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第三話 ばあや志望の少女は悪役令嬢(仮)と親睦を深める
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「ほら、ターニャ、こちらのビスケットも食べてみてくださいな!我が家のデザート担当の新作ですのよ!」
今、わたしの目の前には朗らかに笑い、上機嫌な侯爵令嬢がいる。
「ありがとうございます、ピヴォワンヌ様。でも、ダイアンサス語でもう一度お願いします。」
リリーヴァレー語で話しかけたお嬢様に、わたしはダイアンサス語で返す。
「…!そうでしたわ、ごめんなさい」
少し慌ててダイアンサス語で返事をするピヴォワンヌ様は、それでもやはり楽しそうにニコニコと笑っていて、その瞳には二年前に出会ったときの陰りはなく、生来のルビーのような色がキラキラと輝いている。
二年前、十二歳でピアニー侯爵家の使用人の採用面接を受けた私は、驚くほどあっさりと雇っていただくことができた。王都にほど近いわたしの生まれた街の新興男爵家で一年ほど働いたことはあったが、その他の仕事の経験は実家のパン屋の手伝いや、地元レストランでの皿洗いと接客、花屋の掃除と配達、孤児院の子どもたちの世話など、様々な業種の経験は積んでいたものの、いずれも平民の暮らしに関わるものばかりであった。そのため、わたしに任される仕事は良くても掃除メイドくらいで、最初は雑用係として皿洗いや買い出し、庭師の手伝いの雑草取りくらいでも十分だと考えていた。
ところが、面接を担当したピアニー侯爵家の執事は、わたしに驚くべき仕事を与えた。
「あなたには、当家のご息女であるピヴォワンヌ様の話し相手になってもらいます」
たかが期間限定の使用人の面接を、侯爵家執事が直々に担当するというだけでも驚いていたわたしは、この言葉に驚愕した。後で聞いた話によると、有力貴族である侯爵家に招き入れる者に不正や過ちがないよう、どんな末端の仕事であっても、必ず侯爵家使用人のトップである執事が最終面接をしているそうである。わたしに関しては最初からいきなり執事面接になったのだが、それは紹介状を書いてくれた、この執事の三男である街の文官のお兄さんから、わたしが他言語を話せるということをすでに聞いていたからであった。
面接の途中に隣国ローズレイク王国の公用語であるローズレイク語での質疑応答や、海の向こうの大陸の共通言語であるダイアンサス語での会話テストがあり、どうやらわたしの回答はお眼鏡にかなったらしい。
「その年齢ですでに二つの他言語での日常会話を身に着けているとは驚きました。どうやって覚えたのですか?」
「以前一年間お世話になった男爵家の奥様がローズレイクのご出身で、屋敷内ではローズレイク語を話されていたんです。使用人も半数はローズレイク出身だったので、掃除メイドとして働くうちに少しずつ聞いて覚えたり、教えてもらったりして学びました。男爵様は元々平民の実業家として海外の大陸との貿易で成果を上げて叙爵された方だったので、お屋敷にいらっしゃるお客様の中にはダイアンサス語をお話になる方も多くいらっしゃいました。わたしもお客様に失礼のないようにと思い、ダイアンサス語と大陸での接客マナーを独学で学びました」
わたしの答えに納得した様子の執事は、侯爵家の長女であり、第一王子の婚約者でもあるピヴォワンヌ様の他言語練習のための話し相手を務めるようにと命じたのであった。
最終的には未来の悪役令嬢となるピヴォワンヌ様になんとか接触したいと考えていたが、まさかいきなり平民の小娘である自分が、高位貴族のご令嬢の話し相手に抜擢されるなど思っておらず、わたしは大いに戸惑った。
なぜ同じような他家のご令嬢や身元の確かな家庭教師に任せないのかと聞きたかったが、先に執事が説明をしてくれた。
ここ数年、執事がいちばん探し求めていたのが、お嬢様と同年代で他言語を使った話し相手になってくれる存在だったこと。ピヴォワンヌ様は妃教育の一環として子どもの頃からローズレイク語とダイアンサス語を学ばれているが、使用頻度の低いダイアンサス語をとくに苦手とされていること。家庭教師を代えたこともあるが、そもそも話す内容が天気や社交辞令の練習ばかりなのが面白くないようで、なかなか上達しないでいること。
そこで同年代の少女と友達のような感覚で練習してもらえたらと考えたが、ピヴォワンヌ様と同じかそれ以上のレベルで話せる貴族のお嬢様がなかなか見つからず困っていたところ、息子から「街でダイアンサス語を話せる少女を見つけた」と聞いて微かな期待を抱いていたそうだ。また、会話練習のためとは言え、他家のご令嬢を頻繁にお借りするのはどう考えても難しいが、専属の話し相手として雇ってしまえば、毎日でも練習時間が取れるので、まさに渡りに船であるという。
「でも、わたしのような平民の娘が侯爵家のお嬢様のお話し相手なんて務まるでしょうか…。お嬢様のご機嫌を損ねてしまうのでは…」
わたしは不安な気持ちを隠さずに告げた。ゲームの中での悪役令嬢ピヴォワンヌは、自分の生まれと爵位に誇りを持っており、だからこそ平民出身のヒロインが気にくわなかったのである。彼女の悪役令嬢化を阻止したいターニャでも、まさかいきなり毎日お嬢様と会話しろなんて言われるとは夢にも思わず、どうして良いのか分からなくなってしまう。
わたしの言葉に執事は「大丈夫ですよ」といった楽観的な返事は一切返さず、ただ微笑みを返すのだった。
あ、この人さては職務には忠実だけど、お家のためには容赦ないタイプの腹黒執事だな…。
ターニャは自分の上司となる執事の微笑みを見て、これからの自分が心配になるのであった。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
十二歳の悪役令嬢めっっっっっちゃ可愛い~~~~~~~!!
普段のわたしの思考はあくまでターニャのものであるが、ピヴォワンヌ様との初対面の際には、心の中で前の「私」の叫び声が聞こえた。
ゲーム開始時の十五歳のときにはまさにボンッキュッボンで妖艶なオーラを持つ令嬢になるのだが、十二歳のピヴォワンヌ様は顔立ちにまだ少女らしさを残しており、スレンダーな体型にAラインのラベンダー色のワンピースがよく似合っている。ゲームのイラストより二十センチほど短いダークレッドのストレートヘアーは、ワンピースと同じラベンダー色のバレッタでハーフアップにまとめられていて、いかにも貴族のお嬢様という風貌だ。
紅玉の瞳はゲームどおりの美しさだが、その目は突然現れた平民の少女を訝し気に見つめている。
「さあ、お嬢様。こちらが今夏の間に他言語の練習相手を務めるターニャです。ダイアンサス語でご挨拶をどうぞ」
執事に促され、お嬢様は不機嫌なオーラを放ちつつも、顔には淑女らしい笑みを張り付けて挨拶した。
「…ピヴォワンヌですわ。…よろしく」
「お初にお目にかかります、ピヴォワンヌ様。ターニャと申します。行き届かぬ点もあるかと存じますが、何卒よろしくお願い申し上げます」
わたしのダイアンサス語での挨拶を聞いたピヴォワンヌ様は、驚いた様子である。
「あなた…ダイアンサス語がとてもお上手なのね。…敬語表現も。…わたくしより上手に話せるなんて…」
思わず、といった様子でリリーヴァレー語を話すピヴォワンヌ様に、わたしはダイアンサス語で慇懃なお礼を返したのだった。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
わたしが平民であるということで、もっと当たりが強いことを想像していたのだが、実際のピヴォワンヌ様はわたしの出自をさほど気にしていないようだった。それよりも、八歳から妃教育の一環で他言語を学んで来た自分が、男爵家の下働き中にたった一年だけ勉強したわたしの方が上手に言葉を操れることを大層悔しがり、ライバル視するようになった。
実際に彼女の中で貴族としての選民意識が強まるのは、この夏を終えた後から、三年間貴族専用の初等学校へ通ったことや、今年の終わりに生まれるはずの彼女と半分だけ血の繋がった妹が、ピアニー侯爵家の末娘として溺愛されたことが大きく関係しており、十二歳の現時点ではまだそこまで拗らせていなかったことも幸いしたのだと思う。
また、わたしは十二歳であるが、前の「私」の記憶があり、外国語を学んだ経験があったことから、男爵家で下働きをしていた際には絶好のチャンスとばかりに、積極的にローズレイク語とダイアンサス語を使って、間違えて、何度も繰り返して身に着けた。
悔しがるピヴォワンヌ様に、自分がどうやって言葉を覚えたのかを説明し、だからこそ自分とたくさん会話をして練習しましょう、という話をした。彼女は他言語の勉強は不得手としていたが、音楽が得意で、とくに歌うことが好きだと知り、わたしはダイアンサス語の歌を数曲ほど教えた。言葉を話すのは苦手だったのに、旋律に乗せた途端に、彼女はいくつもの単語や言葉をスラスラと覚え、それをきっかけに一気に会話も上達していった。
初めて家の中で気軽に会話ができる存在に出会い、ピヴォワンヌ様は侯爵家の長女として、また、第一王子の婚約者として、いつも張りつめていた気持ちが和らぎ、その変化によって壁のあった家族とも徐々に打ち解けていったようだ。
また、平民でありながら複数の他言語を話し、貴族の家や街の店で働いた経験を持ち、初等学校が不要なほど独学で学んだターニャの存在は、ピヴォワンヌ様にとって衝撃であったらしい。
厳しい妃教育に心の中では反発する気持ちもあり、「なぜわたくしだけが…」という思いも持っていたが、第三侯爵家という恵まれた環境を持つ自分よりもずっと努力しているわたしを見て、これまでの自分が如何に甘えていたのかと反省したのだと、後に話してくれた。
ピアニー侯爵家は普段はリリーヴァレー王国南部に位置する領地の邸宅で暮らしており、わたしが雇われたのは夏の社交シーズン中に滞在する王都の屋敷であった。夏が終わる頃にはピヴォワンヌ様とはすっかり打ち解け、「友人」と言えるような関係を築いていた。
ピヴォワンヌ様や執事からは、このままピアニー侯爵家の使用人となり、領地へ一緒に来ないかと誘われたが、わたしは丁重に断った。ピヴォワンヌ様と仲良くなれたことは嬉しいし、超高位貴族である第三侯爵家の使用人という立場に心惹かれるものはあったが、わたしにはゲームの本編開始までに、まだまだ勉強しなければならないことが多くあったからだ。
ピヴォワンヌ様とはダイアンサス語で手紙のやり取りをすることと、また来年の夏に王都で待っていることを伝えて別れたのであった。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
そして、十四歳の今に至る。
初めて会った十二歳の夏と、昨年の十三歳の夏に引き続き、今夏もわたしはピアニー侯爵家ご息女の話し相手として、共に過ごしている。
来年の夏は王立学院使用人科の受験があるため、こうやって過ごす時間は今年が最後であるとは伝えてあり、ピヴォワンヌ様も時折ふと淋しそうな顔を見せるが、わたしの夢を尊重してくれている。
家族との関係も良好で、平民ながら友人としてわたしを認めてくれている彼女は、もはやゲームのような悪役令嬢にはなり得ないと、わたしは確信していた。
ゲームの強制力が働き、入学した途端に悪役令嬢としての血が騒ぐ…という可能性は否定できないが、本来であれば接点のなかったヒロインのサポートキャラである平民のターニャと、悪役令嬢(仮)である侯爵家息女のピヴォワンヌ様が、ゲーム開始前にこれだけ親しくなれたことから、ある程度の未来は変えられるのだと信じるほかない。
「来年は、王立学院で会いましょうね。わたくしは貴族科で、ターニャは使用人科ですけれど、あなたなら絶対に特別クラスに入れるでしょう?使用人科の特別クラスは授業や行事によっては貴族科の手伝いもすると聞いているから、きっとすぐに会えるわね」
今ではすっかり上達した見事なダイアンサス語で、ピヴォワンヌ様が言う。
「ええ。ピヴォワンヌ様もきっと貴族科の特別クラスに合格されるでしょう。学院でお会いできるのを楽しみにしております」
実は正確に言えば、ターニャが目指しているのは王立学院の「使用人科」ではない。しかし、ゲーム本編開始前の現時点でそれを伝えることはまだできないので、素直に笑顔で応じた。
身分違いの友人同士は短い夏を惜しみながらも、楽しく過ごしたのであった。
今、わたしの目の前には朗らかに笑い、上機嫌な侯爵令嬢がいる。
「ありがとうございます、ピヴォワンヌ様。でも、ダイアンサス語でもう一度お願いします。」
リリーヴァレー語で話しかけたお嬢様に、わたしはダイアンサス語で返す。
「…!そうでしたわ、ごめんなさい」
少し慌ててダイアンサス語で返事をするピヴォワンヌ様は、それでもやはり楽しそうにニコニコと笑っていて、その瞳には二年前に出会ったときの陰りはなく、生来のルビーのような色がキラキラと輝いている。
二年前、十二歳でピアニー侯爵家の使用人の採用面接を受けた私は、驚くほどあっさりと雇っていただくことができた。王都にほど近いわたしの生まれた街の新興男爵家で一年ほど働いたことはあったが、その他の仕事の経験は実家のパン屋の手伝いや、地元レストランでの皿洗いと接客、花屋の掃除と配達、孤児院の子どもたちの世話など、様々な業種の経験は積んでいたものの、いずれも平民の暮らしに関わるものばかりであった。そのため、わたしに任される仕事は良くても掃除メイドくらいで、最初は雑用係として皿洗いや買い出し、庭師の手伝いの雑草取りくらいでも十分だと考えていた。
ところが、面接を担当したピアニー侯爵家の執事は、わたしに驚くべき仕事を与えた。
「あなたには、当家のご息女であるピヴォワンヌ様の話し相手になってもらいます」
たかが期間限定の使用人の面接を、侯爵家執事が直々に担当するというだけでも驚いていたわたしは、この言葉に驚愕した。後で聞いた話によると、有力貴族である侯爵家に招き入れる者に不正や過ちがないよう、どんな末端の仕事であっても、必ず侯爵家使用人のトップである執事が最終面接をしているそうである。わたしに関しては最初からいきなり執事面接になったのだが、それは紹介状を書いてくれた、この執事の三男である街の文官のお兄さんから、わたしが他言語を話せるということをすでに聞いていたからであった。
面接の途中に隣国ローズレイク王国の公用語であるローズレイク語での質疑応答や、海の向こうの大陸の共通言語であるダイアンサス語での会話テストがあり、どうやらわたしの回答はお眼鏡にかなったらしい。
「その年齢ですでに二つの他言語での日常会話を身に着けているとは驚きました。どうやって覚えたのですか?」
「以前一年間お世話になった男爵家の奥様がローズレイクのご出身で、屋敷内ではローズレイク語を話されていたんです。使用人も半数はローズレイク出身だったので、掃除メイドとして働くうちに少しずつ聞いて覚えたり、教えてもらったりして学びました。男爵様は元々平民の実業家として海外の大陸との貿易で成果を上げて叙爵された方だったので、お屋敷にいらっしゃるお客様の中にはダイアンサス語をお話になる方も多くいらっしゃいました。わたしもお客様に失礼のないようにと思い、ダイアンサス語と大陸での接客マナーを独学で学びました」
わたしの答えに納得した様子の執事は、侯爵家の長女であり、第一王子の婚約者でもあるピヴォワンヌ様の他言語練習のための話し相手を務めるようにと命じたのであった。
最終的には未来の悪役令嬢となるピヴォワンヌ様になんとか接触したいと考えていたが、まさかいきなり平民の小娘である自分が、高位貴族のご令嬢の話し相手に抜擢されるなど思っておらず、わたしは大いに戸惑った。
なぜ同じような他家のご令嬢や身元の確かな家庭教師に任せないのかと聞きたかったが、先に執事が説明をしてくれた。
ここ数年、執事がいちばん探し求めていたのが、お嬢様と同年代で他言語を使った話し相手になってくれる存在だったこと。ピヴォワンヌ様は妃教育の一環として子どもの頃からローズレイク語とダイアンサス語を学ばれているが、使用頻度の低いダイアンサス語をとくに苦手とされていること。家庭教師を代えたこともあるが、そもそも話す内容が天気や社交辞令の練習ばかりなのが面白くないようで、なかなか上達しないでいること。
そこで同年代の少女と友達のような感覚で練習してもらえたらと考えたが、ピヴォワンヌ様と同じかそれ以上のレベルで話せる貴族のお嬢様がなかなか見つからず困っていたところ、息子から「街でダイアンサス語を話せる少女を見つけた」と聞いて微かな期待を抱いていたそうだ。また、会話練習のためとは言え、他家のご令嬢を頻繁にお借りするのはどう考えても難しいが、専属の話し相手として雇ってしまえば、毎日でも練習時間が取れるので、まさに渡りに船であるという。
「でも、わたしのような平民の娘が侯爵家のお嬢様のお話し相手なんて務まるでしょうか…。お嬢様のご機嫌を損ねてしまうのでは…」
わたしは不安な気持ちを隠さずに告げた。ゲームの中での悪役令嬢ピヴォワンヌは、自分の生まれと爵位に誇りを持っており、だからこそ平民出身のヒロインが気にくわなかったのである。彼女の悪役令嬢化を阻止したいターニャでも、まさかいきなり毎日お嬢様と会話しろなんて言われるとは夢にも思わず、どうして良いのか分からなくなってしまう。
わたしの言葉に執事は「大丈夫ですよ」といった楽観的な返事は一切返さず、ただ微笑みを返すのだった。
あ、この人さては職務には忠実だけど、お家のためには容赦ないタイプの腹黒執事だな…。
ターニャは自分の上司となる執事の微笑みを見て、これからの自分が心配になるのであった。
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十二歳の悪役令嬢めっっっっっちゃ可愛い~~~~~~~!!
普段のわたしの思考はあくまでターニャのものであるが、ピヴォワンヌ様との初対面の際には、心の中で前の「私」の叫び声が聞こえた。
ゲーム開始時の十五歳のときにはまさにボンッキュッボンで妖艶なオーラを持つ令嬢になるのだが、十二歳のピヴォワンヌ様は顔立ちにまだ少女らしさを残しており、スレンダーな体型にAラインのラベンダー色のワンピースがよく似合っている。ゲームのイラストより二十センチほど短いダークレッドのストレートヘアーは、ワンピースと同じラベンダー色のバレッタでハーフアップにまとめられていて、いかにも貴族のお嬢様という風貌だ。
紅玉の瞳はゲームどおりの美しさだが、その目は突然現れた平民の少女を訝し気に見つめている。
「さあ、お嬢様。こちらが今夏の間に他言語の練習相手を務めるターニャです。ダイアンサス語でご挨拶をどうぞ」
執事に促され、お嬢様は不機嫌なオーラを放ちつつも、顔には淑女らしい笑みを張り付けて挨拶した。
「…ピヴォワンヌですわ。…よろしく」
「お初にお目にかかります、ピヴォワンヌ様。ターニャと申します。行き届かぬ点もあるかと存じますが、何卒よろしくお願い申し上げます」
わたしのダイアンサス語での挨拶を聞いたピヴォワンヌ様は、驚いた様子である。
「あなた…ダイアンサス語がとてもお上手なのね。…敬語表現も。…わたくしより上手に話せるなんて…」
思わず、といった様子でリリーヴァレー語を話すピヴォワンヌ様に、わたしはダイアンサス語で慇懃なお礼を返したのだった。
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わたしが平民であるということで、もっと当たりが強いことを想像していたのだが、実際のピヴォワンヌ様はわたしの出自をさほど気にしていないようだった。それよりも、八歳から妃教育の一環で他言語を学んで来た自分が、男爵家の下働き中にたった一年だけ勉強したわたしの方が上手に言葉を操れることを大層悔しがり、ライバル視するようになった。
実際に彼女の中で貴族としての選民意識が強まるのは、この夏を終えた後から、三年間貴族専用の初等学校へ通ったことや、今年の終わりに生まれるはずの彼女と半分だけ血の繋がった妹が、ピアニー侯爵家の末娘として溺愛されたことが大きく関係しており、十二歳の現時点ではまだそこまで拗らせていなかったことも幸いしたのだと思う。
また、わたしは十二歳であるが、前の「私」の記憶があり、外国語を学んだ経験があったことから、男爵家で下働きをしていた際には絶好のチャンスとばかりに、積極的にローズレイク語とダイアンサス語を使って、間違えて、何度も繰り返して身に着けた。
悔しがるピヴォワンヌ様に、自分がどうやって言葉を覚えたのかを説明し、だからこそ自分とたくさん会話をして練習しましょう、という話をした。彼女は他言語の勉強は不得手としていたが、音楽が得意で、とくに歌うことが好きだと知り、わたしはダイアンサス語の歌を数曲ほど教えた。言葉を話すのは苦手だったのに、旋律に乗せた途端に、彼女はいくつもの単語や言葉をスラスラと覚え、それをきっかけに一気に会話も上達していった。
初めて家の中で気軽に会話ができる存在に出会い、ピヴォワンヌ様は侯爵家の長女として、また、第一王子の婚約者として、いつも張りつめていた気持ちが和らぎ、その変化によって壁のあった家族とも徐々に打ち解けていったようだ。
また、平民でありながら複数の他言語を話し、貴族の家や街の店で働いた経験を持ち、初等学校が不要なほど独学で学んだターニャの存在は、ピヴォワンヌ様にとって衝撃であったらしい。
厳しい妃教育に心の中では反発する気持ちもあり、「なぜわたくしだけが…」という思いも持っていたが、第三侯爵家という恵まれた環境を持つ自分よりもずっと努力しているわたしを見て、これまでの自分が如何に甘えていたのかと反省したのだと、後に話してくれた。
ピアニー侯爵家は普段はリリーヴァレー王国南部に位置する領地の邸宅で暮らしており、わたしが雇われたのは夏の社交シーズン中に滞在する王都の屋敷であった。夏が終わる頃にはピヴォワンヌ様とはすっかり打ち解け、「友人」と言えるような関係を築いていた。
ピヴォワンヌ様や執事からは、このままピアニー侯爵家の使用人となり、領地へ一緒に来ないかと誘われたが、わたしは丁重に断った。ピヴォワンヌ様と仲良くなれたことは嬉しいし、超高位貴族である第三侯爵家の使用人という立場に心惹かれるものはあったが、わたしにはゲームの本編開始までに、まだまだ勉強しなければならないことが多くあったからだ。
ピヴォワンヌ様とはダイアンサス語で手紙のやり取りをすることと、また来年の夏に王都で待っていることを伝えて別れたのであった。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
そして、十四歳の今に至る。
初めて会った十二歳の夏と、昨年の十三歳の夏に引き続き、今夏もわたしはピアニー侯爵家ご息女の話し相手として、共に過ごしている。
来年の夏は王立学院使用人科の受験があるため、こうやって過ごす時間は今年が最後であるとは伝えてあり、ピヴォワンヌ様も時折ふと淋しそうな顔を見せるが、わたしの夢を尊重してくれている。
家族との関係も良好で、平民ながら友人としてわたしを認めてくれている彼女は、もはやゲームのような悪役令嬢にはなり得ないと、わたしは確信していた。
ゲームの強制力が働き、入学した途端に悪役令嬢としての血が騒ぐ…という可能性は否定できないが、本来であれば接点のなかったヒロインのサポートキャラである平民のターニャと、悪役令嬢(仮)である侯爵家息女のピヴォワンヌ様が、ゲーム開始前にこれだけ親しくなれたことから、ある程度の未来は変えられるのだと信じるほかない。
「来年は、王立学院で会いましょうね。わたくしは貴族科で、ターニャは使用人科ですけれど、あなたなら絶対に特別クラスに入れるでしょう?使用人科の特別クラスは授業や行事によっては貴族科の手伝いもすると聞いているから、きっとすぐに会えるわね」
今ではすっかり上達した見事なダイアンサス語で、ピヴォワンヌ様が言う。
「ええ。ピヴォワンヌ様もきっと貴族科の特別クラスに合格されるでしょう。学院でお会いできるのを楽しみにしております」
実は正確に言えば、ターニャが目指しているのは王立学院の「使用人科」ではない。しかし、ゲーム本編開始前の現時点でそれを伝えることはまだできないので、素直に笑顔で応じた。
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