小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃

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四章

8、たからもの

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 姫さまは、どうやら私が姫さまに甘えて眉間に指をおいたと勘違いなさっているらしい。
 どこをどう解釈したら、そうなりますかね?
 ほんの少し前まで、よちよちと私の後を追いかけていらしたくせに。

 姫さまにとっては、お小さい頃は「昔」なのでしょうが。私にとってはほんの十年ほど前のことなのですよ?
 木の根っこにつまずいては転びそうになった姫さまを、私は何度抱えてお助けしたことでしょう。
 
「はい。早く借りてきてください。ご自分で手続きできますね」
「大丈夫」

 本当かなぁ。
 不安ではあるが口には出さない。
 公務は頑張っておられるが。マルティナさまは、とびきりの世間知らずで箱入り娘なのだから。

 貸し出しの為に図書カードの手続きをなさっているが、さすがに王女であることは伏せてある。普通は王宮の職員が代わりに借りてくるものだし。図書館の職員には守秘義務があるだろうが、どこから情報が洩れるか分からないからだ。
 一応は私の実家である伯爵家の血縁ということにした。

 マルティナという名前を偽名にしなかったのは、きっと次に借りる時に偽名を忘れるか、綴りを間違える可能性があるからだ。
 普通、人は自分の名前の綴りを間違えない。

 この国の王女が、ロマンス小説に夢中とか……さすがにばれるわけにはいかないよなぁ。
 理想であるのは分かっているし、読んでいて楽しくもないだろうが、やはり王女であれば詩集とか文学とかがいいよなぁ。

 マルティナさまにとっての文学は、効果的な睡眠導入剤なのだから。
 
 結局私は、手助けはしないがマルティナさまの背後でじーっと見守る怪しい人物になってしまった。

 マルティナさまは、ご自分の名前に続けて私の姓である「リンデルゴート」と記した。その途端、なぜか両手で頬を押さえている。

 どうなさいましたか? 突然、歯が痛みましたか?
 口には出さないが、慌てて姫さまの隣に立つ。
 すると姫さまは紺青のインクのついたペンを右手に持ったまま、左手の指で木のカウンターにくるくると円を描いていらっしゃる。
 
 あ、心配するんじゃなかった。
 分かるぞ、姫さまの脳内は。私と結婚したご自分の名前に、うっとりなさっているのだろう。
 それが自惚れでないと分かるくらいには、私は姫さまとの付き合いが長い。

 ご自分の図書カード(名前はマルティナ・リンデルゴートとしているが)を、姫さまはとても嬉しそうにご覧になっている。

 図書館の重い木の扉を開けてさしあげると、姫さまは石段を下りる前に立ち止まった。
 そして図書カードを陽にかざして、またにっこりとなさるのだ。
 借りたロマンス小説よりも、私の姓の入った図書カードばかりを眺めていらっしゃる。

 そのとろけそうな表情を見ているだけで、私までつられて微笑んでしまいそうだ。いや、実際に微笑んでいたかもしれない。

「ね、マルティナ・リンデルゴートですって」
「はい、そうですね」
「偽名だけど偽名じゃないのよ」
「ええ、いずれは本名になりますね」

 私の答えに、姫さまはそれはもうまばゆい笑みを浮かべた。

「このカード、一生の宝物にするわ」

 風に色などついていないのに、まるで黄水晶や琥珀の微細なかけらをちりばめたような、きらめく秋風が、姫さまのスカートの裾を揺らした。
 
 たかが図書カードを宝物にするなどと、笑うことはできない。
 なぜならば、私は姫さまが描いてくださった絵も、お小さい頃にくださった水色のリボンもずっと大切にしているからだ。

 おそらく絵もリボンも、私にとっては一生の宝物なのだろう。

「奇遇ですね。私にも一生の宝物がありますよ」
「なぁに? 教えて」
「内緒です」

「えーっ」と不満そうな声を洩らす姫さまを眺める時間も、また私の宝なのだろう。
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