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第三章 常州騒乱
討伐(3)
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その夜、夕餉時にふと顔を上げると、外で人の騒ぐ気配がした。現在、この大橋宿には寺門の手下らも泊まり込んでいる。騒いでいるのは、どうやら寺門隊のようだった。首領の寺門は水藩の依頼により額田に出張しているため、代わりに戸祭が寺門隊の留守を預かっている。
「胡乱の者でも捕まえましたかな」
興味深そうに鼻を鳴らす戸祭を、鳴海はじろりと睨みつけた。共に戦う者ではあるのだが、やはり水藩の者らを信じ切ることが出来ない自分を、このような瞬間に思い知る。
「我が軍の軍紀にも関わる故、拙者が糺して参る」
戸祭の引き止める間もなく、鳴海は腰を上げた。その様子が気になったのか、背後から大島成渡がついてきた。長柄奉行の権太左衛門が負傷して太田で療養中のため、今は剣術にも秀でている成渡が、臨時の鳴海の警護役を引き受けているのである。
宿の正門脇の潜戸を抜けると、門前で小さな体を丸めている者がいた。その背を、寺門隊の者が蹴り上げている。
「何事か」
威儀を糺して厳しい声色を作ると、寺門隊の者は渋々といった体で鳴海に顔を向けた。
「御頭様……。こいつ、農民のくせに二本松の人間に取り次いでほしいと抜かしております。図々しい」
一人が、ふんと鼻を鳴らした。が、蹲りながらも怯えたようにこちらを見上げるその顔には、何となく見覚えがある。
「鳴海様……でございますか?」
信じられない、といったような声がした。その声を耳にした途端に、鳴海の顔色も変わった。紛れもなく、見知っている人間だった。
「清吉……?」
鳴海の代わりに呟く声を発したのは、成渡だった。恐らく成渡も、清吉と顔見知りだったのだろう。何か言いたげな成渡を目頭で制し、鳴海は未だ蹴り上げようとしている寺門隊の者に、きつく言い渡した。
「戸祭殿に伝えよ。この農民、確かにかつて二本松から逃散した者故、我が藩の手で始末をつけると」
「ですが、御頭様」
寺門の手の者は、尚も不満の色を隠せない。その様子を見た成渡は、あまり気が進まない様子で彼等を手招き、その手に何かを握らせた。
「これで、そなたらの肚に収めよ」
内容を問わなくても分かった。成渡が握らせたのは、寺門隊の今夜の酒代に違いなかった。案の定、「では、おまかせ致します」と寺門の手下らは、門内に消えた。成渡がため息をつく。
寺門隊の者らの姿が消えたのを確認すると、鳴海はようやく小声で詰問にかかった。
「――そなたがこの場にいるということは、芳之助も近くにいるのか?」
鋭い鳴海の口調に怯えたものか、清吉は涙を浮かべてやはり小声で答えた。
「鳴海様、後生でございます。どうか芳之助様をお助けくださいませ。あのままでは、芳之助様は自らその身を滅ぼしてしまいまする」
鳴海は、黙って首を振った。あの脱藩劇のときには気づかなかったが、恐らく清吉は、芳之助の脱藩と共に付き従ってきたのだろう。二年余りその辛苦を共にしてきたものの、主のあまりの変わりように、胸を痛め続けてきたに違いなかった。
先日の石名坂の戦いにおいて、たまたま二本松藩が派遣されていることを知り、清吉は鳴海らに一縷の望みを託したに違いない。
「お前一人ならば、まだ助ける方法があるかもしれない。だが、芳之助は無理だ」
非情とも言える鳴海の言葉に、清吉は涙を浮かべた目を大きく見開いた。
「鳴海殿……。九日の戦でも荒ぶられておられましたが、なぜです?なぜそこまで芳之助に拘られるのです。水府の方々に討ち取らせても、良いではございませぬか」
成渡も、内心では腑に落ちないものがあるらしい。もしくは、己らの手で元二本松藩士を処分しなければならないことに、ある程度の事情を知りつつも、動揺しているものか。鳴海は成渡の顔を見ずに、「他の者には言うな」と前置いた上で、あの秘命を告げた。
「たとえ芳之助が水戸藩の追手を逃れたとしても、助けられることはない。芳之助を誅せよとの命令が、主命として我々に下されている」
「主命……」
成渡の声が震えた。
「結城藩主、日向守勝知公からの主命だ。そう申せば、芳之助の所業に心当たりはあるな?」
成渡が小さく呻いた。下士らの間でも、散切隊が結城城下や関東各地で働いた乱暴の所業は、噂として聞こえているはずだった。
「あれらの所業の中心的役割を、芳之助が担っていたと……」
成渡の震える言葉に、鳴海は肯いてみせた。
「それだけではない。高崎藩の者に捕らえられた際に、水戸藩からは『旧水戸藩士であるため釈放されたし』との説明を受けて、釈放されたそうだ。それ故に、日向守様は、芳之助の所業について『忠義の道を外し、公の寛恕の御心を踏みにじった』と断じられた」
鳴海の説明に、清吉の啜り泣きが大きくなる。
他藩の領主とはいえ、日向守は長国公の弟君である。藩士らにとっては長国公から直々に命令を下されたも同然であり、それは成渡もわかっているはずだった。
「……鬼鳴海の二ツ名は、まことでございましたな」
清吉の絞り出した言葉を、鳴海は黙って聞いていた。言い返したい言葉は、いくつもある。だが、国を守るために情を捨て、公と民のために忠義を尽くすのが鬼だと言うならば、それが武士の在り方というものではないのか。
「――清吉」
穏やかな声に、鳴海は反射的に腰の柄に手を掛けた。成渡も、一瞬にして殺気を膨らませた。
本陣の側を流れる小川の対岸に立っていたのは、藤田芳之助の姿だった。
「胡乱の者でも捕まえましたかな」
興味深そうに鼻を鳴らす戸祭を、鳴海はじろりと睨みつけた。共に戦う者ではあるのだが、やはり水藩の者らを信じ切ることが出来ない自分を、このような瞬間に思い知る。
「我が軍の軍紀にも関わる故、拙者が糺して参る」
戸祭の引き止める間もなく、鳴海は腰を上げた。その様子が気になったのか、背後から大島成渡がついてきた。長柄奉行の権太左衛門が負傷して太田で療養中のため、今は剣術にも秀でている成渡が、臨時の鳴海の警護役を引き受けているのである。
宿の正門脇の潜戸を抜けると、門前で小さな体を丸めている者がいた。その背を、寺門隊の者が蹴り上げている。
「何事か」
威儀を糺して厳しい声色を作ると、寺門隊の者は渋々といった体で鳴海に顔を向けた。
「御頭様……。こいつ、農民のくせに二本松の人間に取り次いでほしいと抜かしております。図々しい」
一人が、ふんと鼻を鳴らした。が、蹲りながらも怯えたようにこちらを見上げるその顔には、何となく見覚えがある。
「鳴海様……でございますか?」
信じられない、といったような声がした。その声を耳にした途端に、鳴海の顔色も変わった。紛れもなく、見知っている人間だった。
「清吉……?」
鳴海の代わりに呟く声を発したのは、成渡だった。恐らく成渡も、清吉と顔見知りだったのだろう。何か言いたげな成渡を目頭で制し、鳴海は未だ蹴り上げようとしている寺門隊の者に、きつく言い渡した。
「戸祭殿に伝えよ。この農民、確かにかつて二本松から逃散した者故、我が藩の手で始末をつけると」
「ですが、御頭様」
寺門の手の者は、尚も不満の色を隠せない。その様子を見た成渡は、あまり気が進まない様子で彼等を手招き、その手に何かを握らせた。
「これで、そなたらの肚に収めよ」
内容を問わなくても分かった。成渡が握らせたのは、寺門隊の今夜の酒代に違いなかった。案の定、「では、おまかせ致します」と寺門の手下らは、門内に消えた。成渡がため息をつく。
寺門隊の者らの姿が消えたのを確認すると、鳴海はようやく小声で詰問にかかった。
「――そなたがこの場にいるということは、芳之助も近くにいるのか?」
鋭い鳴海の口調に怯えたものか、清吉は涙を浮かべてやはり小声で答えた。
「鳴海様、後生でございます。どうか芳之助様をお助けくださいませ。あのままでは、芳之助様は自らその身を滅ぼしてしまいまする」
鳴海は、黙って首を振った。あの脱藩劇のときには気づかなかったが、恐らく清吉は、芳之助の脱藩と共に付き従ってきたのだろう。二年余りその辛苦を共にしてきたものの、主のあまりの変わりように、胸を痛め続けてきたに違いなかった。
先日の石名坂の戦いにおいて、たまたま二本松藩が派遣されていることを知り、清吉は鳴海らに一縷の望みを託したに違いない。
「お前一人ならば、まだ助ける方法があるかもしれない。だが、芳之助は無理だ」
非情とも言える鳴海の言葉に、清吉は涙を浮かべた目を大きく見開いた。
「鳴海殿……。九日の戦でも荒ぶられておられましたが、なぜです?なぜそこまで芳之助に拘られるのです。水府の方々に討ち取らせても、良いではございませぬか」
成渡も、内心では腑に落ちないものがあるらしい。もしくは、己らの手で元二本松藩士を処分しなければならないことに、ある程度の事情を知りつつも、動揺しているものか。鳴海は成渡の顔を見ずに、「他の者には言うな」と前置いた上で、あの秘命を告げた。
「たとえ芳之助が水戸藩の追手を逃れたとしても、助けられることはない。芳之助を誅せよとの命令が、主命として我々に下されている」
「主命……」
成渡の声が震えた。
「結城藩主、日向守勝知公からの主命だ。そう申せば、芳之助の所業に心当たりはあるな?」
成渡が小さく呻いた。下士らの間でも、散切隊が結城城下や関東各地で働いた乱暴の所業は、噂として聞こえているはずだった。
「あれらの所業の中心的役割を、芳之助が担っていたと……」
成渡の震える言葉に、鳴海は肯いてみせた。
「それだけではない。高崎藩の者に捕らえられた際に、水戸藩からは『旧水戸藩士であるため釈放されたし』との説明を受けて、釈放されたそうだ。それ故に、日向守様は、芳之助の所業について『忠義の道を外し、公の寛恕の御心を踏みにじった』と断じられた」
鳴海の説明に、清吉の啜り泣きが大きくなる。
他藩の領主とはいえ、日向守は長国公の弟君である。藩士らにとっては長国公から直々に命令を下されたも同然であり、それは成渡もわかっているはずだった。
「……鬼鳴海の二ツ名は、まことでございましたな」
清吉の絞り出した言葉を、鳴海は黙って聞いていた。言い返したい言葉は、いくつもある。だが、国を守るために情を捨て、公と民のために忠義を尽くすのが鬼だと言うならば、それが武士の在り方というものではないのか。
「――清吉」
穏やかな声に、鳴海は反射的に腰の柄に手を掛けた。成渡も、一瞬にして殺気を膨らませた。
本陣の側を流れる小川の対岸に立っていたのは、藤田芳之助の姿だった。
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