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四章
13、新しい住処【2】
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マルティナさまは、私の言葉の真意があまり分からないようだった。
私の髪についていたたんぽぽの綿毛を、指でつまんで困ったように眉を下げていらっしゃる。
赤ん坊の頃から、お傍にいたせいだろうか。
マルティナさまは、私が護衛であることは当然理解しておられるが。王族と貴族、しかも嫡男ではない次男という身分の差を気にせずにいらっしゃる。
殿下も妃殿下も、そして陛下も。マルティナさまの恋心を優先して結婚を認めてくださった。
だが、いつ誰が「やはり王女には相応の結婚相手がふさわしい」と言い出すかもしれないと思うと、怖くて仕方がないのだ。
つい先日も、姫さまと私の結婚を批判する者がいたというのだから。殿下も妃殿下も、当然姫さまもそのことに心を痛めておられた。
月明りが消え失せて、闇の中で星だけが瞬く夜中に目覚めると、マルティナさまとの日々が儚い夢なのではないかと思うことがある。
一人きりの朝食、一人きりの夕食。
伯爵家を出て騎士団に入り、近衛騎士になりこの宿舎で暮らすようになってからは、それが当たり前の日々だった。
一人の食事を寂しいと感じこともなかった。
なのに、いつからだろうか。仕事を終えてマルティナさまと翌朝まで会えない時間を寂しいと思うようになったのは。
幼い頃のマルティナさまが描いてくださった絵をいつまでも貼っているのは、もしかすると夢ではないと実感したいからかもしれない。
それほどに私は……。
「こんなにもマルティナさまのことを恋い慕っているとは、自分でも驚きです」
ぽつりと洩らした言葉に、はっとした。
私は何を言っているんだ。
結婚前に気弱になるのはマタニティブルー? 違う、それは子どもができる時だ。ではなくてマリッジブルー? え? この私が?
脳内に次々と浮かんでくる言葉に混乱していると、マルティナさまが背伸びをして私の頭に手を添えた。
また綿毛か? と思ったが。姫さまは「大丈夫よ」と仰いながら、私の頭を撫でる。まるで弟のバート殿下になさるように。
「わたしはアレクと結婚するの。誰も止められないわ。だって強い意志の持ち主だもの。お父さまからアレクを奪ったくらいには」
「確かに」
優しい手つきで頭を撫でられて、ほっとした。強張っていた心が、透明で硬い氷がつぎつぎと溶けていくような気がする。
ご存じですか? マルティナさま。
私だけがどうやら自らを冬の中に置いていたようです。
たんぽぽと一緒に姫さまが、春を運んでくださるのです。そして非力でいらっしゃるのに力ずくで、私を引っ張っていくのですね。昔も、そして今も。
「それからね、姫さまは無しよ」
「そうですね。お名前でお呼びしましょう」
「『さま』もいらないんだけど。『マルティナ』って呼んでほしいわ」
「……難しいですね。呼び捨ては慣れませんし『さま』をつけないと収まりが悪いくらいには、私はマルティナさまとお呼びしていますよ」
「それもそうね」とマルティナさまは苦笑なさった。
二人で庭を歩いている途中、マルティナさまが立ちどまり後ろをふり返った。蜂蜜を思わせる甘い色の髪がふわりと揺れる。
「ね、見て。アレクとわたしの新しい……といっても古いけれど、お家よ」
お家というより館ですね。王宮が大きすぎるので比較で小さく見えるのです。
こじんまりとした宿舎で暮らしているから、大きく見えるのだろうが。確かに実家の伯爵家もなかなかに大きかったな、とふと思い出した。
「わたしね、夜中に目が覚めると怖くなるの。アレクとの結婚が夢なんじゃないかって。だからね、婚約の指輪を確認して『ああ、よかった。現実だわ』って安心するの。そうしたらよく眠れるのよ」
「なんだ、同じでしたか」
マルティナさまの思わぬ告白に、私は小さく笑った。マルティナさまは、今も私が贈った指輪をつけていらっしゃる。
「マタニティブルーかしら」
「まだ何もしていません。キス以外は」
「え?」
「いえ、こちらのことです」
間違えるところまで同じとは。どれだけ仲がいいんだ、私たちは。
「ところで、一度目の怖い経験ってなぁに?」
「内緒です。申し上げたでしょう? 恥ずかしいから言わないと」
「えー。ずるいっ」
マルティナさまは口を尖らせて、私の袖を引っ張るが。言えるはずがないでしょう?
同じこの庭で、姫さまがこしらえた泥団子を投擲弾だと見間違えたなどと。
いつ爆発するかもしれない武器で無邪気に遊ぶマルティナさまを見かけた時。あの時が人生で一番恐ろしく、また命を投げ出す覚悟もしたのだった。
だが恥ずかしいので、絶対に言いません。
私の髪についていたたんぽぽの綿毛を、指でつまんで困ったように眉を下げていらっしゃる。
赤ん坊の頃から、お傍にいたせいだろうか。
マルティナさまは、私が護衛であることは当然理解しておられるが。王族と貴族、しかも嫡男ではない次男という身分の差を気にせずにいらっしゃる。
殿下も妃殿下も、そして陛下も。マルティナさまの恋心を優先して結婚を認めてくださった。
だが、いつ誰が「やはり王女には相応の結婚相手がふさわしい」と言い出すかもしれないと思うと、怖くて仕方がないのだ。
つい先日も、姫さまと私の結婚を批判する者がいたというのだから。殿下も妃殿下も、当然姫さまもそのことに心を痛めておられた。
月明りが消え失せて、闇の中で星だけが瞬く夜中に目覚めると、マルティナさまとの日々が儚い夢なのではないかと思うことがある。
一人きりの朝食、一人きりの夕食。
伯爵家を出て騎士団に入り、近衛騎士になりこの宿舎で暮らすようになってからは、それが当たり前の日々だった。
一人の食事を寂しいと感じこともなかった。
なのに、いつからだろうか。仕事を終えてマルティナさまと翌朝まで会えない時間を寂しいと思うようになったのは。
幼い頃のマルティナさまが描いてくださった絵をいつまでも貼っているのは、もしかすると夢ではないと実感したいからかもしれない。
それほどに私は……。
「こんなにもマルティナさまのことを恋い慕っているとは、自分でも驚きです」
ぽつりと洩らした言葉に、はっとした。
私は何を言っているんだ。
結婚前に気弱になるのはマタニティブルー? 違う、それは子どもができる時だ。ではなくてマリッジブルー? え? この私が?
脳内に次々と浮かんでくる言葉に混乱していると、マルティナさまが背伸びをして私の頭に手を添えた。
また綿毛か? と思ったが。姫さまは「大丈夫よ」と仰いながら、私の頭を撫でる。まるで弟のバート殿下になさるように。
「わたしはアレクと結婚するの。誰も止められないわ。だって強い意志の持ち主だもの。お父さまからアレクを奪ったくらいには」
「確かに」
優しい手つきで頭を撫でられて、ほっとした。強張っていた心が、透明で硬い氷がつぎつぎと溶けていくような気がする。
ご存じですか? マルティナさま。
私だけがどうやら自らを冬の中に置いていたようです。
たんぽぽと一緒に姫さまが、春を運んでくださるのです。そして非力でいらっしゃるのに力ずくで、私を引っ張っていくのですね。昔も、そして今も。
「それからね、姫さまは無しよ」
「そうですね。お名前でお呼びしましょう」
「『さま』もいらないんだけど。『マルティナ』って呼んでほしいわ」
「……難しいですね。呼び捨ては慣れませんし『さま』をつけないと収まりが悪いくらいには、私はマルティナさまとお呼びしていますよ」
「それもそうね」とマルティナさまは苦笑なさった。
二人で庭を歩いている途中、マルティナさまが立ちどまり後ろをふり返った。蜂蜜を思わせる甘い色の髪がふわりと揺れる。
「ね、見て。アレクとわたしの新しい……といっても古いけれど、お家よ」
お家というより館ですね。王宮が大きすぎるので比較で小さく見えるのです。
こじんまりとした宿舎で暮らしているから、大きく見えるのだろうが。確かに実家の伯爵家もなかなかに大きかったな、とふと思い出した。
「わたしね、夜中に目が覚めると怖くなるの。アレクとの結婚が夢なんじゃないかって。だからね、婚約の指輪を確認して『ああ、よかった。現実だわ』って安心するの。そうしたらよく眠れるのよ」
「なんだ、同じでしたか」
マルティナさまの思わぬ告白に、私は小さく笑った。マルティナさまは、今も私が贈った指輪をつけていらっしゃる。
「マタニティブルーかしら」
「まだ何もしていません。キス以外は」
「え?」
「いえ、こちらのことです」
間違えるところまで同じとは。どれだけ仲がいいんだ、私たちは。
「ところで、一度目の怖い経験ってなぁに?」
「内緒です。申し上げたでしょう? 恥ずかしいから言わないと」
「えー。ずるいっ」
マルティナさまは口を尖らせて、私の袖を引っ張るが。言えるはずがないでしょう?
同じこの庭で、姫さまがこしらえた泥団子を投擲弾だと見間違えたなどと。
いつ爆発するかもしれない武器で無邪気に遊ぶマルティナさまを見かけた時。あの時が人生で一番恐ろしく、また命を投げ出す覚悟もしたのだった。
だが恥ずかしいので、絶対に言いません。
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