お人好しの悪役令嬢は悪役になりきれない

あーもんど

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第一章

私の信念

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◇◆◇◆

 ん……あれ?ここは……?

 うっすらと目を開け、辺りを見回す私はぼんやりした意識で状況を確認する。
気絶する前の出来事を思い返しながら身を起こすと、自室の壁紙が目に入った。
どことなく既視感を覚える光景に、私は『あら?この展開はもしかして?』と横を向く。
すると、そこには父────ではなく、兄のニクス・ネージュ・グレンジャーが居た。
椅子に腰掛けてうつらうつらとしていた彼は、こちらの視線に気づくと飛び起きる。

「大丈夫か……!?」

 ベッドに両手をつく小公爵はこちらに身を乗り出し、まじまじと顔を見つめてきた。

 あら?小公爵の目の下に、隈が……。
もしかして、今回も三日くらい寝込んでしまったのかしら?
だとしたら、申し訳ない。

 『一刻も早く寝てもらわなきゃ』と思い立ち、私はもそもそと起き上がる。
『元気いっぱいだ』と態度でも表すために。

「はい、もう大丈夫です。ご心配お掛けして、申し訳ありませ……」

 『申し訳ありません』と続ける筈だった言葉は、咳で掻き消される。
慌てて口元を手で押さえる私に対し、小公爵は

「バカ!そのまま、寝ていろ!まだ熱は下がりきっていないんだから!」

 と、怒鳴った。
私の肩を押して半ば強引にベッドへ戻すと、バサッと乱暴にシーツを掛ける。
言動は荒々しいものの、こちらを気遣う心はきちんと感じられた。

 ベッドに押し戻す時なんて、ちゃんと頭の下に手を差し込んで痛くないようにしてくれたし。
きっと、なんだかんだで優しい人なんでしょうね。
お父様と同様、ちょっと不器用なだけで。

 『血は争えないわね』と笑みを漏らし、なんだか温かい気持ちになる。
嫌われている相手であろうと、やはり人の親切は嬉しかった。

「ご心配いただき、ありがとうございます。でも、もう本当に大丈夫ですので小公爵はお部屋へお戻りください。このままでは、寝不足で倒れてしまいますよ」

 『何かあったら、侍女を呼びますから』と言い、私は休むよう促す。
すると、小公爵は驚いたような……やるせないような表情を浮かべ、俯いた。

「お前は……何でそんなに優しいんだ?」

「えっ?」

「僕のこと、何で怒らないんだよ……?色々暴言を吐いて、偉そうな態度を取った挙句……魔力暴走でお前を殺しかけたのに」

 『殴ってもいいくらいだろ』と述べる小公爵は、両手を組んでギュッと握り締める。
悪いことをしたのに責められない状況に、不満を抱いているようだった。
『多分、罪の償い方が分からないんだろうな』と思いつつ、私は暫し考え込む。

「私は昔から、どうも人を責めるのが苦手なんです。怒って険悪になるよりも、許して仲良くなりたい。もちろん、今回のケースでは難しいでしょうが……でも、私は人を許せる人間でありたいんです」

 ────誰かを恨んだまま死にたくないから。

 という言葉を呑み込み、私はニッコリ微笑む。
まだ山下朱里として生きていた時、私は既に死ぬ決意を固めていた。
もちろん、生きることを諦めていた訳ではない。
生きる希望が少しでもあるなら、その可能性に縋りたいし、賭けたいと思っている。
でも、人より死を身近に感じているせいか、やっぱり考えてしまうのだ────命の灯火が消えてしまったら、どうしよう?と。

 死んだ時、願うのはやはり両親や友人の幸せでありたい。
『あいつがもっと苦しめばいいのに』と、他人を呪うようなことだけは嫌。
綺麗事かもしれないけど、色んな人に助けられて生きてきたから、負の感情に塗れた後悔や願いは残したくなかった。

 優しさというより信念に近い思いを胸に抱え、私はふわりと柔らかい笑みを浮かべた。

「それに魔力暴走の件は、小公爵だけのせいじゃありませんから。あまり気に病まないでください」

 『結果的に全員無事だった訳ですし』とフォローする私に対し、小公爵は僅かに目を見開く。
あまりにもお気楽な態度に、呆然としてしまったのかもしれない。
『別に軽い気持ちで言っている訳じゃないのだけど……』と心の中で言い訳していると、彼が顔を上げる。

「ありがとう。でも、せめてちゃんと謝らせてほしい。さすがにこのままじゃ、僕の気が済まない」

 きちんとケジメをつけておきたいタイプなのか、小公爵は『謝罪の機会を与えてほしい』と乞う。
『それが貴方の転換点になるなら』と了承の意味を込めて頷くと、彼は椅子から立ち上がった。
レンズ越しに見える月の瞳に強い意志を宿し、ピンッと背筋を伸ばす。

「リディア・ルース・グレンジャー、今まで酷い態度を取って申し訳ない。魔力暴走のせいで体調を崩したことも含めて、謝罪する。すまなかった」

 そう言って、小公爵は躊躇いもなく頭を下げた。
嫌いな相手だからといって手を抜かず、きちんと謝罪する姿勢は非常に好感が持てる。
『こういう生真面目なところは、本当お父様にそっくり』と頬を緩め、なんだか微笑ましい気持ちになった。

「小公爵の謝罪を受け入れます」

 私は笑顔で、彼の謝罪に応えた。
というのも、小公爵は両親と違ってリディアに今まで何もしてこなかったため。
執事曰く、リディアと小公爵は顔を合わせること自体、滅多になかったらしい。
あったとしても、廊下ですれ違う程度とのこと。
なので、ここまで深く関わったのは今回が初めて。

 まあ、リディアは基本部屋に籠っていたし、小公爵も後継者教育で忙しかったみたいだから、当然と言えば当然なのだけど。

 リディアの暮らしぶりを知ろうと執事にあれこれ質問していたことを思い出し、私は一つ息を吐く。
悪く言えば『放置していた』とも言えるが、まだ幼い彼に保護監督責任はない。
なので、完全にリディアと切り離して考えられた。
『主に被害を被っていたのは、私だから』と魔力暴走のことを思い返していると、小公爵が口を開く。

「ありがとう、許してくれて……。あと、お前の考え方────悪くないと思う。ちょっと、お人好しすぎるけど」

「ふふふっ。ありがとうございます」

 笑いながらお礼を言う私に、小公爵はコクンと頷き、こちらへ手を伸ばした。
かと思えば、私の額に貼り付けてあるタオルを手に取り、棚の上にある桶へ入れる。
チャポンと水の音が鳴り響く中、彼はおぼつかない手つきでタオルを洗い始めた。

「あっ、それなら私が……!」

「いいから、黙って寝ていろ」

 慌てて身を起こす私にピシャリと言い放ち、小公爵は桶からタオルを取り出す。
せっかくの厚意を無下にするのもどうかと思い、素直にベッドへ戻ると、彼は水滴の垂れるソレをギュッと搾った。
日頃から体を鍛えているのか、あっという間に余分な水分を捻り出す。
そしてタオルを再度折り畳むと、私の額にそっと載せた。

「ありがとうございます」

 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたことに対してお礼を言うと、小公爵は少し赤面する。
どうやら、照れているらしい。
『これが所謂ツンデレというやつか』と分析する中、彼はプイッとそっぽを向く。

「い、妹の世話を焼くのは兄として当然だ」

 『グレンジャー公爵家の一員に認める』という意思表示なのか、小公爵は思わぬ言葉を口にした。
言い方は少々ぶっきらぼうだが、彼なりに精一杯歩み寄ってくれたんだろう。
悩み抜いて出してくれたと思われる彼の結論に、私は驚くものの……直ぐに笑って『はい』と頷く。
────この日を境に、私は小公爵を『お兄様』と呼ぶようになった。
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