40 / 87
第40話【顧客情報】
しおりを挟む匠と幸の様子を見ていた村田は、あることに気づく。
従業員として雇用するにしては、匠の幸に対する気遣いが普通ではないと。
本来なら「西村」と呼ぶところを、「幸さん」と名前で呼び、しかも“さん付け”までしている。
これだけでも、ある程度は推測できる。
――社長は、西村幸に好意を寄せている。
この美しさに、このスタイルの良さ。
そして何より、人柄の良さが、声にも態度にも表情にも自然と滲み出ている。
誰もが思わず心を奪われるほど、西村幸は魅力的な女性だ。
――間違いない。
そう確信した村田は、これから西村幸とどう関わればいいのか、悩みはじめる。
――社長が思いを寄せている相手に、あれこれ指示を出していいものなのだろうか。
――だが、仕事と私生活は分けなければ、業務に支障が出てしまう。
そんな村田の心配を払うように、
「村田さん、すみません。給湯室の場所とか、いろいろ教えていただけませんか?」
幸のほうから声がかかった。
匠のほうへ視線を向けると、彼は軽く頷いている。
「それでは、西村さん。この階をご案内します」
「ありがとうございます」
幸は村田の後ろに続いて歩き出す。
給湯室、コピー室。
役員が使用する専用会議室。
来賓を迎える応接室。
村田はフロアの設備を、一つひとつ丁寧に説明しながら、幸を案内していった。
「ありがとうございます。村田さんは、お仕事に戻ってください。私はコーヒーを入れてから、
社長室に戻りますから」
コーヒーを入れようと思っていた村田は、
「あっ……それじゃ、お願いします」
幸の言葉に少し戸惑いながらも、任せることにした。
給湯室に入った幸は、村田に教えられた通りにコーヒーを淹れ、それぞれ専用のカップに注いだ。
トレイにのせ、社長室へと向かう。
扉を開けて中に入ると、匠はデスク上の書類に真剣な眼差しを向けていた。
村田秘書は、匠のデスクから少し離れた専用デスクでパソコンを立ち上げ、黙々と仕事を進めている。
幸は、二人の邪魔をしないように気を配りながら、空いたスペースへそっとコーヒーカップを置いた。
匠は軽く頷き、村田は「ありがとう」と穏やかに言葉をかける。
二人が集中して働く姿を見ていると、幸の中にも“仕事がしたい”という気持ちが、自然と芽生えてくる。
幸は静かにその場を離れ、自分専用のアシスタントルームへと向かった。
深呼吸をひとつしてから、自分のデスクに腰を下ろす。
電源を入れ、パソコンを立ち上げると、すべての機能が設定されており、すぐにでも使える状態になっていた。
キーボードを叩きながら、【NexSeed黒田】と取引のある企業を一つひとつ検索していく。
真剣な目で、パソコン画面を見つめ、情報を集める。
幸は、一から情報を集めなければならなかった。
なぜなら、前の会社で集めた顧客情報は、すべて置いてきたからだ。
たとえ自分が苦労して集めたものであっても、その所有権は【NexSeed黒田】にある。
だから、持ち出すことはできなかった。
手元には、何もない。
あれほど一生懸命集めた情報だったけど、あきらめるしかなかった。
……とはいえ。
あれが圭吾のために使われると思うと、どこか面白くない。
幸は個人情報の漏洩を恐れて、顧客データをすべて暗号化していた。
今思えば、それは正解だった。
暗号化されたままなら、誰にも解読されることはないからだ。
つまり、情報そのものを置いてきたとしても、圭吾の役に立つことはない。
それに――顧客の情報は、ある程度、自分の頭の中にしっかり残っていた。
幸は記憶をたどりながら、取引先の名前やこれまでのやり取り、会話の中で
知ったちょっとした嗜好を思い出していく。
「確か、この会社の社長はワインが好きだったはず……」
「CTOのAさんは、釣りが好きだと言っていた……」
思い出した情報をもとに、一般公開されているデータと照らし合わせていく。
なんとも地道な作業だ。
それでも――。
この積み重ねこそが、取引先の心をつかむと幸は信じて疑わなかった。
488
あなたにおすすめの小説
フッてくれてありがとう
nanahi
恋愛
「子どもができたんだ」
ある冬の25日、突然、彼が私に告げた。
「誰の」
私の短い問いにあなたは、しばらく無言だった。
でも私は知っている。
大学生時代の元カノだ。
「じゃあ。元気で」
彼からは謝罪の一言さえなかった。
下を向き、私はひたすら涙を流した。
それから二年後、私は偶然、元彼と再会する。
過去とは全く変わった私と出会って、元彼はふたたび──
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー
小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。
でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。
もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……?
表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。
全年齢作品です。
ベリーズカフェ公開日 2022/09/21
アルファポリス公開日 2025/06/19
作品の無断転載はご遠慮ください。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
さようなら、お別れしましょう
椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。
妻に新しいも古いもありますか?
愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?
私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。
――つまり、別居。
夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。
――あなたにお礼を言いますわ。
【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる!
※他サイトにも掲載しております。
※表紙はお借りしたものです。
仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!
ぽんちゃん
恋愛
――仕事で疲れて会えない。
十年付き合ってきた恋人を支えてきたけど、いつも後回しにされる日々。
記念日すら仕事を優先する彼に、十分だけでいいから会いたいとお願いすると、『距離を置こう』と言われてしまう。
そして、思い出の高級レストランで、予約した席に座る恋人が、他の女性と食事をしているところを目撃してしまい――!?
【完結】「俺は2番目に好きな女と結婚するんだ」と言っていた婚約者と婚約破棄したいだけだったのに、なぜか契約聖女になってしまいました
As-me.com
恋愛
完結しました。
番外編(編集済み)と、外伝(新作)アップしました。
とある日、偶然にも婚約者が「俺は2番目に好きな女と結婚するんだ」とお友達に楽しそうに宣言するのを聞いてしまいました。
例え2番目でもちゃんと愛しているから結婚にはなんの問題も無いとおっしゃっていますが……そんな婚約者様がとんでもない問題児だと発覚します。
なんてことでしょう。愛も無い、信頼も無い、領地にメリットも無い。そんな無い無い尽くしの婚約者様と結婚しても幸せになれる気がしません。
ねぇ、婚約者様。私はあなたと結婚なんてしたくありませんわ。絶対婚約破棄しますから!
あなたはあなたで、1番好きな人と結婚してくださいな。
※この作品は『「俺は2番目に好きな女と結婚するんだ」と婚約者が言っていたので、1番好きな女性と結婚させてあげることにしました。 』を書き直しています。内容はほぼ一緒ですが、細かい設定や登場人物の性格などを書き直す予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる