小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃

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二章

1、マルティナは悪い子です

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 わたし、マルティナは十二歳になりました。
 もう立派なレディよ。子どもっぽい話し方もしないんです。
 とっても丁寧にお話するわねって、おじいさまもおばあさまもほめてくださるの。

 二年前に弟のバートが生まれて、わたしもお姉さんになったんですもの。

 お姉さん……お姉さんですって。

「うふふ」

 まだ小さなバートに「おねえさま」と呼ばれると、背中がもぞもぞするの……ですの。

 わたしはもう宮殿の廊下を走ることもないし、朝だってメイドに起こされなくても自分で起きることができるのよ。
 メイドに手伝ってもらわなくてもお着替えもできるし、洗顔のための石鹸もちゃんと泡立てることができます。

「昔は石鹸を泡立てるたびに、つるんと手から逃げていたのにね」

 懐かしい思い出ね。

 身支度を整えたわたしは、朝日がさんさんと射しこむ窓を両手で左右に開きました。そう、手つきもしなやかにね。
 早朝の風は素敵ね、お花の甘い香りがするの。

「あ、アレクだわ、ですわ」

 バルコニーに出たわたしは、お庭を歩いてくるアレクの姿を見つけました。
 薄紫の花をつける木々の下を、背筋をぴしっと伸ばしているの。

 小さい頃なら、手を振って「アレクー。おはようー」って呼んでいたけど。今はもうおしとやかですからね。
 ふふ、玄関までお出迎えしてあげましょう。

 わたしは犬のアレクを抱きしめて、廊下に出ました。幸い、誰の姿もありません。
 ちょっとくらいなら走っても大丈夫よね。
 どうせなら廊下や階段の途中で出会うよりも、扉を開いたらわたしがいたっていう方が、いいじゃない?

 小走りに廊下を進み、二階から一階へと階段を下っていきます。
 ああ、まどろっこしいわ。スカートの裾が絡まりそうよ。

 ふと、子どもの頃は普通に二段飛ばしをしていたことを思い出しました。もう十二歳なので、さすがに普段はしないんですけど。
 でも大丈夫。だぁれも見ていないから。

 ぴょん、と身軽に跳ぶと、淡いすみれ色のスカートの裾がひらめきます。
 予定では二段飛ばしを繰り返して、華麗に着地するつもりだったの。
 なのに。

「あっ」

 気づいた時には、足を踏み外していました。

 うそ、うそ。待って、今のなし。やり直させて。
 そう念じても、時は戻りません。
 結局最後は四段飛ばしになって。そして足首に激痛が走ったの。

「……っ」

 声も出ないくらいの痛みに、わたしは唇を噛んで耐えました。
 ほんとは「ぎゃあああっ、いたい、いたいのぉ」と叫びたかったけれど。そんなのレディじゃないんですもの。
 我慢よ、マルティナ。レディなら根性で我慢できるはずだわ。

「う……ううっ。だめ……わたし、根性がないの」

 ぱたり、とわたしは床にうつ伏せになった。痛い、足がじんじんするわ。

「姫さまっ。どうなさいました」

 ああ、アレクの声が聞こえるわ。でも涙で霞んで、あなたのお顔がよく見えないの。
 わたしのぬいぐるみのアレクはどこ?

「医者っ、医者を呼んでくれ。マルティナさまが倒れていらっしゃる」
「ち、ちがうの」
「誰か、敷物と毛布を……」

 朧に見えるアレクは、おろおろとして。普段の落ち着いた様子がまったくないの。
 大丈夫よ、足をひねっただけなの。
 そう言おうとして、でも言葉にならないから。わたしは階段を震える指で指し示した。

「階段から落ちたのですか? 頭は打っていませんか?」
「へい、き」
「ああ、そんな気丈なふりをなさって。このアレクには泣き言を言ってくださって構わないのですよ」

 アレクの声に異変を気づいた使用人たちが、敷物や毛布を持って集まってくる。

「頭を打っていらっしゃるかもしれない。姫さまを動かさないように」
「はい」
「姫さま。吐き気はありませんか?」

 てきぱきと指示するアレクに、周囲の大人たちは従っている。
 ああ、かっこいいわ。アレク。
 こんな時でも、あなたは素敵。さすがはわたしの初恋の人ね。

 足が痛すぎて、アレクが素敵すぎて。心の声だけれど、丁寧な言葉遣いはどこかへ消えてしまったの。
 
 しばらくしてお医者さまが来てくださって、そして診断が下った。

「足の捻挫ですね」
「頭は打っていないのですか?」
「足だけですよ。まぁ、お尻もぶつけてるようですが」

 先生のお見立てに、アレクは大きな息をついて床に座り込んだ。まさに、へたりこんだって感じで。
 ああ、あなたをそんな風に苦しませるなんて。
 マルティナは本当に悪い子です。

「よかった。本当によかったです。マルティナさまに何かあったらと思うと、このアレク、生きた心地がしません」
「そんな大げさなことでもないがなぁ。たぶん、姫さまは昔みたいに階段を飛ばして降りて、足を滑らせたんだろう」
「は?」

 それまで感動して涙ぐんでいたアレクの表情が、一瞬にして険しくなった。
 あ、これ。まずいかもしれない。

「あの、貧血を起こして階段の途中で倒れて落ちたとかではなく?」
「貧血? はて、マルティナさまは貧血になったことはなかったはずだが」

 わたしの下瞼を引っ張ったお医者さまは「うむ、大丈夫」と言った。
 痛いんですけど。なんでそんなところを引っ張るの?
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