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三章
5、「きゅん」は乙女がするものです
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ぷしゅう、と何かヤカンの湯が沸いたような音がしたように思えた。
ゆっくりと姫さまの手の甲から唇を離す。
ひざまずいたまま見上げると、マルティナさまがぐらりと私の方へ倒れてきた。
え、なんで?
あなた王女でしょうが。騎士にキスされるのなど、普通は慣れっこのはず。
そう考えて、思い直した。
そうだった。騎士にキスをされることに慣れていないのではなく、私にキスをされることに慣れていらっしゃらないのだ。
う、うう。やめてください。そういうの。
胸の奥がきゅんとするんです。こんなのいい年をした男が知るべき感情じゃないでしょうに。乙女がするもんです「きゅん」は。
「あ、あの。姫さま」
「……もうだめ、死んじゃう」
いや、死にませんよ。それくらいで。
私の腕の中でぐったりとしている姫さま。もっとお小さい頃なら、お部屋のベッドに運ぶのだが。もう立派なレディでいらっしゃるからなぁ、どうしたものか。
「おねえさま。どうしたの?」
駆け寄ってくるバート殿下と、王子を追いかけてやってくるエーミル。
二人とも心配そうな表情を浮かべて、姫さまの元へとやってくる。
マルティナさま。お気づきですか? あなたはこんなにも愛されて、大事にされているのですよ。
もちろん、私もその一人です。
「おねつ、でたの?」
「大丈夫よ、バート。すぐに治るから」
「でも、おかお、まっかだよ」
地面に座り込んだ姫さまの周りを、バートさまはおろおろしながら顔を覗きこんだり、ひたいに小さな手を添えたりしている。
「副団長、医師を呼んできましょうか?」
「いや、それには及ばない」
エーミルはどう対応していいか分からない様子で、立ち尽くしている。
そうだよな、分からないよな。
私もマルティナさまを子どもの頃からお世話していなかったら、途方に暮れただろう。
そう、うちの姫さまは私に愛されていることを実感すると、照れが極致に達して体に症状が出るのだ。
姫さまを抱き上げて、木陰へと場所を移す。
残念ながらハンカチしか持っていないので、敷物としては甚だ小さいのだが。
騎士服のポケットから白いハンカチを取り出して、姫さまをその上に座らせる。
「相変わらず丁寧なのね」
まだ頬を朱に染めたまま、マルティナさまはぽつりと呟いた。どうやら少し落ち着かれたようだ。
「丁寧というか、性分なのです」
「アレク自身が汚れてしまうのに?」
「姫さまを土で汚すくらいなら、私はいくら汚れても平気ですよ」
「アレクのそういうところが……」
そう言いかけて、マルティナさまは口をつぐんだ。
両手で顔を覆ってしまい、その表情は見えない。だが蜂蜜色の髪の間から見える耳朶が、先ほどよりも赤く染まっているのは見間違えではない。
姫さまの体調に問題がないと悟ったエーミルは、バート殿下をお連れして再び蝶を追いかけた。
さわさわと涼しい音を立てる白銀葭。
何度もこちらを振り返りながら立ち去るバート殿下に「大丈夫ですよ」と穏やかな言葉を掛けるエーミル。
「ほら、可愛い花が咲いていますよ」
「それ、なぁに?」
「たんぽぽですよ。野の花です」
黄色いたんぽぽを一本手折り、エーミルはそれをバート殿下にさしあげる。「そうだ、蝶を見失ってはいけませんね」と、先に進む。
我が甥っ子は、優しくて賢い子だ。
「姫さま、先ほどは何を仰っていたのですか?」
エーミルたちが、小声の届かない距離に行ったのを確認して、私は姫さまに問うた。
「何も言ってないもの」
「私のそういうところが……どうなのですか?」
姫さまは両膝に顔を埋めてしまわれた。
うーん、いちいち問う私は性格が悪いのかもしれない。
だが、はっきりと口に出させた方が、姫さまが楽になれる気がするのだ。
お小さい頃は、なんでも話して心を開いてくださっていた。
成長なさるごとに、本心を口にすることをためらうようになられて。だが、内に秘めることは姫さまのお心を苦しめている。
難しいなぁ、人というのは。本当に難しい。
ゆっくりと姫さまの手の甲から唇を離す。
ひざまずいたまま見上げると、マルティナさまがぐらりと私の方へ倒れてきた。
え、なんで?
あなた王女でしょうが。騎士にキスされるのなど、普通は慣れっこのはず。
そう考えて、思い直した。
そうだった。騎士にキスをされることに慣れていないのではなく、私にキスをされることに慣れていらっしゃらないのだ。
う、うう。やめてください。そういうの。
胸の奥がきゅんとするんです。こんなのいい年をした男が知るべき感情じゃないでしょうに。乙女がするもんです「きゅん」は。
「あ、あの。姫さま」
「……もうだめ、死んじゃう」
いや、死にませんよ。それくらいで。
私の腕の中でぐったりとしている姫さま。もっとお小さい頃なら、お部屋のベッドに運ぶのだが。もう立派なレディでいらっしゃるからなぁ、どうしたものか。
「おねえさま。どうしたの?」
駆け寄ってくるバート殿下と、王子を追いかけてやってくるエーミル。
二人とも心配そうな表情を浮かべて、姫さまの元へとやってくる。
マルティナさま。お気づきですか? あなたはこんなにも愛されて、大事にされているのですよ。
もちろん、私もその一人です。
「おねつ、でたの?」
「大丈夫よ、バート。すぐに治るから」
「でも、おかお、まっかだよ」
地面に座り込んだ姫さまの周りを、バートさまはおろおろしながら顔を覗きこんだり、ひたいに小さな手を添えたりしている。
「副団長、医師を呼んできましょうか?」
「いや、それには及ばない」
エーミルはどう対応していいか分からない様子で、立ち尽くしている。
そうだよな、分からないよな。
私もマルティナさまを子どもの頃からお世話していなかったら、途方に暮れただろう。
そう、うちの姫さまは私に愛されていることを実感すると、照れが極致に達して体に症状が出るのだ。
姫さまを抱き上げて、木陰へと場所を移す。
残念ながらハンカチしか持っていないので、敷物としては甚だ小さいのだが。
騎士服のポケットから白いハンカチを取り出して、姫さまをその上に座らせる。
「相変わらず丁寧なのね」
まだ頬を朱に染めたまま、マルティナさまはぽつりと呟いた。どうやら少し落ち着かれたようだ。
「丁寧というか、性分なのです」
「アレク自身が汚れてしまうのに?」
「姫さまを土で汚すくらいなら、私はいくら汚れても平気ですよ」
「アレクのそういうところが……」
そう言いかけて、マルティナさまは口をつぐんだ。
両手で顔を覆ってしまい、その表情は見えない。だが蜂蜜色の髪の間から見える耳朶が、先ほどよりも赤く染まっているのは見間違えではない。
姫さまの体調に問題がないと悟ったエーミルは、バート殿下をお連れして再び蝶を追いかけた。
さわさわと涼しい音を立てる白銀葭。
何度もこちらを振り返りながら立ち去るバート殿下に「大丈夫ですよ」と穏やかな言葉を掛けるエーミル。
「ほら、可愛い花が咲いていますよ」
「それ、なぁに?」
「たんぽぽですよ。野の花です」
黄色いたんぽぽを一本手折り、エーミルはそれをバート殿下にさしあげる。「そうだ、蝶を見失ってはいけませんね」と、先に進む。
我が甥っ子は、優しくて賢い子だ。
「姫さま、先ほどは何を仰っていたのですか?」
エーミルたちが、小声の届かない距離に行ったのを確認して、私は姫さまに問うた。
「何も言ってないもの」
「私のそういうところが……どうなのですか?」
姫さまは両膝に顔を埋めてしまわれた。
うーん、いちいち問う私は性格が悪いのかもしれない。
だが、はっきりと口に出させた方が、姫さまが楽になれる気がするのだ。
お小さい頃は、なんでも話して心を開いてくださっていた。
成長なさるごとに、本心を口にすることをためらうようになられて。だが、内に秘めることは姫さまのお心を苦しめている。
難しいなぁ、人というのは。本当に難しい。
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