鬼と天狗

篠川翠

文字の大きさ
55 / 196
第二章 尊攘の波濤

竹ノ内擬戦(3)

しおりを挟む
 その日、夕餉後の団欒の席で「志摩と擬戦をすることになった」というと、一同から好奇の眼差しを向けられた。
「志摩殿とか……。それは、家中でも話題に上りそうだな」
 どうやら水山は、面白がっているようである。志摩は大谷本家の惣領として番入りしてから今年で四年目だが、まだ戦闘の指揮は取ったことがないはずだった。一方鳴海は番入りして今年で十一年目だが、青田ケ原の演習では当時既に番頭を勤めていた縫殿助の手勢として参加したに留まった。いずれも指揮官としての能力は未知数なわけである。
「大谷一族同士でぶつかるわけですか。双方の先祖が嘆きませんかね?」
 眉を顰めたのは、衛守だ。言われてみればその通りだが、今回は擬戦である。祖先もさほど気にしないだろう。
 そこへ、下男が「本家の右門様がお越しになりました」と告げに来た。
「右門が?珍しいな」
 向かい側に住む親族であるから、もちろん鳴海や衛守らと面識はある。だが、いつもは父の与兵衛や兄の志摩の影で大人しくしており、単身で彦十郎家を訪れることはなかった。
 鳴海は席を立って玄関に向かうと、確かにそこには風呂敷包みを手にした右門の姿があった。その顔は眉尻を下げてうっすらと涙を浮かべ、途方にくれている。
「どうした、右門」
「父上と兄上に家を追い出されました。擬戦が終わるまでは、彦十郎家にいろと」
 右門の言葉に、鳴海はしばし言葉を失った。擬戦が終わるまでは、五番組に所属する右門は敵扱いということである。やることが徹底しすぎではないか。
「志摩殿、案外恐いですねえ。普段は笑顔を絶やさない御方なのに」
 鳴海の後からついてきた衛守も、呆れたように呟いた。
「まあ、お入りなされ」
 水山が、右門を促して屋敷に招き入れた。落ち着かせるために「まずは茶でも」と茶を勧めると、右門はそれを両手に包んで、ほっとしたように茶を啜った。何でも右門は夕餉も口にしないうちに、追い出されたのだという。りんに命じて夕餉の残りを出させると、若者らしくたちまち腹に収めていく。さすがの鳴海も、与兵衛親子の右門への扱いは同情せざるを得なかった。
 りんが台所から持ってきたお替りの米飯を右門が再び腹に収めていくのを横目で見ながら、当主である鳴海、水山、衛守は善後策を協議した。彦十郎家はそれなりの家格であるから、右門一人を置いておくのは訳ないことである。だが、まだ年の若い右門が滅多に一人で来ることのない彦十郎家で過ごすのは不安があるだろうから、人当たりのいい衛守の部屋でしばし右門の身を預かるということで、話はまとまった。
 翌日、登城して御番頭の間で与兵衛と顔を合わせると、与兵衛の様子はいつも通りだった。右門のことで水を向けても、「右門がしばらくご厄介になりますが、何卒お頼み申す」と述べただけである。
 与兵衛はそのまま擬戦についての打ち合わせをすると敬学館に向かってしまい、鳴海は落ノ間にいた志摩を摑まえた。
「志摩。いくら擬戦を控えているとはいえ、右門を追い出すことはあるまい」
「何を言っているんです、鳴海殿」
 呆れたように、志摩が軽く鳴海を睨んだ。その顔は真顔である。
「右門の奴は五番組の人間ですからね。同じ屋敷に置いて間者かんじゃとなられては困ります」
 たとえ身内であっても、油断大敵。志摩の顔には、そう書かれているようである。志摩の「手加減無用」という言葉は本気だったようで、志摩をよく知る鳴海でさえ、今日の志摩はやや恐れを感じる。
「擬戦が決まったというのに、右門が下城して第一にやったことが、池の鯉の餌やりですよ。他にやるべきことがあるというものでしょう」
 どうやら、「鯉の餌やり」が右門が志摩の怒りを買った原因のようである。他愛もないことであるが、志摩も気が立ち過ぎではないか。
 そこへ、学館から使いの者が来た。家老の浅尾と掃部助、与兵衛が二人を呼んでいるという。決まったばかりの擬戦について上役らから説明をするとのことだった。
 普段は愛想よく何やかんやと話し掛けてくる志摩だが、並んで御玄関からぐるりと石垣をまわって箕輪門を潜り、向かいの敷地にある学館の客間に着くまでの間、志摩は一言も口を利かなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

処理中です...