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しおりを挟むエルデリ王国の国王ハインリヒは、第二王子のレインが拝謁に来るのを、今か今かと待っていた。
知らせを受けて大分経つ。レイフが殺されたから仕方なく王太子に据えたが、その途端にこのいい加減さ。王を蔑ろにするその態度が気に食わない。王太子になったからと高をくくっているのかもしれない。つくづくレイフの死が悔やまれた。
たとえ自分に刃を向けたとしても、暗殺を企てていたとしても、王はレイフを王太子のままにしておくつもりだった。
愛してきた我が子。ただ一時血迷っただけだ。そうに違いなかった。
従者が第二王子の到着を知らせる。王はやっと来たかと、息をついた。
第二王子は、女を伴ってやって来た。まだ少女のようで、宮廷でも滅多に見られない美女だった。
第二王子が膝をつく。
「国王陛下、参上が遅れましたことお詫び申し上げます」
少女も同じように裾をつまんで最敬礼する。
「遅れるならそう言え。余を待たせおって」
「とある事情から、遅くなりました」
「女か」
「ええ」
第二王子は少女を隣に立たせた。
「この娘は、ショーデ侯爵家のルイーズ嬢です」
であれば察しがつく。レイフを殺した父への嘆願だろう。
「それはならんぞ」強く言う。「お前の父は忠臣ではあるが、我が息子を殺したのだ。いくら余の命を救ったとはいえ、王太子を殺めたことは万死に値する」
娘は口を引き結んだまま、じっとしている。涙を見せまいと気丈に振る舞っているに違いない。
「爵位を剥奪せず、家名を残したのだ。それだけで破格と言えよう。満足せよ」
レインが口を開く。
「陛下、本日は別のご報告が」
「言ってみろ」
「私はこの、ルイーズ嬢を生涯の伴侶といたします」
遅れてやって来て、急に何を言い出すかと思えば、結婚話だと?王は玉座を叩いた。
「ならんぞ!こんな時に何を言っている!」
「かねてより私はルイーズ嬢を好ましい相手と思っておりました。密かに屋敷を訪ね、情を交わしておりましたが、兄上の婚約者候補となり一度は身を引きました。しかし兄上がお亡くなりになった以上、私はこの娘を妻としたいのです」
「その兄が死んだばかりで!まだ葬式もしていないのだぞ!」
「ええ、ですから今しかないのです」
「兄が死んでさぞ嬉しかろう。でなければそんな事は言い出さない筈だ」
「国の為です。喪に服せば、二年は結婚出来ない。陛下が望まれる孫の誕生が遅れるでしょう。幸い、兄上がお亡くなりになったことを民衆は知らない。ですから先に婚儀を済ませて、その後に兄上の葬儀を済ませればいい」
なんて身勝手で薄情な。王の怒りは収まらない。
「愚鈍な息子め。兄はあんなにもお前を慈しんできたのに。自分が王太子になった途端に欲を出しおって」
「心優しい兄上には度々ご指導いただきました。感謝しております。ですが兄上はもうおりませんので、私のしたいようにさせてもらいます」
「お前が唆したのではないか?余への暗殺を企むなど、レイフがするわけがなかろう」
「遠征をしていた私に兄上を誑かす時などありません。侯爵が作成した報告書を読みましたが、証拠の文書も見つかっている。兄上が企んだことは間違いない」
「黙れ!だとしてもだ!お前たちの結婚など許さんぞ!」
レインは口を閉ざした。このまま下がらせようとした所に、従僕がやって来て耳打ちしてくる。その知らせを受けて、王は驚愕する。
「…なんだと?」
思わずレインを見下ろす。
「余の許可無しに勝手なことをしおって!」
「私は彼女に対して責任がある。それを実行したまでです!」
「馬鹿な!それくらいで!いくらでも握りつぶせただろうに!」
「私はルイーズ嬢を強姦しました。強姦した場合、何があろうとその者と夫婦にならなければならない。陛下が取り決めた法律ですよ」
澄ました顔でレインが答える。レインは一度ルイーズを見やると、王に向き直った。
「そして王族となった者の親類縁者は死刑を免れる。これも陛下がお決めになった」
死罰の免除は、かつて王妃の弟が罪を犯した際に新たに取り付けた法だった。まさかこんな方法で悪用されるとは。
「お前…!貴様ぁ!」
「非常の事態でしたので、陛下の同意なく教会が結婚許可書を出してくれました。よって私たちは今は夫婦です。このまま陛下が結婚をお認めにならないのであれば、私は王位継承権を放棄します。陛下がもっとも憎むべき隣国の王子に継承権が移りますが、私の知ったことではない」
王位継承権を持つ者は、第二王子の他にもいる。隣国の王子の母親が、王の実の姉だが、その王子がこの国を継承したなら、この国の名は消滅する。その危険を孕んでいた。
脅されている。気づいたときにはもう遅かった。
王がどれだけ憤慨しようと、教会に認められた結婚を覆すことは不可能だ。それだけ教会が属する教皇の力は絶大だった。
おそれながら、と、か細い声が聞こえる。ここにいる女は一人しかいない。王は発言を許可した。
小さな少女は、王の前に跪いた。
「…私の父は長年陛下にお仕えしてまいりました。父の罪は重く万死に値しますが、長年の忠義に免じ、どうか命だけはお助けください」
「父を助けるために身を捨てたか」
「捨てたかどうかは、今後の殿下との生活をご覧になってから判断してください。父も殿下も国のために尽くして参りました。私もそれなりの教育を受けて参りました故に、及ばずながらご助力する所存です」
あくまで国のためだという。こんなイカサマをされて、納得出来るわけがない。
しかしここには王位を継ぐものが一人しかいない。この一人を失ってまで、王は国を乱すつもりは無かった。孫に期待するしかない。
脅しに屈したことになる。王は怒りを押し殺し損ねて、傍に置いてあった燭台を投げ捨てた。
カラン、と虚しく音が響く。狼狽する者はいなかった。
「──よかろう」
王は玉座に深く沈み込む。息を深く吐いて、座り直す。
「二人が夫婦だと言うなら認めてやる。改めてレイン第二王子を王太子とし、ショーデ侯爵令嬢を王太子妃とする。侯爵の処刑は取り止めとし、恩赦…いや、そもそもレイフ第一王子はまだ生きておる。何も罰など無い。そなたらが婚姻を結んだ後に、病で急死したとしても誰の責任でもないな」
従僕から杖を奪う。それを支えに立ち上がる。
「ただし、余は早急な跡継ぎを望んでいる。女を産んだらどうなるか分かっているだろうな」
「──私はショーデ侯爵家の女です。必ずや男児を産みます」
「であればもう言わぬ。下がれ」
二人は礼を取り部屋を出ていく。扉が閉まってから、王は王冠を投げ捨てた。
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