お人好しの悪役令嬢は悪役になりきれない

あーもんど

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第一章

出生

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 顔を覆い隠して俯く公爵夫人の前で、アイリスは尚も言葉を続ける。

「貴方はね、意地汚いメイドの子供なの!」

「メイドの子……?」

「そう!この際だから、教えてあげる!貴方の母親は────公爵様旦那様に薬を持って、事に及んだのよ!」

 一度タガが外れたことで、もう止まらないのか……アイリスは十歳にも満たない子供に辛い現実を突きつけた。

「いい!?あの女は分不相応にも貴方を産んで、旦那様にこう言ったの!私を側室にしてくださいって!それを聞いて、旦那様は直ぐさま意地汚いメイドを斬り捨てたわ!」

 アイリスは右手を大きく横に振り、斬首の様子を表現した。
かと思えば、『忌々しい』と言わんばかりにこちらを睨みつける。
海色の瞳は先程より明らかに爛々としており……殺意さえ感じた。
『視線だけで人を殺せるなら、今頃私はこの世に居ないだろう』と思えるくらいに……。

「本来であれば、娘の貴方も母親と同じ運命を辿る筈だったのよ……!でも────奥様が『子供に罪はないから』と言って命を助け、公爵家に迎え入れたの!これがどれほど慈悲深く、温情に満ちた措置か分かる!?」

 噛みつかんばかりの勢いで捲し立てるアイリスは、ついに我慢出来なかったのか……私の肩を掴んだ。
皮膚に爪が食い込むほど、強く。

「それなのに、貴方と来たら!お見舞いと題して押し掛けてきた挙句、奥様を『お母様』と呼ぶなんて……!その図々しさは、母親譲りね!大体、体調を崩しているのだって、元はと言えばあなた達親子のせいなのに!」

 『精神的に参ってしまって、ここ数年部屋から出られないのよ!』と叫び、アイリスは顔を歪めた。
かと思えば、私から手を離し、後ろを向く。
彼女の肩は小刻みに震えており、鼻を啜るような音が聞こえた。
声を押し殺して泣くアイリスの後ろで、私はただ呆然とする。
まさか、そんな事情があったなんて……思いもしなかったから。

 妾の子と暮らす……これほど辛く、苦しいことはなかったと思う。
公爵の本意でなかったにしろ、浮気したことに代わりはないから。
その証拠とも言える子供が、傍に居るなんて……きっと、かなりのストレスだった筈。
それでも、リディアを責めることも虐げることもなく、今日まで暮らしてきた公爵夫人は尊敬に値する人物だわ。
誰にでも出来ることじゃない。

 不幸なんて言葉じゃ言い表せない公爵夫人の苦労を思い、私はそっと目を伏せる。
ドレスのスカート部分を強く握り締め、キュッと唇を引き結んだ。

 正直、とてもショックだけれど……これでようやく分かった。
公爵夫人の困り顔の真意も、アイリスに憎まれていた原因も、使用人達のよそよそ態度の意味も全て。
リディアが妾の子だから、上手くコミュケーションを取れなかったんだわ。

 点と点が線で繋がる感覚を覚えながら、私は一人納得する。
と同時に、複雑な心境へ陥った。

 何故リディアにこのような対応をするのか分からず、最初は怒りを感じていたけど……もう何も言えない。
公爵夫人の悲しみも、アイリスの怒りも、使用人達の困惑も理解出来るから。
もちろん、リディアに取った態度や行動を肯定するつもりはないわ。
彼女は何の罪もない子供で……ただ愛に飢えていただけだもの。
でも、彼らに『リディアを愛せ』とか、『大切にしろ』とか強要することは出来なかった……これは理屈で、どうにか出来る問題じゃないから。

 込み上げてくる感情を何とか宥めながら、私は必死に思考を回す。
そうしないと、泣いてしまいそうだったから。

 『色んな人に愛される人へなってほしい』という願いには、こういう背景があったのね。
出生のことをリディアも知っていたか、どうかは分からないけど……どちらにせよ、凄く辛かったと思う。
訳も分からず腫れ物扱いされて苦しんでいたか、全てを知って罪悪感に蝕まれていたか……の二択だろうから。

 リディアの心情を想像し、そっと眉尻を下げる私はおもむろに顔を上げた。
そして、苦しげに顔を歪める公爵夫人と怒りに震えるアイリスを交互に見つめる。

 ごめんなさい、リディア。
貴方の願い、家族半分は諦めないといけないかもしれない。

 『色んな人』の枠組みに入っていただろう公爵夫人の存在を、私は諦めることにした。
今でも精一杯頑張っている彼女に、これ以上のことを望むことは出来ないから。

「失礼しました、公爵夫人・・・・。私は何か思い違いをしていたようです」

 床に蹲る公爵夫人に向き直り、私はお辞儀するような形で身を屈めた。

「これからは息を潜めて暮らし、二度と貴方の前に現れません。私を生かし、育ててくださった公爵夫人の温情を忘れずに過ごします。それで、成人したら出ていきますわ。もちろん、グレンジャーの性は捨てます。私にソレを名乗る権利はありませんので」

 公爵夫人に罪悪感を持たせぬよう、私は出来るだけ明るく振る舞う。
柔らかい表情を心掛けつつ、深々と頭を下げた。

「公爵夫人、私のために心を砕いてくださり本当にありがとうございました。どうか、お元気で」

 今生の別れを決意しながら挨拶し、私はクルリと身を翻す。
────そこから先のことは、あまり覚えていない。
気づいたら、自室のベッドに居て……大量の涙を流していた。
『一体、どれくらい時間が経っただろうか』と辺りを見回し、もそもそと体を起こす。

「凄い……目がパンパン……」

 真っ先にドレッサーの前へ行った私は、見事に腫れ上がった瞼を鏡で確認する。
『後で冷やさないと』と嘆息し、ぼんやり天井を眺めた。

 泣きすぎたせいか、頭も痛いけど……気分は妙に清々しい。
まだ吹っ切れた訳ではないものの、前を向いて歩いていく決意は出来た。

「これからはより一層勉強に励んで、将来困らないようにしないと。一人でも生きていけるよう、逞しくなるのよ」

 そう自分に言い聞かせ、私は今後の人生設計を一新する。

 グレンジャーの名を捨てると宣言した以上、公爵家からの支援は当てに出来ない。というか、しない。
女性一人で生活していくのは相当勇気のいることだけど、今からきちんと準備しておけば何とかなる筈。

 『まずは平民女性の暮らしぶりを調査するところから、始めましょう』と、私は思い立つ。
幸い、リディアの体は健康で外出も自由に出来るため、直ぐに行動可能。
『早速、明日から動こう』と考える私は、窓の外へ視線を向けた。

 リディアの体に憑依してから、初めての外出。
不謹慎かもしれないけど、ちょっと楽しみ。

 『やっぱり、ファンタジーっぽい世界観なのかしら?』と妄想を膨らませ、私は探検気分に浸る。
────と、ここで部屋の扉をノックされた。

「リディア、私よ」

 聞き覚えのあるソプラノボイスが耳を掠め、私は一瞬固まる。
『どうして、あの方がここに……?』と動揺しつつ、ゆっくりと扉の方を振り返り、息を呑んだ。
どうするべきか思い悩んでいると、またしても扉越しに声を掛けられる。

「さっきのことで、その……ちょっと話があるの。中に入っても、いいかしら?」

 『もちろん、嫌なら帰るわ』と付け足し、扉の向こうに居る人物はこちらの反応を伺った。

 よく分からないけど……とりあえず、応じた方がいいわよね?
────大恩人である公爵夫人の訪問を無視する訳には、いかないし。

 『どのような話をされるのだろう?』と不安に思いながらも、私は扉へ駆け寄った。
意を決してドアノブを捻り、廊下に居る公爵夫人を招き入れる。
一人で来たのか、アイリスの姿はどこにもなかった。
『体調を崩しているのに大丈夫かな?』と心配し、私は挨拶もそこそこに応接スペースへ誘導する。
そして、三人掛けのソファに腰を下ろしてもらうと、自分も真向かいに腰掛けた。

「早速ですが、お話というのは?」

 一悶着あった相手ということもあり、私は雑談を避ける。
正直、どんなことを話せばいいのか分からないから。
『和気あいあいと話すような間柄でもないし』と思案する中、公爵夫人は居住まいを正した。
凛とした……でも、どこか陰のある表情でこちらを見据え、ゆっくりと口を開く。

「貴方にさっきの……いいえ、今までのことを全部謝らせてほしい。私が愚かだったわ。本当に……本当にごめんなさい」

 そう言って、公爵夫人は深々と頭を下げた。
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