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三章
6、ガーゼのハンカチ
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まだ顔が熱い気がするの。でも、さっきは耳が千切れそうなほどに熱かったから、それよりは随分とましだけれど。
わたしは両膝に埋めていた顔をそーっと上げた。
「もうご気分はよろしいですか?」
「うわっ」
目の前にアレクが座っていたから、妙な声が出ちゃった。
どうしてあなたまで草の上に座っているの?
こんなのまるで、小さい頃にままごとをしていた時みたいじゃない。
アレクが手を伸ばしてきて、わたしのひたいに触れる。
視界が仄暗く閉ざされて。大きくて、ひんやりとしたアレクのてのひらが、とても心地よい。
「不思議ですね。以前はこうして熱を計ったら、姫さまのお顔の半分以上が隠れてしまいましたのに」
そうね。今は目許まで隠れる程度だわ。
すぐにアレクの手が離れて、わたしは思わず彼の手首を掴んでしまった。
そして掴んだまま、どうしていいか分からなくなったの。
「姫さま?」
「あ、ごめんなさい。つい……」
謝っているのに、わたしの指はアレクから離れてくれない。まるで糊でくっついてしまったかのよう。
遠くからバートとエーミルの楽しそうな声が聞こえてくる。
「いいですよ、握っていらしても。痛くありませんから」
苦笑いを浮かべながらも、アレクの目は優しい。
普段よりも地面が近いから、土や草の匂いが強くて、懐かしい心地になる。
昔はエプロンドレスの裾を翻しながら、泉に水を汲みに行ったわ。ちょうどこの木の下に敷物を敷いて、アレクとままごとをしていたのね。
古びた木のカップに入れた水は、林檎酒のつもりで。幼かったわたしは林檎酒も葡萄酒も飲むことはなかったけれど。
でもね、ままごとに付き合ってくれるアレクは大人だったから。きっとミルクよりも林檎酒の方がいいと思ったの。
一応、配慮してたのよ。アレクは気づいてないでしょうけど。
子どもだったわたしには、どれがミントなどの香草か分からなかったから。その辺に生えている草をちぎって、彩として添えたんだったわ。
「懐かしいですね。この場所も」
「覚えてるの? アレク」
「ええ、姫さまが心を込めて作ってくださった泥団子は、忘れることはできませんよ」
「ケーキだってば」
「そうですね、ケーキです。ケーキ。こねて、こねて、さらにこねるケーキですよね」
アレクは笑いながらそう応じる。
もう、やっぱり泥団子って思ってるんじゃないの。
「あのどろだ……ケーキは、朝早く起きて一番に作っていたのよ」
あ、いけない。泥団子って言いそうになっちゃった。
「そうなんですか? 確かに、勤務時間にはもう出来上がっていたようですが」
「朝食前に泥……ケーキを丸めておいて、それから乾かして。次の日にまた朝一番に磨いて。あれでなかなか大変なのよ」
「姫さまは泥団子を作るのがお好きだったんですね」
感心したようにアレクは頷く。柔らかな光を宿した金の髪。わたしの髪よりも硬そうなのに、アレクの髪は意外と柔らかくて引っ張りやすいことを思い出した。
「泥団子が好きなんじゃないわ。アレクと遊ぶのが好きだったの」
そうよ。わたしはアレクに褒めてもらいたかったの。喜んでもらいたかったの。
今なら、いい大人がままごとでケーキを出されたからって、喜ぶはずがないのをわかっているのに。
でも、アレクはとても嬉しそうにしてくれたから。
「私も姫さまとままごとをするのは楽しかったですよ。私の為に、用意してくださったケーキも林檎酒、ですかね? カップからこぼしながらも運んできてくださったことは、とても嬉しいです」
アレクがポケットから何かを取り出した。
普段はイニシャルの刺繍の入った白いハンカチが騎士服のポケットには入っている。今も私の膝の下に敷いてある物。
でもアレクが手にしていたのは、白い色が褪せたガーゼのハンカチだった。
「すぐに転んで泣いておしまいになる姫さま。いつからでしょうね、転ばぬようになったのは」
「わたしが転ぶのは……」
「ええ、存じております。私の姿を見つけたり、私に駆け寄ろうとして転ぶんですよね」
柔らかくて石鹸の清々しい香りのするガーゼのハンカチが、頬に添えられる。
一瞬で、幼い頃に魂が戻っていくかのよう。
何度も水をくぐった柔らかなガーゼのハンカチは、まるでアレクそのもの。
わたしは安心して大泣きできたの。
だってアレクの腕の中に閉じ込められて、涙を拭いてもらえるんだもの。
わたしは両膝に埋めていた顔をそーっと上げた。
「もうご気分はよろしいですか?」
「うわっ」
目の前にアレクが座っていたから、妙な声が出ちゃった。
どうしてあなたまで草の上に座っているの?
こんなのまるで、小さい頃にままごとをしていた時みたいじゃない。
アレクが手を伸ばしてきて、わたしのひたいに触れる。
視界が仄暗く閉ざされて。大きくて、ひんやりとしたアレクのてのひらが、とても心地よい。
「不思議ですね。以前はこうして熱を計ったら、姫さまのお顔の半分以上が隠れてしまいましたのに」
そうね。今は目許まで隠れる程度だわ。
すぐにアレクの手が離れて、わたしは思わず彼の手首を掴んでしまった。
そして掴んだまま、どうしていいか分からなくなったの。
「姫さま?」
「あ、ごめんなさい。つい……」
謝っているのに、わたしの指はアレクから離れてくれない。まるで糊でくっついてしまったかのよう。
遠くからバートとエーミルの楽しそうな声が聞こえてくる。
「いいですよ、握っていらしても。痛くありませんから」
苦笑いを浮かべながらも、アレクの目は優しい。
普段よりも地面が近いから、土や草の匂いが強くて、懐かしい心地になる。
昔はエプロンドレスの裾を翻しながら、泉に水を汲みに行ったわ。ちょうどこの木の下に敷物を敷いて、アレクとままごとをしていたのね。
古びた木のカップに入れた水は、林檎酒のつもりで。幼かったわたしは林檎酒も葡萄酒も飲むことはなかったけれど。
でもね、ままごとに付き合ってくれるアレクは大人だったから。きっとミルクよりも林檎酒の方がいいと思ったの。
一応、配慮してたのよ。アレクは気づいてないでしょうけど。
子どもだったわたしには、どれがミントなどの香草か分からなかったから。その辺に生えている草をちぎって、彩として添えたんだったわ。
「懐かしいですね。この場所も」
「覚えてるの? アレク」
「ええ、姫さまが心を込めて作ってくださった泥団子は、忘れることはできませんよ」
「ケーキだってば」
「そうですね、ケーキです。ケーキ。こねて、こねて、さらにこねるケーキですよね」
アレクは笑いながらそう応じる。
もう、やっぱり泥団子って思ってるんじゃないの。
「あのどろだ……ケーキは、朝早く起きて一番に作っていたのよ」
あ、いけない。泥団子って言いそうになっちゃった。
「そうなんですか? 確かに、勤務時間にはもう出来上がっていたようですが」
「朝食前に泥……ケーキを丸めておいて、それから乾かして。次の日にまた朝一番に磨いて。あれでなかなか大変なのよ」
「姫さまは泥団子を作るのがお好きだったんですね」
感心したようにアレクは頷く。柔らかな光を宿した金の髪。わたしの髪よりも硬そうなのに、アレクの髪は意外と柔らかくて引っ張りやすいことを思い出した。
「泥団子が好きなんじゃないわ。アレクと遊ぶのが好きだったの」
そうよ。わたしはアレクに褒めてもらいたかったの。喜んでもらいたかったの。
今なら、いい大人がままごとでケーキを出されたからって、喜ぶはずがないのをわかっているのに。
でも、アレクはとても嬉しそうにしてくれたから。
「私も姫さまとままごとをするのは楽しかったですよ。私の為に、用意してくださったケーキも林檎酒、ですかね? カップからこぼしながらも運んできてくださったことは、とても嬉しいです」
アレクがポケットから何かを取り出した。
普段はイニシャルの刺繍の入った白いハンカチが騎士服のポケットには入っている。今も私の膝の下に敷いてある物。
でもアレクが手にしていたのは、白い色が褪せたガーゼのハンカチだった。
「すぐに転んで泣いておしまいになる姫さま。いつからでしょうね、転ばぬようになったのは」
「わたしが転ぶのは……」
「ええ、存じております。私の姿を見つけたり、私に駆け寄ろうとして転ぶんですよね」
柔らかくて石鹸の清々しい香りのするガーゼのハンカチが、頬に添えられる。
一瞬で、幼い頃に魂が戻っていくかのよう。
何度も水をくぐった柔らかなガーゼのハンカチは、まるでアレクそのもの。
わたしは安心して大泣きできたの。
だってアレクの腕の中に閉じ込められて、涙を拭いてもらえるんだもの。
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