お人好しの悪役令嬢は悪役になりきれない

あーもんど

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第一章

懺悔

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「実はね────昨日の件で、アイリスから話があるみたいで……出来れば、聞いてあげてほしいの」

 アイリスの手を引いて隣に並ばせる母は、こちらの反応を窺った。
そして身構える私を見ると、申し訳なさそうに身を縮める。

「もちろん、気が進まなければ断ってくれて構わないわ。その時はすぐ食事にしましょう」

 昨日のアイリスの態度はさすがに問題があると考えているのか、母は決して無理強いしなかった。
あくまでこちらの意向を優先する彼女に、私は心を動かされる。

 正直、何を言われるか分からなくて不安だけど、口汚く罵られることはない筈。
もし、そうならお母様がこのような場を設けないと思うから。

 『母の判断を信じよう』と結論を出し、私はアイリスに視線を移した。

「どうぞ、お話になってください。全部ちゃんと聞きます」

 確かな覚悟を決めて対話に応じると、アイリスは────こちらに向き直り、頭を下げる。

「ありがとうございます」

 昨日の暴走っぷりが嘘のように、落ち着いた声色でお礼を言った。
『心境の変化でもあったのか』と驚く私の前で、アイリスは身を起こし、深呼吸する。
その様子は非常に静かで、大人しいのに……海色の瞳から隠し切れない感情が垣間見えた。
でも、別に怒りや憎しみにまみれている訳ではなくて……どちらかと言うと、深い悲しみで満ちているように見える。

 これは一体……?

 アイリスの変わり様にただただ驚く私は、目を白黒させた。
────と、ここでアイリスはこちらへ歩み寄ってくる。
私を怖がらせないよう、ゆったりとした足取りで……且つ慎重に。
殴り掛からんばかりの勢いで、詰め寄ってきた昨日とは大違いだ。
一瞬『別人なのでは……?』と馬鹿な考えが脳裏を過ぎる中、彼女は私の前で足を止める。
と同時に、跪いた。

「昨日の件をはじめ、今までのことを謝罪させてください」

「!!」

 予想を裏切るアイリスの言動に目を剥き、私は固まる。
驚きのあまり声も出せずにいると、彼女が深々と頭を下げた。

「度重なる無礼な行いに加え、一番傷つく形で出生のことを暴露したこと、誠に申し訳ございませんでした。申し開きのしようも、ございません。リディア様の心身を深く傷つけたと反省しております」

 簡潔ながら誠実さが窺える謝罪の言葉を並べ、アイリスはただただじっとしている。
弁解も釈明もせず、ただただ詫びる姿勢は『潔い』の一言に尽きた。
こちらの声掛けを待つ彼女に対し、私はふと気になったことを疑問としてぶつける。

「どうして────私をそこまで目の敵にしていたのか、聞いてもいいですか?」

 無防備に晒されたアイリスの旋毛を眺めながら、私は膝の上で手を組んだ。

「『妾の子だから憎い』という感情は、理解出来ます。でも、貴女の場合はどうもそれだけじゃないような気がして……」

 『差し支えなければ、教えてください』と申し出ると、アイリスはそろそろと顔を上げる。
どことなく戸惑ったような表情を浮かべる彼女は、海色の瞳に迷いを滲ませた。
話すべきかどうか、悩んでいるのだろう。
ギュッと手を握り締め暫し沈黙すると、彼女は控えめにこちらを見つめた。
かと思えば、躊躇いがちに口を開く。

「リディア様の生みの母────リズは元々私の親友だったんです」

 親友……?それって、特に親しい友人のことよね?
親の仇とか、犬猿の仲とかそういう意味じゃないわよね?

 アイリスの言動からは想像もつかない関係性に、パチパチと瞬きを繰り返す。
とてもじゃないが、信じられなかった。
なかなか事実を受け入れられずにいる私の前で、アイリスはおもむろに天井を見上げる。

「私もリズも幼い頃から、奥様に仕えていて……姉妹のように育ちました。そのせいか、仲間意識も強く……奥様が嫁入りしてからは、より一層親睦を深めていきました。婚家までついてきて、仕えることの出来る使用人は少ないですから」

 昔を懐かしむように目を細め、アイリスは寂しげな表情を浮かべた。
かと思えば、手元に視線を落とす。
光の加減のせいだろうか……彼女の顔色が一気に暗くなった。

「そういう背景もあり、リズに裏切られたショックは凄まじかったです。あれだけ、一緒に奥様を支えようって……幸せになるための手助けをしようって、言い合っていたのに。奥様を不幸のどん底へ陥れたのは、彼女だった……その事実が受け止めきれなくて……ある意味、不貞の証拠であるリディア様を認めたくなかったのです」

 『存在自体を否定したかった』と語るアイリスは、苦しげに顔を歪める。
自分の汚い本音と向き合うのが、辛いのかもしれない。
でも、もう────止められない……といった様子だった。

「本当は分かっていたのに……いくら貴方を拒絶しても、事実過去は変わらないと。悪いのは、全部リズで……貴方も被害者なんだと」

 己の過ちを認め、アイリスは自身の胸元を強く握り締める。
今にも泣きそうな表情を浮かべながら。

「全ては私の心の弱さが原因。貴方を憎むことでしか、自分を保てないなんて……本当、情けない大人ね」

 最後の方は自嘲気味に吐き捨て、ギュッと目を瞑った。
何かを堪えるように蹲るアイリスの前で、私は感情の赴くまま言葉を紡ぐ。

「そんなことはありません。大切な人に裏切られたら、誰だってショックを受けます。貴方の取った行動は決して褒められたものではありませんが、その気持ちまで悪く言わないでください。きっと、もっと苦しくなってしまいます」

 自己嫌悪でいっぱいになっているアイリスが不憫でならず、私は少しお節介を焼きたくなった。
ハッとしたように目を剥く彼女に対し、私は柔らかく微笑む。

「怒りも憎しみも全部、愛情の裏返しなんです。だから、親友に懸けた想いや年月を肯定してあげてください。結末はとても悲しいものになってしまったけど、その日々は間違いなく幸せだった筈です」

 『思い出まで黒く塗り潰さなくていい』と主張すると、アイリスはついに泣き崩れた。
『ふっ……ぐっ……』と嗚咽を漏らす彼女の前で、私は椅子から降りる。

「矛盾した気持ちや考えまで、無理に正そうとしなくていいんですよ。今は嫌い。でも、昔は好きだった。これでいいんです。必ずしも、一貫した意見を持っている必要はないんですから。良くも悪くも移ろいやすい人間だからこそ、愛の形は歪で不完全なんです」

 真面目で不器用なアイリスを肯定してやり、私は床に膝をつく。
そして目の前に居る彼女へ手を伸ばし、そっと頬を包み込んだ。

 アイリスを許すかどうかは分からない。
だって、それはリディア自身が決めることだから。
でも────この涙だけは私が・・拭ってあげたい。

私の生みの親お母さんのために泣いてくれて、ありがとうございます」

 そう言って、私はアイリスの頬を濡らす涙にそっと指を滑らせる。
何度も何度も……彼女が泣き止むまで、ずっと。
自分に出来ることは、これしかないから。

 いつか、リディアにもアイリスにも過去を乗り越えられる日が来るといいわね。
憎しみや悲しみに囚われる日々は、きっと凄く苦しいだろうから。

 『幸せになってほしい』と心から願う私は、穏やかな笑みを浮かべた。
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