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二章
2、怒らざるを得ないでしょう
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マルティナさまのお怪我はたいしたことはなさそうだ。
薬草の匂いのする湿布を貼られて、足首を包帯で巻かれた姿は見ているだけで痛々しい。
だが、捻挫だけで済んだのだ。
ほっとしたら、力が抜けて。私は玄関ホールの床にしゃがみ込んだまま、膝を抱えた状態で両膝に顔を埋めた。
「アレク? アレク? どうしたの? どこか痛いの?」
痛いのは姫さまでしょうに。
姫さまは座った状態で、私の頬に手を伸ばしてくる。
身長は高くなったけれど、お小さい頃と何も変わらない。その優しさも愛らしさも。
いかん。ほっとすると、人って力が抜けてしまうものなんだな。
姫さまは、出勤や退勤する時の私の姿が見えるのを、幼い頃から好んでおられたから。
本来ならば通用口から出入りするのだが。姫さまのお部屋から見えるように遠回りをして庭を横切っていたら、クリスティアン殿下に「正面玄関を使えば近いぞ」と、王族の方々のための玄関の使用を許可された。
もう随分と以前のことだ。
私が庭を横切って出勤するのを、お小さかった姫さまはバルコニーでじーっと待っていらした。どんなに寒くとも、侍女に心配されても。マフラーをぐるぐるに巻いて、コートで着ぶくれても。雪が降っても。
――アレクー。おはよぉ。
そう声を張り上げながら、ぶんぶんと手を振る姿は今も鮮やかに覚えていますよ。
人見知りも、今では随分と治りましたね。
おとなしそうな外見に反して、実際はおてんばなところも昔と変わっていません。
ん? おてんば?
「姫さま、階段で足を滑らせたんですよね。その状態で豪快に床まで落ちますか?」
「え?」
あ、姫さまが視線を逸らした。これは怪しい。
薬草の匂いの中で、姫さまは私の顔を見ようともしない。
「何度も申し上げませんよ? 私は説明を求めています。殿下に姫さまのお怪我を報告しなければなりませんからね」
姫さまは観念したようにうつむくと、しばらくして顔を上げた。
眉はへにょっと下がり、とても情けない表情だ。
少し心が痛むが、護衛として事実は押さえておかねばならない。
「アレクが出勤したから、お出迎えしようと思ったの」
「答えになっていませんね」
「だからね、アレクの姿が見えたから」
「そんなに急いで、私を出迎えたかったのですか? 階段を踏み外すほどに?」
何気ない質問だったのに。突然マルティナさまの頬に朱が差した。
痛むはずの足を少し横にずらし、私に背中を向けようとする。
「……そうなの。一刻も早く、アレクに『おはよう』って言いたかったの。お顔が見たかったの」
まるで頭から湯気が出ているんじゃないかというほどに、マルティナさまのお顔は赤い。耳まで真っ赤だ。
そうですね、そうですよね。
姫さまは私のことが大好きでいらっしゃいますからね。
だめだ。こっちまで照れてしまう。
「それでね、その……階段を二段飛ばしして走って降りていたら。足を踏み外しちゃって」
「そんなに急がずとも」
「だって、昨日から会ってなかったんだもの」
「それは、毎日会っているということですが?」
「……夜は会えないんだもの」
しゅんとうなだれつつも、姫さまのお顔はまだ赤い。
「まぁ、どうでもいいが。アレクサンドル、君はマルティナさまをお部屋にお連れしてくれ」
呆れた様子で肩をすくめながら、医者は応急手当て用の鞄を閉じて立ち去った。
私は姫さまの膝裏に左手を入れ、右手でその背を支えて持ち上げる。
十二歳になっても華奢なままで、とても軽い。
ふわりと風をはらんだ蜂蜜色の髪から、甘い花の香りがした。
「お姫さまだっこ!」
「何を驚いていらっしゃるのです。マルティナさまはお姫さまでしょうに」
「そうだけど、そうだったわ。わたし、お姫さまだった」
ご自分が姫だという自覚はないんですか? 私は常日頃から「姫さま」とお呼びしているのですが?
「この運び方は、何かおかしいですか?」
「だってお姫さまだっこよ。これまでは子どもの抱っこだったわ」
「では、いつも通りに背中を立てて、子どもの抱っこにいたしましょう」
「やだっ。やだやだ。お姫さま抱っこがいい」
こらこら。暴れないでください。落っこちたら、今度は捻挫では済みませんよ。
腕の中のマルティナさまは、我儘を仰いながらも両手で顔を隠していらっしゃる。
恥ずかしいですよね? 私も恥ずかしいですよ。
お父上でいらっしゃるクリスティアン殿下がお若い頃になさっていたように、両手で顔を覆ってしゃがみたいほどです。
なぜなら、そこかしこの柱や扉の陰から使用人がこちらを窺っては、にやにや、にこにこして「姫さま、がんばってー」と言っているのですから。
薬草の匂いのする湿布を貼られて、足首を包帯で巻かれた姿は見ているだけで痛々しい。
だが、捻挫だけで済んだのだ。
ほっとしたら、力が抜けて。私は玄関ホールの床にしゃがみ込んだまま、膝を抱えた状態で両膝に顔を埋めた。
「アレク? アレク? どうしたの? どこか痛いの?」
痛いのは姫さまでしょうに。
姫さまは座った状態で、私の頬に手を伸ばしてくる。
身長は高くなったけれど、お小さい頃と何も変わらない。その優しさも愛らしさも。
いかん。ほっとすると、人って力が抜けてしまうものなんだな。
姫さまは、出勤や退勤する時の私の姿が見えるのを、幼い頃から好んでおられたから。
本来ならば通用口から出入りするのだが。姫さまのお部屋から見えるように遠回りをして庭を横切っていたら、クリスティアン殿下に「正面玄関を使えば近いぞ」と、王族の方々のための玄関の使用を許可された。
もう随分と以前のことだ。
私が庭を横切って出勤するのを、お小さかった姫さまはバルコニーでじーっと待っていらした。どんなに寒くとも、侍女に心配されても。マフラーをぐるぐるに巻いて、コートで着ぶくれても。雪が降っても。
――アレクー。おはよぉ。
そう声を張り上げながら、ぶんぶんと手を振る姿は今も鮮やかに覚えていますよ。
人見知りも、今では随分と治りましたね。
おとなしそうな外見に反して、実際はおてんばなところも昔と変わっていません。
ん? おてんば?
「姫さま、階段で足を滑らせたんですよね。その状態で豪快に床まで落ちますか?」
「え?」
あ、姫さまが視線を逸らした。これは怪しい。
薬草の匂いの中で、姫さまは私の顔を見ようともしない。
「何度も申し上げませんよ? 私は説明を求めています。殿下に姫さまのお怪我を報告しなければなりませんからね」
姫さまは観念したようにうつむくと、しばらくして顔を上げた。
眉はへにょっと下がり、とても情けない表情だ。
少し心が痛むが、護衛として事実は押さえておかねばならない。
「アレクが出勤したから、お出迎えしようと思ったの」
「答えになっていませんね」
「だからね、アレクの姿が見えたから」
「そんなに急いで、私を出迎えたかったのですか? 階段を踏み外すほどに?」
何気ない質問だったのに。突然マルティナさまの頬に朱が差した。
痛むはずの足を少し横にずらし、私に背中を向けようとする。
「……そうなの。一刻も早く、アレクに『おはよう』って言いたかったの。お顔が見たかったの」
まるで頭から湯気が出ているんじゃないかというほどに、マルティナさまのお顔は赤い。耳まで真っ赤だ。
そうですね、そうですよね。
姫さまは私のことが大好きでいらっしゃいますからね。
だめだ。こっちまで照れてしまう。
「それでね、その……階段を二段飛ばしして走って降りていたら。足を踏み外しちゃって」
「そんなに急がずとも」
「だって、昨日から会ってなかったんだもの」
「それは、毎日会っているということですが?」
「……夜は会えないんだもの」
しゅんとうなだれつつも、姫さまのお顔はまだ赤い。
「まぁ、どうでもいいが。アレクサンドル、君はマルティナさまをお部屋にお連れしてくれ」
呆れた様子で肩をすくめながら、医者は応急手当て用の鞄を閉じて立ち去った。
私は姫さまの膝裏に左手を入れ、右手でその背を支えて持ち上げる。
十二歳になっても華奢なままで、とても軽い。
ふわりと風をはらんだ蜂蜜色の髪から、甘い花の香りがした。
「お姫さまだっこ!」
「何を驚いていらっしゃるのです。マルティナさまはお姫さまでしょうに」
「そうだけど、そうだったわ。わたし、お姫さまだった」
ご自分が姫だという自覚はないんですか? 私は常日頃から「姫さま」とお呼びしているのですが?
「この運び方は、何かおかしいですか?」
「だってお姫さまだっこよ。これまでは子どもの抱っこだったわ」
「では、いつも通りに背中を立てて、子どもの抱っこにいたしましょう」
「やだっ。やだやだ。お姫さま抱っこがいい」
こらこら。暴れないでください。落っこちたら、今度は捻挫では済みませんよ。
腕の中のマルティナさまは、我儘を仰いながらも両手で顔を隠していらっしゃる。
恥ずかしいですよね? 私も恥ずかしいですよ。
お父上でいらっしゃるクリスティアン殿下がお若い頃になさっていたように、両手で顔を覆ってしゃがみたいほどです。
なぜなら、そこかしこの柱や扉の陰から使用人がこちらを窺っては、にやにや、にこにこして「姫さま、がんばってー」と言っているのですから。
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