38 / 196
第一章 義士
江戸の火種(4)
しおりを挟む
三浦が丹波を詰った事柄のうち、いくつかは真っ当であり、いくつかは的外れなものであった。
たとえば他の家中の者を軽んじているという批判は、鳴海自身も感じていたことである。鳴海の義父とも言うべき水山が彦十郎を名乗り家老職を務めていた頃であれば、丹波が彦十郎家の者を便利屋扱いするなどは、考えられなかっただろう。また、絢爛豪華な衣装や贅沢を好んでいるというのも、他の者らの羨望と妬みの原因となっているに違いない。
だがその一方で、二月に殿が領内漫遊をしたというのは、丹波ら側近の勧めであった。三浦の目からすればただの遊びに映ったのかもしれないが、生来病弱でややもすれば気鬱になりがちな長国公の気晴らし、かつ領内視察という政治的目的も、ちゃんと含まれていた。公の立場からすれば、安易に三浦の不遜を叱るわけにもいかない。丹波や殿の気遣いに三浦が気づいていないのも、丹波の激怒を招いた遠因となっているに違いなかった。
さらに、他藩との外交については、現在の二本松藩内でも指折りの腕の持ち主が、丹波である。他藩首脳部との交渉事は家老である丹波でなければ行えない職務の一つであり、決して職務を疎かにしているわけではない。三浦の批判は行き過ぎの部分もあった。
「羽木殿。こちらからも一つご教授願いたい」
鳴海の言葉に、羽木が眉を上げた。
「先程日野様が仰られていた『農民を思う心だけでは、現在の二本松は立ち行かない』というのは、どのようなご事情でござるか」
羽木と新十郎が、顔を見合わせた。本来は、武官が口を挟むべきことではない、行政上の事情だということなのだろうか。
「……我々では、上手い説明が出来かねますな」
困ったように、新十郎が笑った。
「商い上での事情が絡みます故、城下の中島黄山殿にでも聞いてみるとよろしいでしょう」
「黄山殿?」
新十郎の口から滑り出てきたのは、意外な人物の名前だった。
「そう驚かれますな。黄山殿は学に通じていることから、我が義父とも親しい。だが、この点については義父のやり方に賛同しかねるようで」
苦笑する新十郎の顔には、やや疲れの色が滲んでいた。
黄山のことは、鳴海もよく知っていた。鳴海自身も昨年世話になった経緯があり、以後、時折彦十郎家に出向いてきては女性陣の御用伺いをしている人物である。ただし、それだけではなく、丹波に頼まれてあちこちの情報収集、即ち間者の役目もこなしていた。普段は商いをしているからか、むしろその辺りの武士よりもよほど口は固く、信用が置けた。
「黄山殿は、水戸への伝手も持っていらっしゃるのか?」
そう言いながらも、商人はあちこちを飛び回ることが多く、黄山が水戸への伝手を持っていたとしても不思議ではないと、鳴海は気づいた。
「それがしの記憶が正しければ、確か黄山殿が若年の折、水戸の藤田東湖殿のところに出入りなさっていたはずです」
脇から羽木が言い添えた。それであれば、黄山が水戸藩の事情に通じていて、丹波が頼るのも肯けた。
それにしても、夏に山田家を訪問したときにも感じたことであるが、新十郎父子は必ずしも意見が同じではない。とりわけ和左衛門は勤皇思想に傾倒し、家老への直言も辞さない性格である。それでも、本音を言えばあまり丹波を好いていないにも関わらず、二本松藩家中の乱れを防ごうと奔走している新十郎の気苦労は、並大抵のことではないのだろう。羽木と一緒に行動していることからも、その気苦労が忍ばれる。
「新十郎殿。小川平助殿への橋渡しの件といい、お気遣い痛み入る」
鳴海が労いの意を込めて新十郎へ頭を下げると、新十郎はちらりと笑ってみせた。
たとえば他の家中の者を軽んじているという批判は、鳴海自身も感じていたことである。鳴海の義父とも言うべき水山が彦十郎を名乗り家老職を務めていた頃であれば、丹波が彦十郎家の者を便利屋扱いするなどは、考えられなかっただろう。また、絢爛豪華な衣装や贅沢を好んでいるというのも、他の者らの羨望と妬みの原因となっているに違いない。
だがその一方で、二月に殿が領内漫遊をしたというのは、丹波ら側近の勧めであった。三浦の目からすればただの遊びに映ったのかもしれないが、生来病弱でややもすれば気鬱になりがちな長国公の気晴らし、かつ領内視察という政治的目的も、ちゃんと含まれていた。公の立場からすれば、安易に三浦の不遜を叱るわけにもいかない。丹波や殿の気遣いに三浦が気づいていないのも、丹波の激怒を招いた遠因となっているに違いなかった。
さらに、他藩との外交については、現在の二本松藩内でも指折りの腕の持ち主が、丹波である。他藩首脳部との交渉事は家老である丹波でなければ行えない職務の一つであり、決して職務を疎かにしているわけではない。三浦の批判は行き過ぎの部分もあった。
「羽木殿。こちらからも一つご教授願いたい」
鳴海の言葉に、羽木が眉を上げた。
「先程日野様が仰られていた『農民を思う心だけでは、現在の二本松は立ち行かない』というのは、どのようなご事情でござるか」
羽木と新十郎が、顔を見合わせた。本来は、武官が口を挟むべきことではない、行政上の事情だということなのだろうか。
「……我々では、上手い説明が出来かねますな」
困ったように、新十郎が笑った。
「商い上での事情が絡みます故、城下の中島黄山殿にでも聞いてみるとよろしいでしょう」
「黄山殿?」
新十郎の口から滑り出てきたのは、意外な人物の名前だった。
「そう驚かれますな。黄山殿は学に通じていることから、我が義父とも親しい。だが、この点については義父のやり方に賛同しかねるようで」
苦笑する新十郎の顔には、やや疲れの色が滲んでいた。
黄山のことは、鳴海もよく知っていた。鳴海自身も昨年世話になった経緯があり、以後、時折彦十郎家に出向いてきては女性陣の御用伺いをしている人物である。ただし、それだけではなく、丹波に頼まれてあちこちの情報収集、即ち間者の役目もこなしていた。普段は商いをしているからか、むしろその辺りの武士よりもよほど口は固く、信用が置けた。
「黄山殿は、水戸への伝手も持っていらっしゃるのか?」
そう言いながらも、商人はあちこちを飛び回ることが多く、黄山が水戸への伝手を持っていたとしても不思議ではないと、鳴海は気づいた。
「それがしの記憶が正しければ、確か黄山殿が若年の折、水戸の藤田東湖殿のところに出入りなさっていたはずです」
脇から羽木が言い添えた。それであれば、黄山が水戸藩の事情に通じていて、丹波が頼るのも肯けた。
それにしても、夏に山田家を訪問したときにも感じたことであるが、新十郎父子は必ずしも意見が同じではない。とりわけ和左衛門は勤皇思想に傾倒し、家老への直言も辞さない性格である。それでも、本音を言えばあまり丹波を好いていないにも関わらず、二本松藩家中の乱れを防ごうと奔走している新十郎の気苦労は、並大抵のことではないのだろう。羽木と一緒に行動していることからも、その気苦労が忍ばれる。
「新十郎殿。小川平助殿への橋渡しの件といい、お気遣い痛み入る」
鳴海が労いの意を込めて新十郎へ頭を下げると、新十郎はちらりと笑ってみせた。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!???
そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
対米戦、準備せよ!
湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。
そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。
3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。
小説家になろうで、先行配信中!
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる