小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃

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二章

12、湖の焚き火

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 水の匂いがしたと思うと、人々のさざめく声が聞こえてきた。
 ちりちりと飛んでいる赤い粉は、火の粉だろう。すでに湖畔で焚き火が始まっているようだ。

 まだ人見知りの残る姫さまは、湖に続く小道に入る前に足を止めた。
 仕方がない。マルティナ姫であることがばれたら、次々と人が集まってくるだろうから。
 王宮での殿下と妃殿下の様子を訊かれたり、夏の祝福の言葉を述べられたり。

 まぁ、何も悪いことではないし。人々の興味や関心が王族に集まるのは当然のことなのだが。
 一斉に囲まれるのは、十二歳の少女にはなかなか厳しいだろう。

 マルガレータ妃殿下は、そのこともお考えになって、薄暮に溶けこむような目立たない紺色の服をマルティナさまに選ばれたのだろう。
 

「大丈夫ですよ、姫さま。私も騎士服ではありませんから。目立つことはありません」
「う、うん」

 ひんやりとした小さな手が、私の手を握ってくる。
 どんな時であっても、一番に私を頼ってくださる様子がひとしお嬉しい。

 岸辺では樅などの木の枝や葉が高く積み上げられ、すでに火が燃えていた。
 かなり高い位置で明々と炎を上げ、火の粉を暗い湖面へと散らしている。
 水に降る雪も儚いが、水に降る火もまた夢のように消えていく。

 それでも宵祭りの焚き火は、見上げる人々の顔を煌々と照らし。誰もが言葉を忘れたかのように、その瞳に夏の象徴を赤く映している。

「そういえば、お小さい頃は姫さま……いえ、マルティナさまを肩車して、この火を一緒に見ましたね」
「それは、ずーっと昔のことよ」

 つないだ手を離すこともなく、マルティナさまは口を尖らせる。

 ずーっと昔ねぇ。
 私は苦笑しそうになって、表情を引き締めた。
 たった七年ほど前のことなんですけどね。
 焚き火の熱で頬を真っ赤に染めて、一心に見つめていらしたのは、私にとってはつい最近のことだ。

 私の肩の上で、きゃあきゃあと嬉しそうに火の粉に手を伸ばすものだから。火傷をなさらないかと不安で不安で。
 さらに不安定な肩の上であることをお忘れになって、身を乗り出すものだから。
 あの時ほど、体のバランスを取るのが難しかったことはない。
 今もあの頃も、足下はでこぼこして草で覆われているからな。

 湖畔には露店がぽつぽつと並んでいた。
 姫さまが仰っていた、未来の結婚相手の夢が見られるという七種類の花束(自分で摘まなくてもいいのか……そうか、摘まなくてもいいんだ)それから飴をかけた小さな林檎。これは表面がぱりっとして、子ども達に人気だ。
 真っ白いクリームをかけたベリー、それに果物のジュースにエルダーフラワーの飲み物。酒や酢漬けの魚や温かな野菜スープを売っている露店もある。

「姫さま、何かお召し上がりになりますか?」
「えっとね。ベリーがいい」
「体は冷えませんか?」

 尋ねると、姫さまは首を傾げた。
 ああ、そうか。近衛騎士団の女性騎士たちは冷え性なのか、すぐに寒いと騒ぐものだから。こういう夜には、温かいスープを選ぶのだろう。
 姫さまは子どもでいらっしゃるから、体は温かいんだよな。

 露店の方へ向かうために歩き出したのだが。姫さまはそれでも手をお放しにならない。
 困りましたね。歩きにくいですよ。
 私の手をしっかりと握る姫さまの手は、やはり温かくて。安心感がある。

 歓声を上げながら、数人の少女たちが湖の方へと駆けていく。それぞれの頭上には花冠。
 そうか、花束といっしょに売っているのだな。

 姫さまは、ご自分と同世代の女の子の姿を振り返って見つめていた。
 家庭教師についている姫さまは、学校に通っているわけではない。
 このヴァーリン王国は治安のよい国だが、王族が学校に通う場合には警護が欠かせない。ご友人と閑談している時に、護衛の私が目を光らせていたのでは楽しくもないだろう。

 社交パーティには参加なさっているが、貴族の令嬢たちとは儀礼的な付き合いだ。

 せめて姫さまが王女ではなく、侯爵や公爵、伯爵家などのお生まれであれば。
 もっと自由に、憂いもなく楽しい子ども時代を過ごすことができるだろうに。

 そんな生活だからこそ、殿下も姫さまとヨアキム少年との婚約を強くは推さなかったのだろう。
 ご自分が恋したマルガレータさまを迎えることができたのだから。娘のマルティナさまにも、政略結婚を強いたくはないのだと思う。

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