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三章
2、ぐるぐると
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バート殿下とのお目通りを終えたエーミルは、目を輝かせていた。
主となる殿下と、マルティナさまに初めてお目にかかったからだ。
私がたまに実家に戻ると兄が(エーミルの父なのだが)殿下や妃殿下、姫さまの話を聞きたがる。
その頃はまだバートさまはお生まれではなかったな。
少年のエーミルは王家の話を、やはり瞳をきらきらさせながら身を乗り出して聞いていた。父も瞳をきらきらさせていたので、親子でよく似ている。
うーん。王族の方々もなぁ、遠くからなら憧れの存在なんだろうな。
私は何年もクリスティアン王太子殿下にお仕えし、その後はマルティナさまにお仕えしているから。
日々、お傍近くにいると彼らが特別な存在であることを忘れてしまう。
それに当時の私は、姫さまからよく泥団子を下賜されていたからな。
本来ならば、女性が手を差し出してからキスをするのが礼儀だ。エーミルのやり方はその点では作法に則っていない。
◇◇◇
アレクとエーミルが立ち去ってから、わたしはおろおろして室内を歩きまわっていた。
バートはとうにお昼寝の為に、お母さまのところへ戻っている。
よく磨き抜かれた木の床は、わたしが右に左に曲がるたびにきゅっきゅっと音を立てる。
手の甲がね、今もなにか重いような気がして仕方がないの。
そう、ご挨拶のキスをエーミルにされた左手。
ああ、なんでこんなに落ち着かないのかしら。
だって社交パーティだと、手の甲にキスされるのなんて普通よ?
まぁ、だいたいは白い絹の手袋をはめているけど。
ベッドに勢いよく乗ったせいで、体がぼわんと跳ねた。ちょうどわたしの手元に犬のぬいぐるみのアレクが落っこちてきて。そのアレクをぎゅっと抱きしめたの。
分かった。もやもやの原因。
アレクが……護衛のアレクが、わたしには滅多にしないご挨拶のキスを初対面の相手にされたこと。それもアレクの目の前で。
わたし「ちがうの」って思わず声を上げそうになったの。エーミルがご挨拶のキスをする相手は、バートのはずよ。
わたしじゃないの。いや、でも騎士が男の子にキスはしないわね。でも、わたしじゃないのよっ。わたしも普通のご挨拶でよかったの。
「うわぁぁぁん」
わたしはごろごろとベッドの上でお行儀悪く転がった。
後頭部で結んでいたリボンは外れてしまい、綺麗に梳かしていた髪は乱れてしまっている。
どうしてアレクは、エーミルを止めてくれなかったの? 注意してくれなかったの? 甥っ子なんでしょう?
「バカ、アレクのバカ。アレクが先にキスをしてくれていたら、エーミルはわたしにはしなかったはずよ」
でも、普通は護衛はご挨拶のキスなんてしない。
アレクは間違ってない。
間違ってないし、子どもとはいえ主であるバートの前でエーミルを叱ったりはしないのも分かる。
もし初対面の護衛騎士が、目の前で叱られてるのを見たら、バートはエーミルのことをなんて思うか……。
分かってる、分かってるのよ。
だめ。同じことばかりぐるぐると考えてしまう。
ため息をつきつつ上体を起こし、八つ当たりされたぬいぐるみのアレクの頭を撫でた。
ごめんね、あなたはあのアレクじゃないのにね。
◇◇◇
なぜ私はエーミルがマルティナさまの手の甲にキスをしたのを、止めなかったのだろう。
正直、呆気にとられたというのはある。
だが、すぐに我に返った。
エーミル。お前、何をしているんだ、と。
私の姫さまに、何をするんだ、と。
いや、違う。私の姫さまではない。私がお守りする姫さまだ。いかん、これ以上は考えるな。考えてはいけないことだ。
エーミルにキスをされて姫さまは固まっておられた。
分かっていたのに、今後のバート殿下の護衛に支障がないようにと、そのことを優先させた。
職務上、当然のことなのに。
「叔父さまが仰っていた通りの方ですね」
「バート殿下のことか? おとなしくて人見知りでいらっしゃるからな」
「ええ、殿下もですが。姫さまもです」
私の隣を歩くエーミルの銀の髪が、さらりと風に揺れる。
「お生まれになった時から、叔父さまに守られてきたからでしょうね。ぼくよりも姫さまの方が、叔父さまと親しくていらっしゃる」
「……接する時間が長いからな」
「時間の問題でしょうか」
春の午後の風は、花の香りがして心地よいはずなのに。それを感じ取る余裕はなかった。
エーミルがマルティナさまに抱く気持ちは憧れなのか、あるいは恋心なのか。
初対面とはいえ、伯爵家の息子なのだから姫さまのお顔を拝見したことはあるのだし。姫さまのことは私から良く聞いて知っている。
エーミルのは憧れ……だよな? 私がマルティナさまに近すぎて、憧れの気持ちを抱かないだけだよな。
いかん、頭がぐるぐるする。
恋敵が甥っ子など嫌だぞ……え? 恋敵? なんの?
私は何を考えているんだ。
確かに姫さまは私を慕ってくださっているし、私も姫さまのことは大事に思っている。
でも、恋じゃないだろ。これは。
主となる殿下と、マルティナさまに初めてお目にかかったからだ。
私がたまに実家に戻ると兄が(エーミルの父なのだが)殿下や妃殿下、姫さまの話を聞きたがる。
その頃はまだバートさまはお生まれではなかったな。
少年のエーミルは王家の話を、やはり瞳をきらきらさせながら身を乗り出して聞いていた。父も瞳をきらきらさせていたので、親子でよく似ている。
うーん。王族の方々もなぁ、遠くからなら憧れの存在なんだろうな。
私は何年もクリスティアン王太子殿下にお仕えし、その後はマルティナさまにお仕えしているから。
日々、お傍近くにいると彼らが特別な存在であることを忘れてしまう。
それに当時の私は、姫さまからよく泥団子を下賜されていたからな。
本来ならば、女性が手を差し出してからキスをするのが礼儀だ。エーミルのやり方はその点では作法に則っていない。
◇◇◇
アレクとエーミルが立ち去ってから、わたしはおろおろして室内を歩きまわっていた。
バートはとうにお昼寝の為に、お母さまのところへ戻っている。
よく磨き抜かれた木の床は、わたしが右に左に曲がるたびにきゅっきゅっと音を立てる。
手の甲がね、今もなにか重いような気がして仕方がないの。
そう、ご挨拶のキスをエーミルにされた左手。
ああ、なんでこんなに落ち着かないのかしら。
だって社交パーティだと、手の甲にキスされるのなんて普通よ?
まぁ、だいたいは白い絹の手袋をはめているけど。
ベッドに勢いよく乗ったせいで、体がぼわんと跳ねた。ちょうどわたしの手元に犬のぬいぐるみのアレクが落っこちてきて。そのアレクをぎゅっと抱きしめたの。
分かった。もやもやの原因。
アレクが……護衛のアレクが、わたしには滅多にしないご挨拶のキスを初対面の相手にされたこと。それもアレクの目の前で。
わたし「ちがうの」って思わず声を上げそうになったの。エーミルがご挨拶のキスをする相手は、バートのはずよ。
わたしじゃないの。いや、でも騎士が男の子にキスはしないわね。でも、わたしじゃないのよっ。わたしも普通のご挨拶でよかったの。
「うわぁぁぁん」
わたしはごろごろとベッドの上でお行儀悪く転がった。
後頭部で結んでいたリボンは外れてしまい、綺麗に梳かしていた髪は乱れてしまっている。
どうしてアレクは、エーミルを止めてくれなかったの? 注意してくれなかったの? 甥っ子なんでしょう?
「バカ、アレクのバカ。アレクが先にキスをしてくれていたら、エーミルはわたしにはしなかったはずよ」
でも、普通は護衛はご挨拶のキスなんてしない。
アレクは間違ってない。
間違ってないし、子どもとはいえ主であるバートの前でエーミルを叱ったりはしないのも分かる。
もし初対面の護衛騎士が、目の前で叱られてるのを見たら、バートはエーミルのことをなんて思うか……。
分かってる、分かってるのよ。
だめ。同じことばかりぐるぐると考えてしまう。
ため息をつきつつ上体を起こし、八つ当たりされたぬいぐるみのアレクの頭を撫でた。
ごめんね、あなたはあのアレクじゃないのにね。
◇◇◇
なぜ私はエーミルがマルティナさまの手の甲にキスをしたのを、止めなかったのだろう。
正直、呆気にとられたというのはある。
だが、すぐに我に返った。
エーミル。お前、何をしているんだ、と。
私の姫さまに、何をするんだ、と。
いや、違う。私の姫さまではない。私がお守りする姫さまだ。いかん、これ以上は考えるな。考えてはいけないことだ。
エーミルにキスをされて姫さまは固まっておられた。
分かっていたのに、今後のバート殿下の護衛に支障がないようにと、そのことを優先させた。
職務上、当然のことなのに。
「叔父さまが仰っていた通りの方ですね」
「バート殿下のことか? おとなしくて人見知りでいらっしゃるからな」
「ええ、殿下もですが。姫さまもです」
私の隣を歩くエーミルの銀の髪が、さらりと風に揺れる。
「お生まれになった時から、叔父さまに守られてきたからでしょうね。ぼくよりも姫さまの方が、叔父さまと親しくていらっしゃる」
「……接する時間が長いからな」
「時間の問題でしょうか」
春の午後の風は、花の香りがして心地よいはずなのに。それを感じ取る余裕はなかった。
エーミルがマルティナさまに抱く気持ちは憧れなのか、あるいは恋心なのか。
初対面とはいえ、伯爵家の息子なのだから姫さまのお顔を拝見したことはあるのだし。姫さまのことは私から良く聞いて知っている。
エーミルのは憧れ……だよな? 私がマルティナさまに近すぎて、憧れの気持ちを抱かないだけだよな。
いかん、頭がぐるぐるする。
恋敵が甥っ子など嫌だぞ……え? 恋敵? なんの?
私は何を考えているんだ。
確かに姫さまは私を慕ってくださっているし、私も姫さまのことは大事に思っている。
でも、恋じゃないだろ。これは。
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