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第十二話 入学三日目夜:リーリエの気持ち、アルベールの気持ち
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今日も一日を無事に終え、リーリエ様と私は学生寮の自室へと戻ってきた。
乙女ゲーム『月と太陽のリリー』の世界でも、学院生活の一日を終えるごとに、リビングでの会話が挿入されており、ヒロインはサポートキャラである侍女から恋のアドバイスをもらうのだ。
泥酔事件のドタバタで聞くタイミングを逃していたが、昨日のレクリエーション終了後から、リーリエ様のアルベール様を見る様子が少し変わったことに、私は気付いていた。
「リーリエ様、本日もお疲れさまでした。クラスの皆様と仲良くなれたようで何よりです」
「ええ、皆さんとても優しく受け入れてくださってありがたいわ。イーサン様とエヴリン様とは、昨日のレクリエーションの前の作戦会議でだいぶ打ち解けられたの。さすが名門オリアンダー伯爵家の天才と称されるご兄妹ね。意表を突くようなアイディアがポンポン出てくるので驚いたわ。おふたりとも気さくなお人柄だけど、私に対してとても気遣ってくださって、感謝するばかりね。今朝も私が気に病まないよう明るく振舞ってくださって、とても助かったわ」
詳しく聞いてみると、レクリエーション前の作戦会議はヘクターチームも盛り上がっていたが、アルベールチームも同様に白熱していたらしい。
また、リーリエ様の言う通り、オリアンダー兄妹はゲーム同様に、すでにクラスのムードメーカーになっていると感じる。そして兄のイーサン様は、どうやらアルベール様の気持ちに気付いているようだ。今日もアルベール様がリーリエ様を見る表情をこっそり窺いながら面白そうにしていたが、今のところとくにちょっかいを出すわけでもなく、観察に徹していた。妹のエヴリン様は一見無邪気で自由な性格に見えるが、昨日の食事会の際も、今朝の謝罪合戦やモーニングティーのときも、クラスメイトの様子をよく見て、場を和ませてくれている。
そして昨夜お菓子作りをしながら、リーリエ様はだいぶ私に打ち解けてくれたようで、口調も気安いものになっている。親しくなれたようで、内心とても嬉しい。
「ピヴォワンヌ様は…とてもお優しくて素敵な方ね。作戦会議のときは、最後まで私ではなくご自身の配点を一ポイントにするべきだとおっしゃっていたの。たとえレクリエーションと言え、第三侯爵令嬢が、平民上がりの男爵家の娘より下で構わないだなんて、普通は言えないと思う。私が固辞したので最終的には納得してくださったけれど、こうおっしゃったの。『今回だけですわ。次からは遠慮なんて許しませんわよ』って」
「それはとてもピヴォワンヌ様らしいですね」
私にはピヴォワンヌ様の表情が目に浮かんだ。言い方はキツいようにも感じられるが、それはクラスメイトとしてリーリエ様に対等に接してほしい、委縮する必要はないという、彼女の心からの言葉だ。
「ええ、それに今日ランチをご一緒した際にも、自然な会話の中で、アルベール様の幼い頃のご様子や、イーサン様とエヴリン様の数々のエピソードも教えてくださったわね。私以外は幼馴染みのご関係だから、私が皆様のことを知れるようにと気を回してくださったんだわ。この国でトップレベルの貴族家のお生まれでありながら、平民出身の私にまで本当に気を掛けてくださる素晴らしい方だと感じたわ。ピヴォワンヌ様はお美しいだけでなく、公平な目をお持ちで、毅然とされていて…将来の王子妃に相応しい方ね」
前半のリーリエ様の言葉には本当に嬉しそうな響きが感じられた。そして後半のピヴォワンヌ様の人柄を褒める言葉も本心であることが伝わってきたが、わざわざはっきりとピヴォワンヌ様が「王子妃に相応しい」と言葉にしたのは、自分自身に言い聞かせるようでもあった。
そんなリーリエ様の様子を見て、私は本題に入った。
「アルベール様とは、お話できましたか?」
「…ええ、昨日ターニャとヘクターさんに見つかったときにね。あの場所で合流したのは偶然だったのだけど、少しお話ができたわ。私はアルベール様に気になっていたことを質問したの。『なぜご自身を五ポイントにされたのか』と」
そう、先ほどリーリエ様からアルベールチームの作戦会議の経過については詳しく聞いていた。当初はイーサン様とエヴリン様の発案で、ヘクターチームの裏をかくために、敢えてリーリエ様を五ポイントにして厳重に隠し、一~三ポイントのメンバーが囮と誘導役になって逃げきるという方針で決まりそうになったのだという。それに反対し、裏の裏をかいて自分が五ポイント役を引き受けると言い出したのはアルベール様だったのだという。
「アルベール様は、なんと?」
「…自分は気位が高いから、他の者より低いポイントになるのが嫌だったのだと」
もちろん、この言葉を率直に受け取るリーリエ様ではない。裏を返せば、他の者に高得点を背負わせたくなかったのだということだ。負けることを考えていたわけではないだろうが、万が一、囮作戦が失敗し、五ポイントを背負ったリーリエ様が掴まれば、アルベールチームは一気に形勢が不利になる。負けたときには自然とリーリエ様が捕まったことが敗因となるだろう。アルベール様は自分が最高得点を引き受けることによって、リーリエ様が受ける可能性のあった責から彼女をかばったのであった。
「…アルベール様は、責任感が強く、お優しい方ね」
アルベール様を思い浮かべたリーリエ様の瞳には、確かな感情の芽生えが見えた。それと同時に、許されるはずのないその感情の花を、咲かせる前に枯らしてしまうことの切なさで揺れているようにも見えた。
「…そうですね。リーリエ様、今日もお疲れでしょう。お茶をお淹れしますね」
「ありがとう、ターニャ。またカモミールティーを淹れてもらえる?」
「はい、かしこまりました」
リーリエ様の複雑な胸中を思い、私は今日も心を込めてお茶を淹れるのであった。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
お茶を終え、リーリエ様がリビングから寝室へ戻るのを見届けてから、私も自分の部屋へと入る。まだたった三日間を終えただけなのに、かなりの疲労を感じた私は、お風呂を後回しにしてベッドに寝転がった。自分でも思った以上に気を張り詰めていたのだろう。ぐーっと体を伸ばして深呼吸をした瞬間に睡魔が襲ってくる。
眠りに落ちるのはまだ早い。考えなくてはいけないことはたくさんあるのだと気を引き締め、眠気を振り払うように頬を叩いてから、勢いよく立ち上がる。そして私は、前の「私」が物語で読んだ探偵のように、うろうろと部屋の中を歩きながら思考する。
乙女ゲームのヒロインであるリーリエ様は、やはりストーリーどおりにアルベール様に恋をした。アルベール様も同様だ。しかし、物語と異なるのは、ピヴォワンヌ様が悪役令嬢にならないため、婚約破棄のきっかけも起こらないということだった。
主人であるリーリエ様が恋を見つけた以上、私としてはなんとしても彼女の恋を全力で叶えたい。しかし、大切な友人であるピヴォワンヌ様のことも幸せにしたい。それが私の目指す大団円エンドなのだから。
すべてを丸く収めるためには、現時点で重要なピースが抜け落ちているのだ。つまりは、ピヴォワンヌ様のお相手となるべき男性の存在だ。
ピヴォワンヌ様は八歳からアルベール様と婚約していたので、当然ながらその周りに異性の陰など存在しない。家同士の約束事だから仕方ないとは言え、アルベール様との婚約継続に異論がなかったのは、他に想う相手がいなかったというのも大きいと思われる。それはアルベール様の方も同じだった。もしも幼いながらにふたりに別の相手が出来たり、相性が悪かったりしたなら、無理に婚約継続をする必要はなかったはずなのだ。前の「私」の知識が正しければ、リリーヴァレー王国はこの婚約で何かが左右されるほど不安定な状況ではなく、国王陛下もピアニー侯爵も、それぞれ自分の子どものことは大事に思っているので、無理を押してまで結婚させる気はないはずだ。
この婚約が今日まで続いてきたのは、ひとえにアルベール様にもピヴォワンヌ様にも他の相手が現れず、また、現状国内でこの組み合わせ以上に相応しい相手がいなかったからだ。第三侯爵家出身のピヴォワンヌ様は、アルベール様と同年代の女性の中では最高位に当たり、公爵家と第一・第二侯爵家には年頃の女性はおらず、その次となると第七・第八侯爵家のご令嬢か、第一伯爵家令嬢のエヴリン様が候補となるが、ピヴォワンヌ様との関係が良好な以上、婚約者の見直しが発生することなどあり得ない。
要するに、この婚約が解消されるとしたら、アルベール様とピヴォワンヌ様それぞれに、今の組み合わせより相応しいと周囲に納得させられるような相手を作るしかない。
しかし率直に言って、男爵家令嬢になったばかりのリーリエ様に、このハードルはかなり厳しい。乙女ゲームの世界で第一王子とヒロインの婚約が認められたのは、悪役令嬢が自滅し、相対的にヒロインの株が上がったことが大きく起因していたのだ。今のピヴォワンヌ様にそんな隙はなく、将来の国母に相応しい知性と気品を漂わせている。そして私としてもピヴォワンヌ様の価値を下げるような行動をするつもりは毛頭ない。
これからやるべきことは、リーリエ様自身の価値を高めること。そして、ピヴォワンヌ様にも心から幸せになれる相手を見つけてもらうこと。
どちらもたかが侍女にどうにかできる問題ではないが、やらねばならない。これからの三年間を、私は一分たりとも無駄には出来ないと、決意に拳を握りしめた。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
一方、第一王子アルベールの自室では、呆けた様子のアルベールを見かねて、ヘクターが彼の頬を軽くつねる。
「おーい、アル。そろそろ現実に戻ってきてくれ」
「……ああ」
アルベールは無意識に気の抜けた返事を返す。
「オレの前で気を抜くのは構わないけど、さすがに第一王子がこんなんじゃ心配になる。…リーリエ嬢のことがそんなに気になるか?」
「……!」
ヘクターから出てきたリーリエの名前に反応し、アルベールの意識が戻ってきた。まさに彼女のことを考えてずっとぼんやりしていたのだが、ヘクターにはお見通しだったようだ。
ヘクターとしては、昨日も同じような状態だったので指摘したいと思っていたのだが、昨日のアルベールは酔っぱらった後に眠り込んでしまったリーリエのことを心底案じている様子だったので、からかえずにいたのだ。
「今日はあまり話していなかったと思うけれど、昨日仲良くなったのか?」
「…ああ、昨日のレクリエーションでお前たちに捕まるまでの間に、少し話をしてな。作戦会議のときから彼女の賢さは感じていたが、一対一で話してみると、彼女の思慮深さや見識の広さをまざまざと見せつけられたよ。あれでつい最近までは平民であったというのだから、本当に面白い」
「それはお前が受けた彼女の印象だけだろう。オレが聞いているのは、彼女に対するお前の気持ちだ」
「……確かに、不覚にも、何度か可愛いと思ってしまったことは認める。昨日お前たちが挟み撃ちをしようとしてきたときだって、勝つためには彼女を囮にして逃げるべきで、それがリーダーとしての俺の役割だと理解していた。なのに、お前たちが彼女に迫っていくのを見たら、体が勝手に動いてしまったんだ」
自分の気持ちに戸惑うアルベールに、ヘクターは追及を緩めない。
「もしもそのときに一緒にいたのがピヴォワンヌ様だったら、お前は逃げたか?」
「……逃げただろうな。ピヴォワンヌなら俺がそうするのが正解だと理解してくれる」
「リーリエ様は理解できていなかったと?」
「…!いや、そんなことはない。…そうだな。俺は、そこにいたのがリーリエ嬢だったから…」
ヘクターの言葉に、アルベールは深く考え込んでしまう。
「昨日酔ってしまったリーリエ嬢を見て、どう思った?今朝彼女に会ったとき、どう思った?」
ヘクターの言葉で、アルベールは嫌でも自分の気持ちを自覚するほかなかった。お酒のせいで眠り込んでしまう前のリーリエの口から飛び出たのは、自分をかばう言葉だった。呂律は回っていなかったが、自分のことを「正義感溢れる素敵な方」「次に同じ失敗はしない」と言ってくれた。酔った勢いで飛び出した言葉だろうが、だからこそそれは彼女の本心だと思えた。しかも、心から自分を信頼する言葉だったのだ。嬉しくないはずがなかったし、正直言って舌足らずな喋り方すら抱きしめたいほど可愛いと思ってしまった。その後急に眠りに落ちて崩れ落ちそうになったときは肝が冷えたが。
今朝、クラスメイトよりも早く登校し、真摯に反省し謝罪する様は誇り高く美しいと感じたし、モーニングティーのために作ってきてくれたケーキは本当に自分好みの味で驚いた。皆から褒められ、照れながらも嬉しそうな表情に、心臓を掴まれたような心持ちがした。
…そうか、この気持ちが「愛おしい」という感情なのか。
アルベールはようやく自分の気持ちを理解した。
そして、すぐに蓋をした。
「お前の言いたいことは理解したし、否定できない。…だがしかし、俺は婚約者として長年尽くしてくれているピヴォワンヌを裏切る気はない」
「なるほど。お前の気持ちはよく分かったよ」
ヘクターは柔らかな笑みを浮かべ、この話はここまでで終わりにした。
従者の自室に戻り、ヘクターは考える。
アルベールはピヴォワンヌを裏切らない。しかしアルベールはリーリエという想い人を見つけた。だとしたら、世話の焼ける主人が幸せになれる道を用意してやるのが従者の務めだろう。アルベールの気持ちがはっきりしたことで、これからの自分の方針が固まった。
「さて、あとはどうやって彼女を乗せるかだな」
これからの学院生活を思い、ヘクターは計画を練り始めるのだった。
乙女ゲーム『月と太陽のリリー』の世界でも、学院生活の一日を終えるごとに、リビングでの会話が挿入されており、ヒロインはサポートキャラである侍女から恋のアドバイスをもらうのだ。
泥酔事件のドタバタで聞くタイミングを逃していたが、昨日のレクリエーション終了後から、リーリエ様のアルベール様を見る様子が少し変わったことに、私は気付いていた。
「リーリエ様、本日もお疲れさまでした。クラスの皆様と仲良くなれたようで何よりです」
「ええ、皆さんとても優しく受け入れてくださってありがたいわ。イーサン様とエヴリン様とは、昨日のレクリエーションの前の作戦会議でだいぶ打ち解けられたの。さすが名門オリアンダー伯爵家の天才と称されるご兄妹ね。意表を突くようなアイディアがポンポン出てくるので驚いたわ。おふたりとも気さくなお人柄だけど、私に対してとても気遣ってくださって、感謝するばかりね。今朝も私が気に病まないよう明るく振舞ってくださって、とても助かったわ」
詳しく聞いてみると、レクリエーション前の作戦会議はヘクターチームも盛り上がっていたが、アルベールチームも同様に白熱していたらしい。
また、リーリエ様の言う通り、オリアンダー兄妹はゲーム同様に、すでにクラスのムードメーカーになっていると感じる。そして兄のイーサン様は、どうやらアルベール様の気持ちに気付いているようだ。今日もアルベール様がリーリエ様を見る表情をこっそり窺いながら面白そうにしていたが、今のところとくにちょっかいを出すわけでもなく、観察に徹していた。妹のエヴリン様は一見無邪気で自由な性格に見えるが、昨日の食事会の際も、今朝の謝罪合戦やモーニングティーのときも、クラスメイトの様子をよく見て、場を和ませてくれている。
そして昨夜お菓子作りをしながら、リーリエ様はだいぶ私に打ち解けてくれたようで、口調も気安いものになっている。親しくなれたようで、内心とても嬉しい。
「ピヴォワンヌ様は…とてもお優しくて素敵な方ね。作戦会議のときは、最後まで私ではなくご自身の配点を一ポイントにするべきだとおっしゃっていたの。たとえレクリエーションと言え、第三侯爵令嬢が、平民上がりの男爵家の娘より下で構わないだなんて、普通は言えないと思う。私が固辞したので最終的には納得してくださったけれど、こうおっしゃったの。『今回だけですわ。次からは遠慮なんて許しませんわよ』って」
「それはとてもピヴォワンヌ様らしいですね」
私にはピヴォワンヌ様の表情が目に浮かんだ。言い方はキツいようにも感じられるが、それはクラスメイトとしてリーリエ様に対等に接してほしい、委縮する必要はないという、彼女の心からの言葉だ。
「ええ、それに今日ランチをご一緒した際にも、自然な会話の中で、アルベール様の幼い頃のご様子や、イーサン様とエヴリン様の数々のエピソードも教えてくださったわね。私以外は幼馴染みのご関係だから、私が皆様のことを知れるようにと気を回してくださったんだわ。この国でトップレベルの貴族家のお生まれでありながら、平民出身の私にまで本当に気を掛けてくださる素晴らしい方だと感じたわ。ピヴォワンヌ様はお美しいだけでなく、公平な目をお持ちで、毅然とされていて…将来の王子妃に相応しい方ね」
前半のリーリエ様の言葉には本当に嬉しそうな響きが感じられた。そして後半のピヴォワンヌ様の人柄を褒める言葉も本心であることが伝わってきたが、わざわざはっきりとピヴォワンヌ様が「王子妃に相応しい」と言葉にしたのは、自分自身に言い聞かせるようでもあった。
そんなリーリエ様の様子を見て、私は本題に入った。
「アルベール様とは、お話できましたか?」
「…ええ、昨日ターニャとヘクターさんに見つかったときにね。あの場所で合流したのは偶然だったのだけど、少しお話ができたわ。私はアルベール様に気になっていたことを質問したの。『なぜご自身を五ポイントにされたのか』と」
そう、先ほどリーリエ様からアルベールチームの作戦会議の経過については詳しく聞いていた。当初はイーサン様とエヴリン様の発案で、ヘクターチームの裏をかくために、敢えてリーリエ様を五ポイントにして厳重に隠し、一~三ポイントのメンバーが囮と誘導役になって逃げきるという方針で決まりそうになったのだという。それに反対し、裏の裏をかいて自分が五ポイント役を引き受けると言い出したのはアルベール様だったのだという。
「アルベール様は、なんと?」
「…自分は気位が高いから、他の者より低いポイントになるのが嫌だったのだと」
もちろん、この言葉を率直に受け取るリーリエ様ではない。裏を返せば、他の者に高得点を背負わせたくなかったのだということだ。負けることを考えていたわけではないだろうが、万が一、囮作戦が失敗し、五ポイントを背負ったリーリエ様が掴まれば、アルベールチームは一気に形勢が不利になる。負けたときには自然とリーリエ様が捕まったことが敗因となるだろう。アルベール様は自分が最高得点を引き受けることによって、リーリエ様が受ける可能性のあった責から彼女をかばったのであった。
「…アルベール様は、責任感が強く、お優しい方ね」
アルベール様を思い浮かべたリーリエ様の瞳には、確かな感情の芽生えが見えた。それと同時に、許されるはずのないその感情の花を、咲かせる前に枯らしてしまうことの切なさで揺れているようにも見えた。
「…そうですね。リーリエ様、今日もお疲れでしょう。お茶をお淹れしますね」
「ありがとう、ターニャ。またカモミールティーを淹れてもらえる?」
「はい、かしこまりました」
リーリエ様の複雑な胸中を思い、私は今日も心を込めてお茶を淹れるのであった。
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お茶を終え、リーリエ様がリビングから寝室へ戻るのを見届けてから、私も自分の部屋へと入る。まだたった三日間を終えただけなのに、かなりの疲労を感じた私は、お風呂を後回しにしてベッドに寝転がった。自分でも思った以上に気を張り詰めていたのだろう。ぐーっと体を伸ばして深呼吸をした瞬間に睡魔が襲ってくる。
眠りに落ちるのはまだ早い。考えなくてはいけないことはたくさんあるのだと気を引き締め、眠気を振り払うように頬を叩いてから、勢いよく立ち上がる。そして私は、前の「私」が物語で読んだ探偵のように、うろうろと部屋の中を歩きながら思考する。
乙女ゲームのヒロインであるリーリエ様は、やはりストーリーどおりにアルベール様に恋をした。アルベール様も同様だ。しかし、物語と異なるのは、ピヴォワンヌ様が悪役令嬢にならないため、婚約破棄のきっかけも起こらないということだった。
主人であるリーリエ様が恋を見つけた以上、私としてはなんとしても彼女の恋を全力で叶えたい。しかし、大切な友人であるピヴォワンヌ様のことも幸せにしたい。それが私の目指す大団円エンドなのだから。
すべてを丸く収めるためには、現時点で重要なピースが抜け落ちているのだ。つまりは、ピヴォワンヌ様のお相手となるべき男性の存在だ。
ピヴォワンヌ様は八歳からアルベール様と婚約していたので、当然ながらその周りに異性の陰など存在しない。家同士の約束事だから仕方ないとは言え、アルベール様との婚約継続に異論がなかったのは、他に想う相手がいなかったというのも大きいと思われる。それはアルベール様の方も同じだった。もしも幼いながらにふたりに別の相手が出来たり、相性が悪かったりしたなら、無理に婚約継続をする必要はなかったはずなのだ。前の「私」の知識が正しければ、リリーヴァレー王国はこの婚約で何かが左右されるほど不安定な状況ではなく、国王陛下もピアニー侯爵も、それぞれ自分の子どものことは大事に思っているので、無理を押してまで結婚させる気はないはずだ。
この婚約が今日まで続いてきたのは、ひとえにアルベール様にもピヴォワンヌ様にも他の相手が現れず、また、現状国内でこの組み合わせ以上に相応しい相手がいなかったからだ。第三侯爵家出身のピヴォワンヌ様は、アルベール様と同年代の女性の中では最高位に当たり、公爵家と第一・第二侯爵家には年頃の女性はおらず、その次となると第七・第八侯爵家のご令嬢か、第一伯爵家令嬢のエヴリン様が候補となるが、ピヴォワンヌ様との関係が良好な以上、婚約者の見直しが発生することなどあり得ない。
要するに、この婚約が解消されるとしたら、アルベール様とピヴォワンヌ様それぞれに、今の組み合わせより相応しいと周囲に納得させられるような相手を作るしかない。
しかし率直に言って、男爵家令嬢になったばかりのリーリエ様に、このハードルはかなり厳しい。乙女ゲームの世界で第一王子とヒロインの婚約が認められたのは、悪役令嬢が自滅し、相対的にヒロインの株が上がったことが大きく起因していたのだ。今のピヴォワンヌ様にそんな隙はなく、将来の国母に相応しい知性と気品を漂わせている。そして私としてもピヴォワンヌ様の価値を下げるような行動をするつもりは毛頭ない。
これからやるべきことは、リーリエ様自身の価値を高めること。そして、ピヴォワンヌ様にも心から幸せになれる相手を見つけてもらうこと。
どちらもたかが侍女にどうにかできる問題ではないが、やらねばならない。これからの三年間を、私は一分たりとも無駄には出来ないと、決意に拳を握りしめた。
∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴
一方、第一王子アルベールの自室では、呆けた様子のアルベールを見かねて、ヘクターが彼の頬を軽くつねる。
「おーい、アル。そろそろ現実に戻ってきてくれ」
「……ああ」
アルベールは無意識に気の抜けた返事を返す。
「オレの前で気を抜くのは構わないけど、さすがに第一王子がこんなんじゃ心配になる。…リーリエ嬢のことがそんなに気になるか?」
「……!」
ヘクターから出てきたリーリエの名前に反応し、アルベールの意識が戻ってきた。まさに彼女のことを考えてずっとぼんやりしていたのだが、ヘクターにはお見通しだったようだ。
ヘクターとしては、昨日も同じような状態だったので指摘したいと思っていたのだが、昨日のアルベールは酔っぱらった後に眠り込んでしまったリーリエのことを心底案じている様子だったので、からかえずにいたのだ。
「今日はあまり話していなかったと思うけれど、昨日仲良くなったのか?」
「…ああ、昨日のレクリエーションでお前たちに捕まるまでの間に、少し話をしてな。作戦会議のときから彼女の賢さは感じていたが、一対一で話してみると、彼女の思慮深さや見識の広さをまざまざと見せつけられたよ。あれでつい最近までは平民であったというのだから、本当に面白い」
「それはお前が受けた彼女の印象だけだろう。オレが聞いているのは、彼女に対するお前の気持ちだ」
「……確かに、不覚にも、何度か可愛いと思ってしまったことは認める。昨日お前たちが挟み撃ちをしようとしてきたときだって、勝つためには彼女を囮にして逃げるべきで、それがリーダーとしての俺の役割だと理解していた。なのに、お前たちが彼女に迫っていくのを見たら、体が勝手に動いてしまったんだ」
自分の気持ちに戸惑うアルベールに、ヘクターは追及を緩めない。
「もしもそのときに一緒にいたのがピヴォワンヌ様だったら、お前は逃げたか?」
「……逃げただろうな。ピヴォワンヌなら俺がそうするのが正解だと理解してくれる」
「リーリエ様は理解できていなかったと?」
「…!いや、そんなことはない。…そうだな。俺は、そこにいたのがリーリエ嬢だったから…」
ヘクターの言葉に、アルベールは深く考え込んでしまう。
「昨日酔ってしまったリーリエ嬢を見て、どう思った?今朝彼女に会ったとき、どう思った?」
ヘクターの言葉で、アルベールは嫌でも自分の気持ちを自覚するほかなかった。お酒のせいで眠り込んでしまう前のリーリエの口から飛び出たのは、自分をかばう言葉だった。呂律は回っていなかったが、自分のことを「正義感溢れる素敵な方」「次に同じ失敗はしない」と言ってくれた。酔った勢いで飛び出した言葉だろうが、だからこそそれは彼女の本心だと思えた。しかも、心から自分を信頼する言葉だったのだ。嬉しくないはずがなかったし、正直言って舌足らずな喋り方すら抱きしめたいほど可愛いと思ってしまった。その後急に眠りに落ちて崩れ落ちそうになったときは肝が冷えたが。
今朝、クラスメイトよりも早く登校し、真摯に反省し謝罪する様は誇り高く美しいと感じたし、モーニングティーのために作ってきてくれたケーキは本当に自分好みの味で驚いた。皆から褒められ、照れながらも嬉しそうな表情に、心臓を掴まれたような心持ちがした。
…そうか、この気持ちが「愛おしい」という感情なのか。
アルベールはようやく自分の気持ちを理解した。
そして、すぐに蓋をした。
「お前の言いたいことは理解したし、否定できない。…だがしかし、俺は婚約者として長年尽くしてくれているピヴォワンヌを裏切る気はない」
「なるほど。お前の気持ちはよく分かったよ」
ヘクターは柔らかな笑みを浮かべ、この話はここまでで終わりにした。
従者の自室に戻り、ヘクターは考える。
アルベールはピヴォワンヌを裏切らない。しかしアルベールはリーリエという想い人を見つけた。だとしたら、世話の焼ける主人が幸せになれる道を用意してやるのが従者の務めだろう。アルベールの気持ちがはっきりしたことで、これからの自分の方針が固まった。
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