鬼と天狗

篠川翠

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第二章 尊攘の波濤

藩公上洛(8)

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 十月に入った。鳴海の番頭就任に伴って城内で鳴海が控える場所も、今までの落ノ間から番頭ノ間に変わった。もっとも番頭ノ間と落ノ間は襖一枚を隔てて隣り合っているだけなのだが、今までとは随分と雰囲気が違う。そして今日は、内心懸念していた学館の生徒らの試験日だった。学館の敷地の一角に弓術の的が立てかけられ、一人四本の矢が渡されている。生徒の中には、右門の姿もあった。他の生徒と談笑しているところを見ると、やはりまだ年端の行かない青年である。
「右門殿。御頭おかしらがご覧になられておる。気合を入れなされよ」
 声を掛けているのは、やはり五番組の原兵太夫である。日置流へきりゅうの弓術師範の免状を持っているため、今日の試験に試験官として立ち会っているのだ。鳴海とは既に見知った仲ではあるが、改めて「御頭」と呼ばれるのは、何やらくすぐったい心地だった。
「承知いたしました」
 右門がやや掠れた声で右門が兵太夫の激励に応じ、こちらに目礼をした。そのまま的に体を向けると、右手に弓を構え、矢をつがえる。が、矢羽と弓糸をつまむ手元や肩が震えている。右門はあまり膂力がないにも関わらず、必要以上に力み過ぎているのだ。案の定、右門の弓は的を外した。
「落ち着け、右門。まだ三本残っている」
 だが、兵太夫の激励も逆効果にしかならなかった。鳴海が検分しているのに焦ったものか、右門は次々に矢をつがえて放ったが、結局当たったのは、一本のみだった。これでは、兄の志摩が嘆くわけである。きっと志摩は、京にいる与兵衛にこの試験の結果も書き送るのだろう。そして鳴海も検分役の一人である以上、ありのままを書くしかなかった。溜息を殺しながら、黙って右門の成績表に「的中一本外矢三本」と書き込む。
 がっくりと肩を落とす右門は、検分席で見ていて可哀想な気もした。
「どうも緊張に弱いご性分なのでしょうな、右門殿は」
 師範役である兵太夫は、こっそりと小声で鳴海にこぼした。確かに兄の志摩と違い、右門はやや繊細な性格のところがある。だが、それでも大切な五番組の一員には違いない。右門の能力を伸ばしてやるのは、鳴海の役割である。鳴海は少し考え、先程の書き込みの欄外に「今般結果ヲ不残ト雖モ見所有リ向後ニ大ニ期待」と書き添えた。これで、少しは右門の慰めになるだろうか。
「――弓術の試験日は、今日でしたか」
 柔らかな声色に鳴海が右門の成績表から顔を上げると、平助の姿があった。普段は学館の教授としてこちらにいるため、たまたま通りかかったのだろう。鳴海の手元の成績表を覗き込むと、「なるほど」と相槌を打った。
「教師役に回ると、普段は見えない組の子の一面が見られるでしょう?」
 相変わらずにこやかな平助の言葉に、鳴海は苦笑しながら肯いた。
「人を育てる側というのも、難しいものですな」
 鳴海は今まで人から指導を受けるばかりであった。一昨年に黄山の息子の面倒を見たことはあったが、あれは苦労のうちにも入らなかったと、今になっては思う。
 おおっと、射的場の片隅でどよめきが上がった。その声につられて鳴海も首を巡らせると、色黒の背の高い青年が、見事な腕前を披露しているところだった。四本の弓は全て金的に命中している。青年は豊かな髪を総髪にしており、やや目立つ風貌だった。だがよほど無口な性質なのか。仲間の称賛にも少し頭を下げただけで、弓を下ろしさっさと着物を整えると、静かに目を伏せている。
「あれは……?」
 その青年の立ち姿が妙に印象に残り、鳴海は平助に小声で尋ねた。
「ああ。武衛流ぶえいりゅう師範の木村貫治かんじ殿の御子息でしょう。確か、銃太郎殿と申されたはずです」
「木村銃太郎殿……」
 鳴海が見たところ、右門よりももう少し年下だろう。父が武衛流の師範ということは、砲術道場の息子だということか。
 それを平助に問うと、平助は然りと肯いた。
「我が弟も武衛流の免状を持っておりますが、十右衛門曰く、現在我が藩で最も砲術の腕が優れているのが、あの銃太郎殿かもしれないと。まだ若年であり、番入りしていないのが惜しまれるとも申しておりました」
 それだけでなく、学館の各種座学の成績も抜群なのだという。特に算術は、曽祖父が二本松藩の算学の大家と言われる渡辺東岳であり、その血筋故か、教師に匹敵する能力を持っているというのだ。
「学館の教授方の間でも、銃太郎殿は評判になっております。優秀な若者故、ゆくゆくは組外で何か別の仕事を任せようかという話もあるようです」
 そういう平助も、目を細めて銃太郎を見つめた。二人の視線に気付いたものか、銃太郎が、ふと顔を上げ慌てたように頭を下げた。だが、こちらに媚びる様子でもなく、再び視線を地面に落とすと、そのまま自席で他の者の試術が終わるのを静かに待っている。
 もっともこのときの鳴海は、銃太郎が後年鳴海の弟である衛守と共に、少年等を率いて戊辰の激戦に巻き込まれることになろうとは、夢にも思わなかった。

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