小さな姫さまは護衛騎士に恋してる

絹乃

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四章

12、新しい住処【1】

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 春になり、わたしとアレクの新生活ために、お父さまは宮殿の主邸とは別の館をくださった。
 お庭を挟んで反対側に位置するその館はあまり広くないし二階もないので、二人で住むのにちょうど良い大きさ。

 長らく使われていなかったその館は、丹念に掃除されている。とても清潔で、でも時を経た美しさが床にも、磨き上げられた階段の手すりにも感じられる。
 窓からはいつものお庭の向こうに、わたしのお部屋の窓も小さく見える。 

「何か欲しいものはあるかい? マルティナ」

 お父さまに問いかけられて、わたしは困ってしまった。だって家具などの調度品はもともと揃えられているし、磁器の食器も銀のカトラリーも茶器も申し分ないわ。
 宝飾品は、アレクがくれた蒼い石の指輪が一番のお気に入りで。そのほかは公務の時につけている真珠の首飾りやイヤリングだってあるもの。ドレスやお洋服も充分にあるし。

 装飾の少ないシンプルな館だから、重厚な絵画は似合わないし。

「思いつかないのでしたら、わたし達で贈り物を考えてもいいかしら」
「ええ、お母さま。お願いします」

 お母さまの助け舟で、わたしはほっとした。
 だってお父さまったら「遠慮しなくていいのに」「たとえ結婚してもマルティナは私の娘なのだからな」って寂しそうなんですもの。

「アレクサンドルと喧嘩したら、帰って来てもいいんだぞ」
「あの、帰るって。歩いて数分だけど」
「それでもだ」

 蒼い目を涙を潤ませながら、お父さまがわたしを見つめている。
 
 嫁ぐって、好きな人と一緒になることと思っていたけれど。それは新たに家庭を築くことで。人によってその距離は違うけれど、今までの家族とは離れてしまうことなのだとようやく気づいた。

「ありがとうお父さま」

 わたしはお父さまにしがみついた。
 小さい頃、お父さまに抱っこされると怖くって。アレクみたいにがっしりとしていないし、しかも降りるには抱っこの高さがあって。わたしは木から降りられない猫みたいに、逆にお父さまをよじ登ろうとしていた。

 いつからか、お父さまの抱っこは椅子に座っての状態になって。わたしも落ち着いて抱っこしてもらっていたのだけれど。
 あの頃から、もうずいぶんと経ってしまったのね。

 わたしの傍にはお母さまが、瞳を潤ませながら微笑んでいる。
 かつてお父さまから聞いた話では、お母さまは実家を追放されて、身一つで海を越え国境を越えてお父さまに嫁いだという。

 妃殿下となったお母さまは、ご自分がつらい思いをして育っているはずなのに。わたしにはつらいことを強いることは決してなかった。

 本当にわたしは愛されて、恵まれて育っている。それを忘れてはいけないのだわ。

◇◇◇

 新しく住まう館を出ると、アレクが待っていてくれた。
 きっと親子の会話の邪魔にならないように、気を遣ってくれたのね。

「アレクは荷物を運ばなくていいの?」
「まぁ、宿舎住まいですから。服くらいしかありませんね」

 日は西に傾き、黄金色の光がアレクの髪を輝かせている。まるで淡い蜂蜜色の琥珀の粒をちりばめたみたいに。

 ふわりとしたものが風に舞っている。
 小さなふわふわがアレクの髪に降りてきて、ようやくたんぽぽの綿毛だと気づいた。

 わたしは背伸びをして手を伸ばす。
 ただ綿毛を取ろうとしただけなのに。アレクは急にきつく瞼を閉じた。

「え? 大丈夫よ。たんぽぽの綿毛がついているだけなの」
「すみません、つい」

 ゆっくりと瞼を開いたアレクは、うろたえたように足下の敷石ばかりを見つめている。
 さっき「喧嘩をしたら」なんて言われたばかりだから、つい気になってしまう。

「アレク?」
「いえ、その。殿下が『やはりアレクサンドルとの結婚は、もう少し考えた方がいいのではないか』と仰っていたらと思うと……」
「思うと?」

 重ねて問うと、アレクは青が滲むような春の空を仰いで、小さく息をついた。
 まるで重大なことを告白するかのように。

「二度目です、人生で怖さを感じたのは。一度目は……まぁ恥ずかしいので伏せておきますが。姫さまとの結婚が叶わないかもしれないと、ふと考えると。手が震えるのですよ」
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