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しおりを挟む夏に近い春は、夜風がひたすらに心地よい。おまけに満月であれば、ランプという野暮なものはいらない。なおさら散歩日和だ。
王宮の庭だというだけあって広大で、敷き詰められた石畳を歩く音よりも、木々の葉が擦れる音の方が耳を満たす。
春は薔薇の盛りだが、その通りで、風に乗ってわずかに香りが漂ってくる。薔薇は花園でしか見られない。しかも花園は王族でないと入れない禁断の場所。婚約者となって良いことと言えば、花園に入れることぐらいだろう。
空を眺める。満月のせいで星々の輝きは弱々しい。降り注ぐ月の光が照らす道を進む。最近は王宮の華やかさに囲まれていたから、こうして暗い夜道を歩くのは心が落ち着く。
歩くのに飽きてベンチに腰かけると、どっと疲れがやって来た。ここ数日の晩餐会のせいでか、気づかないうちに疲労を溜めていたらしい。一人で空を眺めていると、眠気がやって来る。うとうとしつつ、少しだけ、と目を閉じる。そのままルイーズは眠りに落ちた。
「──イーズ。ルイーズ」
肩を揺すられ目を覚ます。ハッとして立ち上がると、まだ真夜中だった。
「大丈夫かい。こんな所で寝ていてはいけないよ」
声の主は王太子だった。月光を浴びて、金の髪が煌めく。
「風邪を引いてしまったかな。侍医に診てもらったほうがいい」
「殿下、何故ここへ」
「それはこちらの台詞だ。晩餐会も終わってしまったよ。皆もうとっくに引き上げていった」
ルイーズは遠くの王宮を見やった。明かりは落ち、門番の照らす炎だけが、小さな灯火となって寂しく瞬いていた。
「夜風が心地よく、つい眠ってしまいました」
「体調は?」
「病気一つしたことがありませんもので」
ほほ、と口元だけで笑う。馬で駆けて馬小屋で眠りにつくこともあった。これくらい本当に何でも無かった。
「起こしていただいてありがとうございます。ではこれで」
「待って。私も戻るところだ。話がしたい」
話?こちらは話すことは無いのだが、と思いつつ、シャルロット嬢を売り込むチャンスこかもと、思いつく。友人としてのシャルロット嬢の素晴らしさをこれでもかと伝えたら、殿下も決心が固まるかも。それなら、と一緒に歩く。
「寒くはない?」
「これくらい何ともありません。お気遣いなく」
「そう…ところで、さっきの話は本当かい?」
「さっきとは?」
「舞踏会での…覚悟を決めていると君は言った。本当かい?」
ああ、と思い出す。
「二言はありませんわ」
「婚約者となったら周りからの妬みも出てくるだろう。無事に夫婦となっても、跡継ぎを産めなかったら、側妃を迎えなければならなくなる」
「随分、先のことを考えてらっしゃるのね」
「重要な事だ。私しか産めなかった母は、非難されてきた。王妃という立場であっても、世継ぎを産んでも、非難されるのは母だ。よほどの強い人でないと、私は婚約者を迎えられない」
確かに、おしとやかなシャルロット嬢では、その立場になってしまったら太刀打ち出来ないかもしれない。とはいえ、あそこの家系は多産だ。別にそこまで気にする必要は無いと思うのだが。
「ご心配は最もですが、そんなことを言っていては始まりませんよ。それに、殿下が守ってくれますでしょ?その愛さえあれば、救われるものと思います」
「…いいのかい?」
「良いも悪いも、殿下次第と申し上げました。正直、いつまでもご決心なさらないから苛立っておりました。このままでは愛想を尽かされるかも」
「それは困る」
「ほら、殿下の心はもう決まっております」
王宮まであと少し、というところまでたどり着く。二人でいるところを見られて、妙な噂を立てられても困る。シャルロット嬢にも申し訳ない。ルイーズはここで、とお別れを告げた。
「殿下、本日は打ち明けてくださってありがとうございました。殿下のお気持ちがよう分かりました」
「君も。おかげで決心が着いたよ」
「それはようございました」
ルイーズは裾を持ち上げ礼を取る。
「良いご報告をお待ちしております」
「ああ…必ず」
このまま別れようと背を向ける。本当なら飛び上がって喜びたい気分だ。自分で自分を褒めてやりたい。これでシャルロットが婚約者になるのは確実だ。今日の話を誰かに話して自慢したい気分だった。
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