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12章 降りしきる雨の帳にて、本棚の隙間が開く扉。英雄譚は少女の瞳に再び息づきて
第28話
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【勇者リウス物語 第一章】
その日、森はいつもより静かだった。
木々のざわめきさえ忘れ、古き世界が一呼吸を置いたような、あの不吉と祝福を同時に孕んだ沈黙が――後に語り草となる英雄の始まりを包み込んでいた。
倒木の裂け目に、ひとつの麻布の包みが置かれていた。
風の道から僅かに外れたその場所は、獣たちが足を止める縄目のような地点で、赤子がそこに現れたことは、すでに人の手を超えた事情を思わせた。
包みの中の小さな命は、泣き声すら森に吸い取られそうなほど儚く、それでも確かに世界へ向かって鼓動していた。
星のように煌めく瞳が印象的だった赤子は、子を持たなかった村の夫婦の腕に抱かれ、名を授かった。
名は、星の煌めきを意味する「リウス」と呼ばれるようになった。
その名は後に大陸全土へ響き渡るが、この時はただ、ひとつの村の日常を少し温かくするだけの存在だった。
◆
リウスは成長するごとに、村の子らと同じ土を踏んでいるにもかかわらず、どこか普通の子とは違っていた。
木剣を握れば、一度目は不器用であっても、二度目には形を得、三度目にはまるで長年の鍛錬を経た者のような軌跡を描いた。
身のこなしは、努力という言葉では説明できず、むしろ、人の形に宿るべきでない“何か”が最初からリウスに宿っているのではと、村人たちは次第に気づきはじめた。
リウス、十四歳の年。
夏の終わり。
その日だけ、村近くの森の空気が一段と重かった。
湿った苔の匂いに紛れて、腐敗した臭いがあったという。それが魔族の瘴気だと気づいたのは、後になってからのことである。
魔族に引き寄せられた魔獣の群れが、夕闇とともにリウスの村へ押し寄せた。
地を踏み鳴らす音は雷鳴のように響き、畑を割り、家畜を蹴散らし、人々は生き延びるためにただ逃げた。
それは、弱き者にとっての本能であり、恥ではない。
しかしその渦中にあって、逃げるという選択だけが、リウスには与えられていなかった。
リウスが剣を握る手は、恐怖ではなく、まるで“確かめる”ために震えていた。
押し寄せる魔獣の群れを薙ぎ払い、群れの奥にいる黒角の魔獣――群れを統べる一体――の前に立ちはだかる。
戦いは語り継がれるよりも短く、しかし確かに凄絶だった。
黒角の魔獣は巨体で、成人した兵士数人を容易く裂く力の持ち主であったが、リウスは勇猛果敢に立ち向かう。
跳躍の軌跡は風を割き、剣閃は夜を刻む白線となり、最後に獣の咆哮を断ち切ったとき、村に残ったのは深い静寂だけだった。
その静寂の中で、村人たちはようやく気づいた。
リウスの足元で息絶えた黒角の巨影と、血に濡れた剣を握りながらも不思議なほど澄んだ横顔を。
この戦果は、後に「勇者」と語られる最初の証であった。
◆
魔獣退治の話は、火打石の火が布に燃え移るように、素早く王都へ届いた。
王国は魔王復活の兆しに悩まされていた時代であり、討伐に足る人物を探していた最中だったという。
ゆえにこの噂は、王国にとってただの田舎の武勇談ではなかった。
むしろ、長き沈黙を破る風向きの変化として受け止められた。
やがて、王国の紋章を掲げた使者が、リウス村に訪れた。
使者たちの到来は、リウスを村という揺りかごから引き剥がす運命の最初の接触でもあった。
こうして、森の影に置き去られたひとりの赤子は、わずか十四の齢にして、魔王討伐の名簿に加えられることとなった。
それはまだ、本人の意志や野心とは遠く、ただ世界がリウスを必要としたがゆえの指名ではあった。
だがしかし、のちに世に語られる勇者リウスの物語は、この瞬間に静かに幕を開けたのである。
その日、森はいつもより静かだった。
木々のざわめきさえ忘れ、古き世界が一呼吸を置いたような、あの不吉と祝福を同時に孕んだ沈黙が――後に語り草となる英雄の始まりを包み込んでいた。
倒木の裂け目に、ひとつの麻布の包みが置かれていた。
風の道から僅かに外れたその場所は、獣たちが足を止める縄目のような地点で、赤子がそこに現れたことは、すでに人の手を超えた事情を思わせた。
包みの中の小さな命は、泣き声すら森に吸い取られそうなほど儚く、それでも確かに世界へ向かって鼓動していた。
星のように煌めく瞳が印象的だった赤子は、子を持たなかった村の夫婦の腕に抱かれ、名を授かった。
名は、星の煌めきを意味する「リウス」と呼ばれるようになった。
その名は後に大陸全土へ響き渡るが、この時はただ、ひとつの村の日常を少し温かくするだけの存在だった。
◆
リウスは成長するごとに、村の子らと同じ土を踏んでいるにもかかわらず、どこか普通の子とは違っていた。
木剣を握れば、一度目は不器用であっても、二度目には形を得、三度目にはまるで長年の鍛錬を経た者のような軌跡を描いた。
身のこなしは、努力という言葉では説明できず、むしろ、人の形に宿るべきでない“何か”が最初からリウスに宿っているのではと、村人たちは次第に気づきはじめた。
リウス、十四歳の年。
夏の終わり。
その日だけ、村近くの森の空気が一段と重かった。
湿った苔の匂いに紛れて、腐敗した臭いがあったという。それが魔族の瘴気だと気づいたのは、後になってからのことである。
魔族に引き寄せられた魔獣の群れが、夕闇とともにリウスの村へ押し寄せた。
地を踏み鳴らす音は雷鳴のように響き、畑を割り、家畜を蹴散らし、人々は生き延びるためにただ逃げた。
それは、弱き者にとっての本能であり、恥ではない。
しかしその渦中にあって、逃げるという選択だけが、リウスには与えられていなかった。
リウスが剣を握る手は、恐怖ではなく、まるで“確かめる”ために震えていた。
押し寄せる魔獣の群れを薙ぎ払い、群れの奥にいる黒角の魔獣――群れを統べる一体――の前に立ちはだかる。
戦いは語り継がれるよりも短く、しかし確かに凄絶だった。
黒角の魔獣は巨体で、成人した兵士数人を容易く裂く力の持ち主であったが、リウスは勇猛果敢に立ち向かう。
跳躍の軌跡は風を割き、剣閃は夜を刻む白線となり、最後に獣の咆哮を断ち切ったとき、村に残ったのは深い静寂だけだった。
その静寂の中で、村人たちはようやく気づいた。
リウスの足元で息絶えた黒角の巨影と、血に濡れた剣を握りながらも不思議なほど澄んだ横顔を。
この戦果は、後に「勇者」と語られる最初の証であった。
◆
魔獣退治の話は、火打石の火が布に燃え移るように、素早く王都へ届いた。
王国は魔王復活の兆しに悩まされていた時代であり、討伐に足る人物を探していた最中だったという。
ゆえにこの噂は、王国にとってただの田舎の武勇談ではなかった。
むしろ、長き沈黙を破る風向きの変化として受け止められた。
やがて、王国の紋章を掲げた使者が、リウス村に訪れた。
使者たちの到来は、リウスを村という揺りかごから引き剥がす運命の最初の接触でもあった。
こうして、森の影に置き去られたひとりの赤子は、わずか十四の齢にして、魔王討伐の名簿に加えられることとなった。
それはまだ、本人の意志や野心とは遠く、ただ世界がリウスを必要としたがゆえの指名ではあった。
だがしかし、のちに世に語られる勇者リウスの物語は、この瞬間に静かに幕を開けたのである。
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