クズ男と決別した私の未来は輝いている。

第73話【後悔と執着】

　黒田ホールディングス主催の年末チャリティーパーティーは、無事とは言いがたい形で幕を下ろした。

　ホテルの控え室では、張りつめた空気が、その場を支配している。

「お前は、会社を潰すつもりか！」

　圭吾の父・明は、血管が切れそうなほど顔を真っ赤にし、怒鳴り声を響かせていた。

「今日の集まりが、どれほど重要な場だったのか分かっていて、あんな騒動を起こしたのか！」

　その剣幕に、圭吾も負けじと声を荒らげる。

「仕方ないだろ！　大勢の前で、いきなりビンタされたんだぞ。怒らないほうがおかしいだろ！」

　怒りを抑えきれない様子で、圭吾は吐き捨てるように言い返した。

「ビンタされるようなことを、由紀さんにしたんだろう！お前はいったい、何をしたんだ！」

　明はそう言って、圭吾を厳しく問い詰めた。

　“愛人”。

　由紀は、その言葉を口にしていた。

　身に覚えのある圭吾は、

「そ、それは……」

　と、言葉に詰まる。

　その様子を見て、

　――何か、やらかしている。

　明は、ほとんど確信に近いものを抱いた。

　由紀が「婚約解消」とまで口にして激昂している以上、そこには必ず原因がある。

　そして――

　思い当たるのは、あの元秘書しかいなかった。

　婚約者同士の“対決”という異例の催しを、発案し実行するほど――
　由紀の「幸に勝ちたい」という思惑が、はっきりと透けて見えていた。

　そこからも、由紀が幸に対して強い嫉妬を抱いていたことは、もはや疑いようがなかった。

「……もしかして……あの元秘書が原因か？」

　圭吾が幸に向けていた、異様とも言える執着。

　それを、明は会長への挨拶の場で、はっきりと感じ取っていた。

「そ、それは……」

　圭吾は口ごもる。

「どうなんだ！」

　明が、声を荒げて詰問する。

「あいつは……幸は、俺のものだ。俺が婚約したから怒って、水沢のところに行っただけだ！」

　抑えきれない苛立ちを滲ませながら、さらに言葉を重ねる。

「家柄なんかにこだわらなければ、幸でよかったんだよ。料理もろくにできない女なんて……こっちから願い下げだ！」

　――その瞬間。

　明の手が、圭吾の頬を思いきり打ち据えた。

　乾いた破裂音が、控え室に鋭く響き渡る。

　圭吾の顔が横に弾け、身体がよろめいた。

「……お前は……」

　低く、押し殺した声。
　怒りを必死に抑え込んでいるがゆえに、その声はかえって恐ろしかった。

　だが明は、そこで一度、感情を押し殺した。

　互いに感情的になれば、建設的な話し合いなどできるはずもない。

　明は、圭吾に、

「自分が、何を言っているのか分かっているのか？」

　諭すように、口を開く。

「お前は、由紀さんのことを気に入って、婚約したんだろう。それなのに、その言い草は何だ」

　一拍置き、言葉を選ぶように続ける。

「彼女は、大切に育てられてきたお嬢様だ。それを、ああも侮辱するとは……お前には、由紀さんと結婚する資格などない」

　明は、そこで大きく息を吐いた。

「それに――元秘書のほうも、どう見てもお前のことなど眼中にない。お前が一方的に、執拗に追い回しているだけだ」

　冷静で、容赦のない指摘だった。

「彼女はすでに婚約している。今さら、どうにかできる話でもない。……潔く、あきらめろ」

　客観的な事実を突きつけるように、明はそう告げた。

　父・明の言葉は、容赦なく圭吾の胸の奥を抉った。

　――幸は、すでに婚約している。

　それは、頭では理解している。

　だが、心は、そう簡単に割り切れるはずもなかった。

　五年間も尽くし続けてきた幸が、自分のもとから去っていったという現実を、圭吾はどうしても受け入れることができない。

　なぜなら――

　先に幸を手放したのは、ほかでもない自分自身だったこと。
　そして、失ってから初めて、その価値を思い知らされたこと。

　その二つの後悔が、重く胸にのしかかり、圭吾を縛りつける。
　それこそが、彼がどうしても幸を諦めきれず、なお執着してしまう理由だった。