鬼と天狗

篠川翠

文字の大きさ
73 / 196
第二章 尊攘の波濤

針道の富豪(3)

しおりを挟む
「――そこで、話は先程の天保小判になりまする」
 黄山がにこやかに解説を加え、懐から一分銀と鳴海が初めて見る銀貨を取り出した。見慣れぬ銀貨は、海の向こうのものなのか、表面に鷲らしき鳥の文様が刻まれている。一方、一分銀は鳴海も時折手にすることがあった。
「鳴海殿。一両は、一分銀何枚になりますか?」
「四枚であろう?」
 子供でも、それくらいは知っている。
「左様。横浜などの運上所では、このメキシコドルラル一枚につき、一分銀三枚と交換できる取り決めとなっております」
「ふむ……。それは、メキシコドルラルでござるか」
 鳴海が海外の通貨を目にしたのは、初めてである。
「持ってみなされ」
 黄山が、鳴海の右の掌にメキシコドルの銀貨を一枚乗せた。
「そのまま、左手を出してくださいませ」
 素直に左手を出すと、黄山は今度は鳴海の左手の上に一分銀を三枚乗せた。
「持ち量りの具合は、如何でござる?」
 しばし考えてみたが、右手と左手の違いは、よく分からなかった。
「重さは同じ具合に思えるが……」
「正解です」
 黄山は、鷹揚に肯いた。
「一分銀三枚は、メキシコドルラル一枚と同じ重量。これを市中の両替商に持っていったと致しましょう。すると、何両になります?」
「四分の三両。半端であるから、一分銀四枚を持ち込み、小判に変えてもらうのが良いだろうな」
 傍らで聞いていた善蔵が、口元を歪めた。それに構わず、黄山は説明を続ける。
「さて、その小判一枚が海の向こうへ持ち出され、売られたとしましょう。メキシコドルラルでいくらになると鳴海様はお思いになりますか?」
 鳴海はしばし考えたが、黙って首を横に振った。鳴海は生まれてこの方、二本松藩領から外へ出たことがないのである。見当もつかなかった。
 鳴海の向こうに座っている善蔵が、指を四本立てた。
「四……ドルラル?」
 一枚のメキシコドルラルが日本へ持ち込まれ、それで商いをして海外へ再び持っていくと、三倍にもなるというのである。何やら、怪しげな話を聞いているようだ。思わず、顔をしかめる。
「外つ国の商人共は、したたかですよ。日本の小判を海の外へ持ち出せば何倍にも利を上げられるため、奴らは敢えて小判での支払いを要求してきまする」
 善蔵は、忌々しげに吐き捨てた。
 鳴海の思考は混乱してきた。なぜ、そのような怪しげなからくりが罷り通るのか。
「細かな計算は難しいのですが、一言で申せば、日本と欧米の金銀の等価比率が異なるのが、そもそもの大きな原因です」
 黄山によると、日本の場合、金一に対して銀はおよそ一〇から一二の比率で交換される。一方、欧米では金一に対して銀は一五から一六の比率で交換される。日本の金は海外と比較した場合、それほど価値が重視されてこなかったということである。
「……すると、日本の金は大量に海の向こうへ流れているということか」
 思わず、身震いした。経済に詳しくない鳴海でも分かる。それは、日本の経済力が疲弊し、国力が下がることを意味した。
「その通りでございます」
 善蔵が、重々しく肯いた。
「……尊攘派が鎖港鎖港と騒ぐのは、だからか」
 国元の結束を見出しかねない尊攘派は、今でも根本的に好意を持てない。だが、黄山の説明によって、鳴海は尊攘派の理屈の一端を理解したのだった。
「鳴海殿。まだ、講義は終わってはおりませぬよ」
 軽く笑いながら、黄山は話を続けた。思わず腰を浮かしかけた鳴海も、改めて正座し直す。
「さて、今しがた鳴海殿がおっしゃられたように、金が日本の外へ流れ出るのは早急に食い止めねばなりませぬ。そこで幕府が改鋳して現在江戸で出回っているのが、こちらの万延小判でございます」
 黄山は、さらに別の小判を取り出した。見た目は天保小判と似ているが、受け取ってみると、天保小判より軽い気がする。思わず、黄山の顔を見た。
「天保小判より、軽いのでは?」
「それだけ、小判に含まれる金が少ないということです」
「なるほど……」
 鳴海は黄山から受け取った万延小判を手にしたまましばし思索に耽っていたが、そこで一つの考えに至った。
「小判に含まれる金が少ないということは、小判一枚当たりの価値は、もしや下がっているのか?」
「さすが鳴海様でございますな」
 黄山は瞬時笑顔を見せたが、すぐに真顔になった。
「江戸やその周辺で騒がれている物価の騰貴の原因は、万延小判の改鋳にもあるでしょう」
は、万延小判の改鋳にもあるでしょう」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

改大和型戦艦一番艦「若狭」抜錨す

みにみ
歴史・時代
史実の第二次世界大戦が起きず、各国は技術力を誇示するための 「第二次海軍休日」崩壊後の無制限建艦競争に突入した 航空機技術も発達したが、それ以上に電子射撃装置が劇的に進化。 航空攻撃を無力化する防御陣形が確立されたことで、海戦の決定打は再び「巨大な砲」へと回帰した。 そんな中⑤計画で建造された改大和型戦艦「若狭」 彼女が歩む太平洋の航跡は

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...