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序
しおりを挟む舞踏会が開かれるという。何でも王太子殿下の妃を選ぶそうだ。ショーデ侯爵令嬢ルイーズは、その話を父から聞かされた。
父の部屋はいつも寒い。暖炉は付いているが、それ以上に部屋が広すぎるのだ。執務机の前に座る父と対面しながら、ルイーズは自分の冷えた指をそっと交差させる。
「舞踏会ですか。大切なお妃様を、そんなお遊びで決めていいものなのかしら」
「大事な社交の場だ。そんなお気楽なものではない。それにお前も参加するんだ」
執事が銀の皿に乗せて招待状を持ってくる。ルイーズは受け取って中身を見ると確かに、ルイーズの名が記載されていた。目を通したのを見計らって、父が言う。
「王宮で舞踏会は開かれる。名家のご令嬢がここぞとばかりにやって来るからな。心して行くように」
「お言葉ですが、私が殿下の目に留まるとは思えませんが」
数多いる美姫がやって来るのだ。侯爵家と家柄は良いものの、父も兄もルイーズ自身も能力は平々凡々。見た目も十人並み、二十人並み、いや、それ以下かもしれない。今年十八になる。ただ適齢期なだけだと自覚していた。
父もその所は分かっているようだ。ため息を漏らした。
「…今回の妃には有力候補がいる。リンドゲール侯爵家のシャルロット嬢だ。容姿端麗、才色兼備だと、もっぱらの噂だ」
それだけ非の打ち所が無いのなら、ますますルイーズが選ばれるわけがない。
「そこでだルイーズ、お前、舞踏会の間はシャルロット嬢の傍から離れるな」
「そば、ですか」
意図が読み取れず聞き返す。父は頷いた。
「おそらくは殿下だけでなく、他の殿方も寄ってくるだろう。シャルロット嬢はお前と違って深窓の令嬢。一人であしらうのは難しいだろうな」
「私と違ってとは、どういう意味です?」
「まぁ聞け。お前も知っての通り、リンドゲール侯爵とは何かと対立してきた。だがそれは王の手前、結託して謀反の疑いをかけられぬように、わざとそうしてきたのだ。我ら間にわだかまりは無い」
まだ話が見えない。ルイーズは続きを急かした。
「舞踏会に参加する候補の令嬢たちの中で、我ら侯爵家が一番家柄が良い。陛下も出来ることなら侯爵家から婚約者を輩出と思われておられる。たかだか伯爵ごときの令嬢を王太子妃と崇めなければならない未来など、あってはならないのだ」
なるほど、と、意味を理解する。
──つまり、王太子殿下が無事にシャルロット嬢を射止められるように、二人の仲を取り持てと言うのだ。
そういうことであれば、自分がその適任だろう。自分なら間違いなく選ばれる事はないだろうし、引き立て役としての容姿なら自身がある。
「父さまのおっしゃることは分かりました。うまく出来るかは分かりませんが、努力してみます」
話は終わりとばかりに父は葉巻を取り出した。父の数少ない嗜好品だが、母が死んでから本数が増えたように感じる。ニオイが移る前にと、ルイーズは部屋を下がった。
というわけで舞踏会。王宮への参上は、これで二回目となる。一度目は去年のことだ。社交界デビューを果たした会場が、この王宮での祝賀パーティーだった。王太子の成人を祝ったもので、ルイーズはてっきり既にお相手がいるものだと思っていた。王家とはそういうものだ。
だが成人を迎えて一年経っても、王太子は成婚どころか婚約すらしていない。何やら一悶着でもあったのかもしれない。ルイーズの勝手な想像だ。
会場は大広間だった。前の祝賀パーティと同じ場所だ。ルイーズは扇子で口元を隠しながら、一人の人物を探した。
果たして、目当ての人物を見つける。父の言う通り、既に幾人かの殿方に囲まれていた。
その人だかりに近づき、ルイーズは息を吸った。
「あら!シャルロットさん!お元気そうで何よりですわ!」
とびっきりの大声に、周りが一気にこちらを見る。呼ばれたシャルロットも大層驚いた顔をしている。視線を集めるのに成功したルイーズは扇子を閉じ、にっこり微笑んだ。
「お久しぶりですわね。随分とお綺麗になられて、さぞかしお父君も鼻が高いでしょう」
「え、えと…」
どちら様、と言われる前に手を取る。レースの手袋越しでも十分分かる華奢な指だ。ルイーズはそっと手を重ねた。
「殿下への挨拶は済みまして?」
「え?いえ…」
「でしたら参りましょうか。そういうことですので、ご挨拶はまた後ほど。ごめんあそばせ」
周囲が呆気にとられている内に、その場を離れる。仲良さげに腕を組んだりしながら、ルイーズはそっと耳打ちした。
「いけませんよシャルロットさん。あのような有象無象の相手なんかしていないで、早く本命の所へお行きにならないと」
「あの…貴女は…?」
「ルイーズと申します。ショーデ侯爵の、と名乗ればお分かりかしら」
シャルロットはまたしても驚いて、それから俯いた。まばゆいばかりの銀髪に、銀のまつげ。そこから覗く青い瞳。物憂げな顔は、一枚の絵画のようだ。美姫の中の美姫、美しすぎる容姿を、ほんの少しでも分けてほしかった。
対する自分は黒髪の黒目。不吉な猫のよう。まぁ今回はこの容姿を活かす絶好の機会だ。落ち込んでいる暇はない。前向きに行こう。
「そちらの侯爵様と父は敵対してきましたが、今は国の将来を左右する大事な妃選びのとき。家同士のわだかまりはお捨てになって、お互い頑張りましょう」
表立って自分がその助けになるとは言わない。どこで誰が聞き耳を立てているか分からないからだ。
まだシャルロットは戸惑っている。ルイーズの言いたいことが伝わっていない様子。かといって余り身も蓋もないことも言えない。仕方ない。そのうちに気づいてくれるだろう。
「貴女のような方がいらしたら、私など…」
と、シャルロットは言い出した。予想外の自信の無さに、これが深窓の令嬢の奥ゆかしさかと納得する。
「謙遜なさらず。シャルロットさんがこの王宮で一番美しいですよ。美しすぎるくらい」
「そんなわけありません。貴女の方がよっぽど」
「お上手なのね」
殿下の元まであと少し、というところで立ち止まる。組んでいた腕を離す。
「さ、殿下の元へ行ってらして」
「ルイーズさんは…?」
「私はしませんよ。邪魔者は退散しますので、どうぞごゆっくり」
背中を押して、送り出す。シャルロット嬢は動かず、不安げにこちらを見てくる。ルイーズが促すと、ようやく王太子殿下の元へ向かっていった。
扇子を開いて口元を隠しながら、不躾にならない程度にその様子注視する。
深くお辞儀するシャルロット嬢に、王太子は手を差し伸べている。細身の丸いおでこが可愛らしい少女に、長身の見目麗しい青年の取り合わせは、ルイーズがよく読んだ恋物語のようだ。見栄え良い二人が互いに笑顔で言葉をかわしている。
作戦成功、ささやかではあるが助けになれた。ルイーズは満足して他の殿方との誘いに興じた。
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