり種が落ちすぎるとお庭が全部たんぽぽになってしまうのよ。マルティナはたんぽぽも好きだけれど、薔薇も他のお花も好きでしょう?」
「うん」

 なるほど。それで殺風景で不愛想な宿舎の建ち並ぶこの辺りを、花でいっぱいにしたいと思ったわけですね。

「たんぽぽのさらだ、おいしいんだって。マルティナはにがいから、きらいだけど」
「……食料でしたか、堅実ですね」

 姫さまは「みててね」と仰ると、ぽわぽわしたたんぽぽのまぁるい部分に、そーっと息を吹きかけた。
 放たれて、空へと上っていく種。

 ちらっと横目で私を見上げる姫さま。
 けれどその瞳はとても得意げで、自信に満ち溢れて見えた。
 きっと何度も練習なさったんでしょうね。庭師がおろおろする様子が目に浮かぶようですよ。

 妃殿下と私は、空にのぼっていく小さな綿毛を見送った。
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