グリモワールなメモワール、それはめくるめくメメントモリ

和本明子

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第14話 【約束】

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 あの日、あの時、マリンの手をにぎりしめながら、リサは微笑ほほえんでそう言ってくれた。

 その言葉を、マリンはずっと胸の奥に仕舞しまい込んでいた。苦しくて、思い出すたびに心が引き裂かれるようで、ふうじ込めていた。

 だけど今、その封が解かれ、思い出がせきを切ったようにあふれ出してきた。

 涙がとめどなく流れ、マリンはその場に崩れ落ちた。
 嗚咽おえつがこぼれ、胸の奥がぎゅっとめ付けられる。

「‥‥ママぁ‥‥ママぁ‥‥!」

 母を思い出すと、胸が痛かった。苦しかった。だから、思い出すことを止めて、やがて忘れてしまった。

 けれど、母の温もり、母の声、母の愛しさ、母の“約束”。それはたしかに、マリンの中に生きていた。

 そう、母は、もういない。けれど――いなくなっても、完全に失われたわけではない。
 マリンは大粒おおつぶなみだを流しながら、口を両手でおおい、嗚咽おえつをこらえた。
 リサの姿をした“何か”は、無表情むひょうじょうのままマリンをじっと見つめ続けていた。

 マリンのなげきをよそに、灰色の魔女はややかに微笑ほほえみ、関心かんしんしめさないまましずかに視線しせんをチハルへと移した。ただ自分の使命しめいを果たす為に、事務的じむてきな口調で言葉をげる。

「――さて。今度はアナタの番よ。どんな願いを叶えて欲しいの?」

 チハルは今にもくずれそうなほどきじゃくるマリンを見つめたまま、魔女に言いはなつ。

「‥‥私が、マリンちゃんのお母さんを、ちゃんと‥‥マリンちゃんと一緒に過ごしていた頃と同じように‥‥生き返らせて、と願ったら‥‥叶えてくれるんですか?」

 声は震えていたが、意志いしの強さがにじんでいた。
 魔女は表情ひょうじょうを変えず、ふっと小さく息を吐いた。

「‥‥さっきも言ったでしょう? それは“ちゃんと”生き返らせているわよ」

 抑揚よくようのない声だった。

「だけど‥‥」

 チハルの言葉は途中で詰まった。
 “だけど、あれはマリンちゃんのママじゃない”。――喉元のどもとまで出かけたその言葉を、どうしても言えなかった。
 願いを叶えたはずなのに、マリンはあんなにも泣いている。あれが良かったなんて、到底とうてい思えなかったのに。

 灰色の魔女はもう、興味きょうみを失ったようにかるかたをすくめた。

「‥‥願いがないなら、ここでおひらきかしらね。どんな物語にも必ず終わりはやってくる。その終わりは、読者が望まない終わりだってある。この物語はここまでね。さようなら」

「‥‥あっ! 待って――!」

 チハルが声を上げた瞬間には、もう遅かった。

 魔女とリサの姿は、けむりのようにふっとうすれ、揺らめく幻影げんえいのように消えていった。まるで最初からそこにいなかったかのように。

「あ、マ‥‥」

 マリンは言葉を途中とちゅうで飲み込んだ。母に似た存在にママと呼ぶのをこばんだのだ。
 けれど、深く息を吸い、胸の奥でふるえる感情かんじょうをそっと整えてから、マリンは小さく口を開く。

「ありがとう‥‥ママを思い出せてくれて」

 それは感謝かんしゃの言葉だった。
 忘れていた母との日々、母との大切な約束。
 いとしさがかなしみを上塗うわぬりしてくれた。

 そして――塔が鳴動めいどうした。

 床が低くうなりを上げ、空間がわずかに震える。空気が急にあわくなり、視界の端がぼやけ始める。
 高くそびえていた石の壁が、まるで霧が晴れるように薄れ、崩れ、静かに形を失っていく。

「えっ‥‥なに‥‥!? 塔が‥‥!」

 三人は突然、足元の感覚かんかくうしない、糸の切れたたこのように、ゴミの大地へと急降下きゅうこうかを始めた。

「きゃあっ!?」
「うわっ、落ちる――っ!」

 三人の叫び声が虚空こくうに消える。目を閉じたその一瞬、チハルは念じた。

 そのときだった。

 空の果て、はるか彼方かなたから目眩めくるめ虹色にじいろの光が現れた。
 それは残光ざんこうを引きながら、一直線いっちょくせんにこちらへ向かってくる。

 次の瞬間、巨大な青い翼が広がり、空気を切り裂く音と共に三人の体をやさしく包み込んだ。
 不思議な感触かんしょく。まるで空そのものに抱きとめられたような心地ここちだった。

 その正体しょうたいは――

「えっ‥‥あれ、ポータ‥‥?」

 チハルがおそおそるつぶやくと、巨鳥は「そうだよ」とでも言いたげに、低く優しく「クルルン」と鳴いた。

 その声にレンが頓狂とんきょな声をあげる。

「マジで!? あのポータ!? あの――あの、むっくりとしたポータが、こんなカッコよくてデカい鳥になっているんだよ!?」

 金色に縁取ふちどられた大きな瞳、七色に輝く巨大きょだいな翼、神話に登場する神獣しんじゅうのような威厳いげんと美しさをあわせ持った姿。それが幸せの青い鳥ポータの真の姿であった。
 そう、ネタバレになるのだが、ポータは実は神獣しんじゅうの子供であり、見たものを幸運を招くと呼ばれる瑞鳥ずいちょうなのだ。
 普段の“鶏のようなずんぐりむっくり姿”からは到底想像とうていそうぞうもつかない、気高けだか堂々どうどうとした姿であった。

「‥‥ところでなんで、ポータが助けにやってきたんだ?」

 レンが震える声で尋ねると、チハルは意味深いみしん表情ひょうじょうを浮かべて答えた。

「‥‥たぶん、これが私の願いごとだったから、かな」

「願いごと?」

「うん。さっき心の中で“私たちを現実の世界に戻してください”って願ったんだよ。きっとそれでも届いてたんだと思う。そう思うことにしたわ、私は‥‥」

 レンとマリンはおどろきの表情を見せた後、自分たちも無理やり納得なっとくしたようにうなずいた。

 助かったのだから、それで良いやと。

 ポータは三人を乗せたまま、かつて蜃気楼しんきろうの塔がそびえていた場所を一度大きく旋回せんかいした。その眼下がんかには、もはや塔の姿はなく、ただ白くにごった霧が名残なごりのようにただよっていた。

 三人はそれぞれの胸の内に去来きょらいする思い出をめぐらせていた。

 光る本、冒険、出会い、大切な約束。

 チハルは感慨かんがいにふけ、レンはSwitch2が手元にないことに気づき、マリンはそっと目を閉じた。

 ポータは巨大な翼を力強くはためかせた。
 風が巻き起こり、雲が吹き飛び、空が開ける。

 高度とスピードを上げていき、一直線いっちょくせんに天へと駆け上がるように飛翔ひしょうし、やがて光のような速さとなり“天を突き破った”。

 それは比喩ひゆではなかった。世界の境界きょうかいすら超えて、チハルたちを現実の世界へと導く光が天空をいたのだ。

 その頃、かつて塔がそびえていた中心部には、まだわずかに霧が立ち込めていた。

 その中に、灰色の魔女と、マリンの母――リサの姿があった。

 魔女とリサは空の彼方へと消えていくポータの姿を目で追いながら、静かにリサに言葉をかけた。
 リサは微笑んだ。静かに、柔らかく、どこまでも温かく。

 そしてリサの瞳からとめどなく涙が溢れた。彼女の表情は、まぎれもなく母のものであった。

 やがて、ふたりの姿は霧の中にゆっくりと溶けていった。
 舞台の幕が静かに下りるように。
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