小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃

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二章

18、おやすみなさい

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 姫さまを送り届けた私は、蝋燭の明滅する廊下を進んだ。
 ちらちらと仄暗い廊下。
 だが不思議と……いや、不思議なことはないな。心に温かな光が灯っていた。

 階段を下り、通用口から表へ出ると白い月が煌々と輝いている。
 庭を横切るときに宮殿の二階を仰いだが、バルコニーに姫さまの姿はない。

 当たり前だ。もう真夜中なのだ。
 だが、先ほどお別れしたばかりの姫さまは、いつもと違って見えた。
 きっともう私が出勤しても、階段を二段飛ばしで駆け下りることはなさらないだろう。

 日々、お傍で拝見していると成長に気づきにくいが。
 今夜、姫さまは確かに少し大人におなりになった。
 ほっとするような、少し寂しいような。この気持ちはなんだろう。どんな名前を付ければいいのだろう。

 風が吹いて、草に載った夜露が零れおちてゆく。音など聞こえぬだろうに、微かな旋律を奏でているかのようだった。

 自分の宿舎の小屋に戻り、扉を開くと花の香りが流れ出てきた。
 花冠? いや、違う。
 ああ、そうだ。姫さまがくださった七種類の花だ。

 黄水晶のような澄んだ月明りだけが四角く射しこむその部屋で、約束の花はひっそりと私の帰りを待っていた。

 ほんの半日前のことなのに。あの時のマルティナさまはまだ子どもでいらした。

 お部屋の前でお別れした姫さまは、最後に「夢を見てね」とは命じられなかった。だからこそ、彼女の本気を悟った。
 そう、好意は命じて得られるものではないと、今夜初めてお気づきになったのだ。

◇◇◇

 アレクがお庭を通って自分の家に帰るのを、わたしは見送らなかった。
 いつもなら、バルコニーに出て彼の姿が見えなくなるまで眺めているのに。

 勇気を出して、おやすみなさいのキスをしたから。自分からしたから。
 その甘くて優しい思いの中に居続けたかった。

 静かな月明りが、一人歩くアレクの背中を照らすのを見たくはなかった。
 もし、振り返ってくれなかったら。きっとわたしは残念に思うわ。
 今日の楽しい思い出が、精一杯のキスが、最後に寂しくなるのが嫌だったの。

 花瓶に挿した花は、今も生き生きとしている。サイドテーブルに置かれた花瓶の傍に、花冠を置く。
 アレクがわたしの夢を見てくれるかどうかは分からない。
 それをお願いすることもできない。花束を渡した時は「絶対に夢を見て欲しい」と言ったのにね。
 今じゃ、そんな言葉は意味がないって分かるの。

 だって、アレクに命令してわたしのことを好きになってもらっても意味がないもの。

 紺色のワンピースのボタンを外して、白い木綿の寝間着に着替える。
 髪はもつれちゃうから、ゆるく三つ編みにして。
 ああ、いつもはメイドやお母さまにしてもらっているから。うまくいかないけれど。

 でも、もう夜も遅いから自分でできるわ。
 
 窓ガラスに映る三つ編みはとても不格好で、あちこち髪がはみ出ている。それでも一人で編んだのは初めてだから、自分では満足。

 お部屋に洗面用具や歯磨きの用意がしてあったから、手早く済ませる。
 薄荷の香りのする粉に歯ブラシをつけて、わしわしと磨く。
 お顔、石鹸で洗わないとだめかしら、だめよね。
 
 メイドはとても上手に石鹸を泡立てるけれど。わたしはちょっと……かなり下手。
 ぬるっとした泡みたいな水みたいな状態で、顔を洗う。
 うう、目にしみる。さっさと流さなくっちゃ。

 ごしごしとタオルで顔を拭いて、ちょっとお肌が痛い。
 お母さまやメイドに「だめですよ。お肌が傷みます」と注意されたことを思い出して、あわててゆっくりと押さえるように水分を拭き取る。

「大人になるって大変。お着替えも髪を洗ったりも全部自分でするんでしょう?」
 以前、そんな風にお母さまにお話したら「あら、マルティナは王女ですから。すべてしてくれる人がいるのよ。でも、自分でするかどうかはマルティナが決めることですよ。あなたがどんな大人になりたいか、ですね」って言われたけど。
 
 わたしもいろいろ自分でできるようにならなくちゃ。

「おやすみなさい、アレク」

 すうっとする薄荷の香りのせいかしら。
 瞼を閉じたら、アレクの背中が見えた気がしたの。
 清々しい草の匂いのする草原で「マルティナさま」って、微笑みながら呼んでくれるのよ。

 わたしは彼に向かって駆けだして……これは想像なの? それとも夢なの?
 眠くて眠すぎて、もう分からないの。
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