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一章
9、二年目
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姫さまの護衛を任じられて二年。
非番の日には、よく姫さまにままごと遊びにご招待されたが。最近は姫さまも六歳におなりなので、ままごともなさらなくなった。
どうやら「レディだから、泥団子は卒業なんですって」とマルガレータ妃殿下が教えてくださった。
姫さまのいらっしゃらない時に、こっそりと。
二年前に姫さまが飛ばしたたんぽぽの綿毛。今では我が家の周りは春には黄色い花が咲き乱れるまでになった。さすがに生命力が強いな、たんぽぽ。
庭師が警戒するのも分かる気がする。
私は自室に飾った、クレヨンで描かれた絵を眺めた。
姫さまから頂戴した絵だ。笑顔の姫さまとにこにことした私。それから犬のぬいぐるみが描かれている。
たぶん、ぐるぐると何重もの輪になった薄紅や黄色は薔薇なのだろう。
去年くださったその絵を、私は額に入れている。
簡素この上ない我が家で唯一の飾りだ。
――姫さま、私はこんな笑顔でしょうか?
――うん。アレクはわらってるの。
そうかなぁ? 絵を渡された時、私は首を傾げた。
護衛という立場上、勤務中は基本的には表情はあまり動かさない。
一度、殿下にお尋ねしたことがある。すると「ふむ。そうだな、そなたは非番の日にマルティナと遊んでいる時は自然と微笑んでいるな」と仰ったのだ。
そんなはずはあるまい。
私は手鏡に自分の顔を映した。どちらかといえば強面の方だと思う。殿下のように優男……もとい優美な見た目ではない。
にっこりと口の端を上げてみるが。
うん、似合わない。笑みは引きつっているし、殿下が仰るように微笑んでいるなどありえないことだ。
そう、私の任務は姫さまの護衛であって、遊び相手ではないのだ。無論、休日であっても何かことが起これば、すぐに護衛の任に戻るのだから。
そう思っていたのだが。
うららかな春の日、私は姫さまに午餐に誘っていただいた。
妃殿下お手製の杏のジャムを、アザレア色の花の形をしたジャムディッシュに載せて、姫さまはにっこりと満足そうだ。
中庭の四阿の椅子に座り、膝にはお気に入りの犬のぬいぐるみを載せていらっしゃる。
運ばれてきた料理は小エビのオープンサンドウィッチと、ポーチド・サーモンにサラダを添えたもの。それから季節のベリーにクリームを掛けたものがデザートだ。
ん? どれもジャムは必要そうではないが。
すると姫さまは、地面につかない足を少し揺らしながら、ご自分のお皿にジャムを取り分けた。
「んー、あまーい。おいしーい」
「はい、おいしいですよね」
私はナイフで硬めのパンを切り分けながら、玉子とピクルスで作られたソースを絡めつつ、サンドウィッチを頂く。
エビのゆで加減も塩加減もほどよく、たいそう美味しい。
ふと見ると、マルティナさまは料理ではなくデザートを召し上がっていらした。
ジャムの次にデザートですか。しかもきっとそのジャムは、今回の午餐には不要なのにキッチンメイドに頼み込みましたね?
「マルティナ、ジャムがいるの」とか言って。
「姫さま。お召し上がりになる順番が違いますよ」
「だっておひるごはんだもの。スープもないでしょ」
「それはそうですが」
困った。妃殿下がいらしたら「駄目でしょう、マルティナ。デザートは最後なのよ」と窘めてくださるだろうが。
私は護衛だ。躾は仕事の範疇外だと思うのだが。
うーん。どうしたものか。
その時、ぱっと閃いた。
「姫さま。レディはまずデザートから召し上がりますか?」
「うっ」
銀のスプーンを口に運んでいらした姫さまは、蒼い目を大きく見開いた。ころりとテーブルに落ちる苺。ああ、レディには程遠いじゃないですか。
「確か、立派なレディになりたいとか。妃殿下から伺いましたよ」
「……うん」
「レディにおなりになって、素敵な紳士と恋仲になった時に、呆れられませんかね」
「しんし?」
「ええ、紳士ですよ」
姫さまは、苺を拾って除ける私をじーっとご覧になっている。
「しんしって、アレクのこと?」
「は?」
突然の質問に面食らい、私は手にしていた苺をまた落としてしまった。赤い苺はテーブルの上を転がって、地面へと落ちていく。
「紳士でありたいと思っていますよ」
「じゃあ、マルティナはレディになるから。ずーっとアレクといっしょね」
姫さまは何を仰っているのだ? 私はあなたの護衛ですよ? 今はこうして対面することも午餐やお茶を共にすることもありますが。それは姫さまが幼くていらっしゃるから。
いずれ私はあなたの背後に控え、最低限の言葉しか交わさぬ存在になるのです。
影にならねばならぬのです。
そう、輝く笑顔で何処かの紳士と見つめ合うお二人を、私は常にお傍で見守り続けることになる。
ちくり、と胸が痛んだ気がした。
己が影であることを思い知らされたからだ。
いや、考えるな。影でよいのだ。護衛騎士として生きると決めたその時から、自分の意思は二の次だと決心したはずだ。
赤子の頃から懐いてくださっている姫さまのことを、僭越ながら姪のように思っているだけだ。
非番の日には、よく姫さまにままごと遊びにご招待されたが。最近は姫さまも六歳におなりなので、ままごともなさらなくなった。
どうやら「レディだから、泥団子は卒業なんですって」とマルガレータ妃殿下が教えてくださった。
姫さまのいらっしゃらない時に、こっそりと。
二年前に姫さまが飛ばしたたんぽぽの綿毛。今では我が家の周りは春には黄色い花が咲き乱れるまでになった。さすがに生命力が強いな、たんぽぽ。
庭師が警戒するのも分かる気がする。
私は自室に飾った、クレヨンで描かれた絵を眺めた。
姫さまから頂戴した絵だ。笑顔の姫さまとにこにことした私。それから犬のぬいぐるみが描かれている。
たぶん、ぐるぐると何重もの輪になった薄紅や黄色は薔薇なのだろう。
去年くださったその絵を、私は額に入れている。
簡素この上ない我が家で唯一の飾りだ。
――姫さま、私はこんな笑顔でしょうか?
――うん。アレクはわらってるの。
そうかなぁ? 絵を渡された時、私は首を傾げた。
護衛という立場上、勤務中は基本的には表情はあまり動かさない。
一度、殿下にお尋ねしたことがある。すると「ふむ。そうだな、そなたは非番の日にマルティナと遊んでいる時は自然と微笑んでいるな」と仰ったのだ。
そんなはずはあるまい。
私は手鏡に自分の顔を映した。どちらかといえば強面の方だと思う。殿下のように優男……もとい優美な見た目ではない。
にっこりと口の端を上げてみるが。
うん、似合わない。笑みは引きつっているし、殿下が仰るように微笑んでいるなどありえないことだ。
そう、私の任務は姫さまの護衛であって、遊び相手ではないのだ。無論、休日であっても何かことが起これば、すぐに護衛の任に戻るのだから。
そう思っていたのだが。
うららかな春の日、私は姫さまに午餐に誘っていただいた。
妃殿下お手製の杏のジャムを、アザレア色の花の形をしたジャムディッシュに載せて、姫さまはにっこりと満足そうだ。
中庭の四阿の椅子に座り、膝にはお気に入りの犬のぬいぐるみを載せていらっしゃる。
運ばれてきた料理は小エビのオープンサンドウィッチと、ポーチド・サーモンにサラダを添えたもの。それから季節のベリーにクリームを掛けたものがデザートだ。
ん? どれもジャムは必要そうではないが。
すると姫さまは、地面につかない足を少し揺らしながら、ご自分のお皿にジャムを取り分けた。
「んー、あまーい。おいしーい」
「はい、おいしいですよね」
私はナイフで硬めのパンを切り分けながら、玉子とピクルスで作られたソースを絡めつつ、サンドウィッチを頂く。
エビのゆで加減も塩加減もほどよく、たいそう美味しい。
ふと見ると、マルティナさまは料理ではなくデザートを召し上がっていらした。
ジャムの次にデザートですか。しかもきっとそのジャムは、今回の午餐には不要なのにキッチンメイドに頼み込みましたね?
「マルティナ、ジャムがいるの」とか言って。
「姫さま。お召し上がりになる順番が違いますよ」
「だっておひるごはんだもの。スープもないでしょ」
「それはそうですが」
困った。妃殿下がいらしたら「駄目でしょう、マルティナ。デザートは最後なのよ」と窘めてくださるだろうが。
私は護衛だ。躾は仕事の範疇外だと思うのだが。
うーん。どうしたものか。
その時、ぱっと閃いた。
「姫さま。レディはまずデザートから召し上がりますか?」
「うっ」
銀のスプーンを口に運んでいらした姫さまは、蒼い目を大きく見開いた。ころりとテーブルに落ちる苺。ああ、レディには程遠いじゃないですか。
「確か、立派なレディになりたいとか。妃殿下から伺いましたよ」
「……うん」
「レディにおなりになって、素敵な紳士と恋仲になった時に、呆れられませんかね」
「しんし?」
「ええ、紳士ですよ」
姫さまは、苺を拾って除ける私をじーっとご覧になっている。
「しんしって、アレクのこと?」
「は?」
突然の質問に面食らい、私は手にしていた苺をまた落としてしまった。赤い苺はテーブルの上を転がって、地面へと落ちていく。
「紳士でありたいと思っていますよ」
「じゃあ、マルティナはレディになるから。ずーっとアレクといっしょね」
姫さまは何を仰っているのだ? 私はあなたの護衛ですよ? 今はこうして対面することも午餐やお茶を共にすることもありますが。それは姫さまが幼くていらっしゃるから。
いずれ私はあなたの背後に控え、最低限の言葉しか交わさぬ存在になるのです。
影にならねばならぬのです。
そう、輝く笑顔で何処かの紳士と見つめ合うお二人を、私は常にお傍で見守り続けることになる。
ちくり、と胸が痛んだ気がした。
己が影であることを思い知らされたからだ。
いや、考えるな。影でよいのだ。護衛騎士として生きると決めたその時から、自分の意思は二の次だと決心したはずだ。
赤子の頃から懐いてくださっている姫さまのことを、僭越ながら姪のように思っているだけだ。
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