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一章
16、殿下のお話
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宮殿に戻られた殿下と妃殿下は、どうしたことか私の宿舎にお立ち寄りになった。
ちょっと待ってください。事前の連絡も無しにですか? 唐突ですよ。
だが、それは異常事態が起こったということだ。
護衛の直感で、私は身構えた。
昨夜は姫さまがつないだ手をお放しにならなかったので、ほとんど眠っていない。
月明りが消えても、夜明け前の闇がいっそう深くなっても。暗闇に慣れた目には、姫さまの小さな手が……ぎゅっと私の指を掴む手がはっきりと見えた。
「どうなさったのですか? 殿下」
狭い我が家には、お二人をお迎えするような立派な椅子はない。
それを分かってだろう。殿下も妃殿下も玄関から中に入ろうとなさらない。さすがにお二人に立ち話をさせるわけにはいかないのだが。
「話は手短に済ませる。父上……陛下が、私とマルガレータを離宮に残された件だ」
「はい」
ちらっと妃殿下が、殿下を見上げた。その表情は不安そうに眉が下がっていらっしゃる。
嫌な予感がした。
マルガレータさまが心を痛めるようなことを聞かされたのだ。
「離宮で、マルティナに意地悪を言っていた少年がいただろう? ヨアキムという遠縁の子だが」
「承知しております」
私にばれぬように、マルティナさまをからかっておられた。素直でない年頃だとしても、そういう狡猾な部分は好ましくない。たかが護衛の身で、そんなことは口にできないが。
「そのヨアキムとマルティナの婚約話がもちあがっている、と陛下が仰られた」
「はーぁ?」
「まぁ『はーぁ?』だよな。私も陛下の御前であることを忘れて、同じ言葉を発した」
あ、それはどうかと思う。久しぶりに殿下の護衛を務めていた時のことを思い出した。だが、私もクリスティアン殿下と同じ反応をしてしまったので、人のことは言えない。
「わたしは同意しかねます」
いつも控えめなマルガレータさまが、珍しく厳しい面持ちで口を挟まれた。
うん、そうだろうな。お二人とも、あのヨアキムという子がマルティナさまとは合わないと感じておられるのだ。
むろん、今はまだ子どもだから。成長して大人になれば意地悪もしないとは思うが。
それでも、何かが違うと思う。うん、違うんだ。
マルガレータさまは、部屋の壁に貼ってある絵に目を留めていらっしゃる。
姫さまが、私の似顔絵を描いてくださった中の一枚だ。
何枚も何枚も、姫さまは私を描いてくださるから。ひと月ごとに貼り換えている。
私は、シャツの胸ポケットに入れたままになっていたリボンに手を触れた。
マルティナさまの大のお気に入りの水色のリボン。元気のお守り。
その手触りは滑らかで、わたしの武骨な指が触れるには申し訳ないほどだ。
駄目ですよ、姫さま。
お守りに触れても、元気になれません。
あなたの幸せを願い、一心にお仕えしてきたというのに。
あの少年との婚約は、あなたにとって幸福なのですか?
◇◇◇
「おかえりなさいませ。お父さま、お母さま」
宮殿の車よせに馬車がついたのが、まどから見えたから。わたしはお部屋からとびだして、ろうかを走ってかいだんをおりたの。
「駄目ですよ、姫さま。走ってはなりません」と侍女が追いかけてくるけど。でも侍女も走ってるよ?
一人でおるすばんできたこと、ほめてもらわなくっちゃ。まぁ、アレクはいっしょだったけど。
一段ずつおりるのがめんどうだから、わたしは最後の二段はぴょんってとんでおりたの。
「あら、まぁ。マルティナったら」
「お母さまぁ」
「ごめんなさいね。遅くなってしまって」
「いいの。マルティナつよいもん、いい子だもん」
「アレクさんに、朝までついていてもらったの? よかったわね」
え? なんで知ってるの? お母さま、まほうがつかえるの?
ちょっと待ってください。事前の連絡も無しにですか? 唐突ですよ。
だが、それは異常事態が起こったということだ。
護衛の直感で、私は身構えた。
昨夜は姫さまがつないだ手をお放しにならなかったので、ほとんど眠っていない。
月明りが消えても、夜明け前の闇がいっそう深くなっても。暗闇に慣れた目には、姫さまの小さな手が……ぎゅっと私の指を掴む手がはっきりと見えた。
「どうなさったのですか? 殿下」
狭い我が家には、お二人をお迎えするような立派な椅子はない。
それを分かってだろう。殿下も妃殿下も玄関から中に入ろうとなさらない。さすがにお二人に立ち話をさせるわけにはいかないのだが。
「話は手短に済ませる。父上……陛下が、私とマルガレータを離宮に残された件だ」
「はい」
ちらっと妃殿下が、殿下を見上げた。その表情は不安そうに眉が下がっていらっしゃる。
嫌な予感がした。
マルガレータさまが心を痛めるようなことを聞かされたのだ。
「離宮で、マルティナに意地悪を言っていた少年がいただろう? ヨアキムという遠縁の子だが」
「承知しております」
私にばれぬように、マルティナさまをからかっておられた。素直でない年頃だとしても、そういう狡猾な部分は好ましくない。たかが護衛の身で、そんなことは口にできないが。
「そのヨアキムとマルティナの婚約話がもちあがっている、と陛下が仰られた」
「はーぁ?」
「まぁ『はーぁ?』だよな。私も陛下の御前であることを忘れて、同じ言葉を発した」
あ、それはどうかと思う。久しぶりに殿下の護衛を務めていた時のことを思い出した。だが、私もクリスティアン殿下と同じ反応をしてしまったので、人のことは言えない。
「わたしは同意しかねます」
いつも控えめなマルガレータさまが、珍しく厳しい面持ちで口を挟まれた。
うん、そうだろうな。お二人とも、あのヨアキムという子がマルティナさまとは合わないと感じておられるのだ。
むろん、今はまだ子どもだから。成長して大人になれば意地悪もしないとは思うが。
それでも、何かが違うと思う。うん、違うんだ。
マルガレータさまは、部屋の壁に貼ってある絵に目を留めていらっしゃる。
姫さまが、私の似顔絵を描いてくださった中の一枚だ。
何枚も何枚も、姫さまは私を描いてくださるから。ひと月ごとに貼り換えている。
私は、シャツの胸ポケットに入れたままになっていたリボンに手を触れた。
マルティナさまの大のお気に入りの水色のリボン。元気のお守り。
その手触りは滑らかで、わたしの武骨な指が触れるには申し訳ないほどだ。
駄目ですよ、姫さま。
お守りに触れても、元気になれません。
あなたの幸せを願い、一心にお仕えしてきたというのに。
あの少年との婚約は、あなたにとって幸福なのですか?
◇◇◇
「おかえりなさいませ。お父さま、お母さま」
宮殿の車よせに馬車がついたのが、まどから見えたから。わたしはお部屋からとびだして、ろうかを走ってかいだんをおりたの。
「駄目ですよ、姫さま。走ってはなりません」と侍女が追いかけてくるけど。でも侍女も走ってるよ?
一人でおるすばんできたこと、ほめてもらわなくっちゃ。まぁ、アレクはいっしょだったけど。
一段ずつおりるのがめんどうだから、わたしは最後の二段はぴょんってとんでおりたの。
「あら、まぁ。マルティナったら」
「お母さまぁ」
「ごめんなさいね。遅くなってしまって」
「いいの。マルティナつよいもん、いい子だもん」
「アレクさんに、朝までついていてもらったの? よかったわね」
え? なんで知ってるの? お母さま、まほうがつかえるの?
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