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三章
3、お散歩【1】
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王宮の中だから、危なくないと思うのだけれど。
日課になっているバートのお散歩に、エーミルがついてくることが多くなった。
普段はお母さまかわたし、お時間のある時はお父さまもお散歩についてきてくださる。
バートはもう六歳だし男の子だから足が速くって。
お庭を走り抜けて、守衛のいる門の近くまで行ってしまうの。
「待って。バート、だめよ転ぶわ」
「姫さま、私が」
アレクはバートを追いかけて行った。
遠くなる背中が、ふわふわした白い穂をつけた丈高い白銀葭に遮られて見えなくなってしまう。
それが少し不安になる。
まるでアレクが、妖精の国に去って行ってしまうかのようで。
わたしは自分でも気づかぬ内に手を伸ばしていた。夏ほどには濃くはない春の影が、ぼんやりとして見えるせいかしら。
「大丈夫です。殿下が転ぶ前にお助けいたします」
そう言って、エーミルも後を追う。
あ、バートがつまずいたわ。そう思った瞬間、アレクと追いついたエーミルの二人がバートを抱えた。
地面にぶつかるのを覚悟して目をきゅっと閉じていたバートは、自分の体が宙に浮かんでいることに驚いて。そして楽しそうに歓声を上げた。
「すごいね、とんでるね」
「はい。鳥みたいですね」
両腕を広げて、きゃっきゃとはしゃぐバート。エーミルはにこやかに微笑んでいる。
「いや。ここはまず勝手に走らないように進言すべきだろ。エーミル」
「そうですね。こほん、バートさま」
地面に降ろされたバートは「もっともっと」と、背伸びをしている。
エーミルはしゃがみこんで視線の高さをバートに合わせて「ぼくを置いて走ってはだめですよ」と注意をした。
「じゃあ、いっしょにはしったらいい?」
「え、えーと。手をつないで走る分には」
「て、つなご?」
「は?」
結局、エーミルはバートと手をつないで立ち上がった。走るといっても、エーミルにとっては早歩きくらいの速度だから。二人並んで王宮の庭をめぐることになってしまったみたい。
◇◇◇
エーミルから「勝手に走ってはいけない」と注意されたのに。まったくバートさまは、じっとしていらっしゃらない。
二人して手をつないでいたかと思うと「ちょうちょー」と言いながら、紋白蝶を追いかけた。突然手が離れたエーミルが、呆然としている。
うん、分かるぞ。ついさっき進言したばかりだものな。
私はバート殿下を再び追いかけた。
「わぁ、アレクにつかまった」
「はいはい。よく走れましたね。でもエーミルとのお約束を守っていませんよ」
「はっ。そうだった」
私はひょいとバート殿下を抱き上げると、肩に載せた。
バートさまは肩車がとてもお好きだ。王太子殿下……お父上に腕力がないので、大きくなったバート殿下を肩車してあげることができないのだ。
どちらかといえば華奢だからな、あのお方は。
肩より上にバートさまを持ちあげることができずに、唸っているクリスティアン王太子殿下をお見かけすると、つい手助けをしてしまう。
甘いなぁ、私も。
「たかいねぇ、アレク」
バート殿下は満面の笑みで、両手を挙げていらっしゃる。小さな手と指が、まるで青空を掴むかのように。
「あ、ちょうちょ。ねぇ、おいかけて」
「エーミルに『ごめんなさい』をしてからですよ」
「うん」
私の肩の上で「エーミル。やくそくやぶって、ごめんなさい」と、バート殿下がぺこりと頭を下げる。
ふわりと風に乗って飛んでいる白い蝶を、私はゆっくりと追った。
肩の上でバート殿下は嬉しそうな声を上げていらっしゃる。エーミルは「肩車は出来るようになった方がいいですか? ぼくは抱っこか背負うくらいなら出来ると思うのですが」と、尋ねてくる。
真面目だな、お前。
お小さいお子さまたちには、この広い庭が世界だ。何をしてはいけないのか、バート殿下も徐々に学ばれることだろう。そしていずれは外へとお出になる。
ふと視線を感じて振り返ると、物言いたげな表情の姫さまが立っていた。
「あー、おねえさまだぁ。おねえさまもする?」と私の肩の上でバート殿下が動くから。思わず殿下を落っことしそうになったじゃないか。
とっさに殿下の背を支えたエーミルが、両腕をのばした。
「バートさま。ぼくが抱っこして差し上げます」
「えー?」
「まぁ、そう仰らずに。さぁ、どうぞ」
明らかにバート殿下は引いている。私の頭にしがみついた。痛い、痛いですって。髪を引っ張らないでください。
「バート。せっかくの申し出ですから、お受けした方がいいですよ」
「でも……おねえさま」
「大丈夫。仲良くなれますよ」
「はぁい」
まるでお母さまである妃殿下のような口調だ。そのおかげか、マルティナさまの仰ることをバートさまはすぐに受け入れた。
大人におなりあそばしましたね。
涙が滲みそうになるのを、私は堪えた。
あんなにお小さくて、今のバートさまよりも幼かったのに。今ではもう立派な大人であり、レディですよ。
私はしゃがんでエーミルにバート殿下を引き渡した。
エーミルの指先は、微かに震えている。
大丈夫、すぐに慣れるさ。確かにこの子は王子さまだが、君が誰よりも近くにいて守るべき子なのだから。
私が頷くと、エーミルも頷いた。
日課になっているバートのお散歩に、エーミルがついてくることが多くなった。
普段はお母さまかわたし、お時間のある時はお父さまもお散歩についてきてくださる。
バートはもう六歳だし男の子だから足が速くって。
お庭を走り抜けて、守衛のいる門の近くまで行ってしまうの。
「待って。バート、だめよ転ぶわ」
「姫さま、私が」
アレクはバートを追いかけて行った。
遠くなる背中が、ふわふわした白い穂をつけた丈高い白銀葭に遮られて見えなくなってしまう。
それが少し不安になる。
まるでアレクが、妖精の国に去って行ってしまうかのようで。
わたしは自分でも気づかぬ内に手を伸ばしていた。夏ほどには濃くはない春の影が、ぼんやりとして見えるせいかしら。
「大丈夫です。殿下が転ぶ前にお助けいたします」
そう言って、エーミルも後を追う。
あ、バートがつまずいたわ。そう思った瞬間、アレクと追いついたエーミルの二人がバートを抱えた。
地面にぶつかるのを覚悟して目をきゅっと閉じていたバートは、自分の体が宙に浮かんでいることに驚いて。そして楽しそうに歓声を上げた。
「すごいね、とんでるね」
「はい。鳥みたいですね」
両腕を広げて、きゃっきゃとはしゃぐバート。エーミルはにこやかに微笑んでいる。
「いや。ここはまず勝手に走らないように進言すべきだろ。エーミル」
「そうですね。こほん、バートさま」
地面に降ろされたバートは「もっともっと」と、背伸びをしている。
エーミルはしゃがみこんで視線の高さをバートに合わせて「ぼくを置いて走ってはだめですよ」と注意をした。
「じゃあ、いっしょにはしったらいい?」
「え、えーと。手をつないで走る分には」
「て、つなご?」
「は?」
結局、エーミルはバートと手をつないで立ち上がった。走るといっても、エーミルにとっては早歩きくらいの速度だから。二人並んで王宮の庭をめぐることになってしまったみたい。
◇◇◇
エーミルから「勝手に走ってはいけない」と注意されたのに。まったくバートさまは、じっとしていらっしゃらない。
二人して手をつないでいたかと思うと「ちょうちょー」と言いながら、紋白蝶を追いかけた。突然手が離れたエーミルが、呆然としている。
うん、分かるぞ。ついさっき進言したばかりだものな。
私はバート殿下を再び追いかけた。
「わぁ、アレクにつかまった」
「はいはい。よく走れましたね。でもエーミルとのお約束を守っていませんよ」
「はっ。そうだった」
私はひょいとバート殿下を抱き上げると、肩に載せた。
バートさまは肩車がとてもお好きだ。王太子殿下……お父上に腕力がないので、大きくなったバート殿下を肩車してあげることができないのだ。
どちらかといえば華奢だからな、あのお方は。
肩より上にバートさまを持ちあげることができずに、唸っているクリスティアン王太子殿下をお見かけすると、つい手助けをしてしまう。
甘いなぁ、私も。
「たかいねぇ、アレク」
バート殿下は満面の笑みで、両手を挙げていらっしゃる。小さな手と指が、まるで青空を掴むかのように。
「あ、ちょうちょ。ねぇ、おいかけて」
「エーミルに『ごめんなさい』をしてからですよ」
「うん」
私の肩の上で「エーミル。やくそくやぶって、ごめんなさい」と、バート殿下がぺこりと頭を下げる。
ふわりと風に乗って飛んでいる白い蝶を、私はゆっくりと追った。
肩の上でバート殿下は嬉しそうな声を上げていらっしゃる。エーミルは「肩車は出来るようになった方がいいですか? ぼくは抱っこか背負うくらいなら出来ると思うのですが」と、尋ねてくる。
真面目だな、お前。
お小さいお子さまたちには、この広い庭が世界だ。何をしてはいけないのか、バート殿下も徐々に学ばれることだろう。そしていずれは外へとお出になる。
ふと視線を感じて振り返ると、物言いたげな表情の姫さまが立っていた。
「あー、おねえさまだぁ。おねえさまもする?」と私の肩の上でバート殿下が動くから。思わず殿下を落っことしそうになったじゃないか。
とっさに殿下の背を支えたエーミルが、両腕をのばした。
「バートさま。ぼくが抱っこして差し上げます」
「えー?」
「まぁ、そう仰らずに。さぁ、どうぞ」
明らかにバート殿下は引いている。私の頭にしがみついた。痛い、痛いですって。髪を引っ張らないでください。
「バート。せっかくの申し出ですから、お受けした方がいいですよ」
「でも……おねえさま」
「大丈夫。仲良くなれますよ」
「はぁい」
まるでお母さまである妃殿下のような口調だ。そのおかげか、マルティナさまの仰ることをバートさまはすぐに受け入れた。
大人におなりあそばしましたね。
涙が滲みそうになるのを、私は堪えた。
あんなにお小さくて、今のバートさまよりも幼かったのに。今ではもう立派な大人であり、レディですよ。
私はしゃがんでエーミルにバート殿下を引き渡した。
エーミルの指先は、微かに震えている。
大丈夫、すぐに慣れるさ。確かにこの子は王子さまだが、君が誰よりも近くにいて守るべき子なのだから。
私が頷くと、エーミルも頷いた。
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