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29(終)
しおりを挟む庭を通る。陛下が執務をする棟は向こうだ。レイラにしっかりと腕を掴まれたまま歩いていると、中庭にいる人物が目に留まった。
「──シャルロットさん?」
振り返ったのは、まさしくシャルロットだ。美しい銀の髪が空から注ぐ光で煌めいている。月日が経てば経つほど、ますます彼女は美しくなる。
「王妃様、レイラ王女様、ご機嫌麗しゅう」
「シャルロットさんこそ、お元気そうでなによりだわ。久しぶりですね。今日はどうされたの?」
シャルロットは少し恥ずかしそうにはにかんだ。とある伯爵家に嫁いだ彼女だが、それからは領地で慎ましく暮らしていると聞いたことがある。ルイーズ自身、会うのは五年ぶりだろうか。
「実は…この度、娘が無事に十五になりましたので、王宮教会にて司祭さまから祝福を授けてもらっておりました」
「まぁおめでとう。娘さんは?」
「まだ教会ですの。ここの庭は変わりませんね。懐かしくなります」
シャルロットが何のことを言っているのか、ルイーズにも当然分かった。あのお茶会があるまで、ずっと勘違いしていた。あの後の出来事を思えば笑い話になど出来ないが、ただ勘違いだけを取り上げれば、立派な笑い話だった。
「ええ確かに。こうしてあの時はお互いに何も知らされていませんでしたから色々こんがらがって、大変でしたね」
「良い笑い話です」
「…ええ本当に」
「お互いに良縁に恵まれ子宝に恵まれて、私たちは幸運です」
シャルロットは三人の子供を産んだと聞いていた。旦那もシャルロット一筋だとか。幸せそうな顔を見れば彼女が嘘を言っていないのは明白だった。
「いつまで王都にいらっしゃるの?」
「今日には引き上げるつもりですの」
「そう。今度来るときは知らせてね。お茶会にお招きしますから」
「光栄です。子どもたちも連れて参りますわ」
ふわりと彼女が微笑む。慈愛に満ちた笑顔は聖母のよう。ルイーズも負けじと同じ顔を向けた。
シャルロットと別れ、建物へ入る。王の政務が滞りなく進むようにと、常に何人もの小間使いが控え、彼らは伝令役として日々忙しく走り回っているのだが、さすがに王妃がやって来てはそうはいかない。突然の王妃と王女の登場に、彼らは慌てふためきながらも、書類を抱えたまま跪いていく。
「ごめんなさいね急に。私たちに礼はいりませんから、仕事優先でお願いします」
と言ってもそう出来るわけが無い。ルイーズに出来るのはさっさとこの場を去ることだけだった。
いくら王妃でも何の知らせも無しに急に会えるものではない。
侍従に取り次いでもらい自分たちは別室で待機する。お呼びがかかるまで、また二人でお茶をする。
今度はカモミールティーだ。これで娘も落ち着いてくれればいいのだが。
「ねぇ母さま」
向かいの椅子に座るレイラが尋ねてくる。一通りの礼儀作法は教えたつもりだが、彼女は紅茶を一口で飲み干していた。
「ん?」
「先王様…私のお祖父様は、母さまに男の子を産むように行ったんでしょ?」
「ええそうよ」
「でも産まれてきたのは私だった。それに下の子たちも女の子ばっかり。大丈夫だったの?」
今、ルイーズの子どもは四人。全員見事に女だ。男ばかりの家系の血はどこへ行ったのやら。
「んーそうねぇ。確かに、貴女が産まれた時は、もしかしたらっていう危機感はあったわね」
「でしょ?」
「でもねぇ直ぐに不安は無くなっちゃったわ」
「そうなの?」
「だって、物凄く喜んでくれたもの」
ふふ、と笑みを漏らす。今思い出しても、あの時の陛下の喜びようは尋常じゃなかった。
「それに先王様も、あんまりにも貴女が可愛いものだから毎日理由をつけては会いに来てくれてね。すっごく可愛がってくれたでしょ?」
「…そう言えばそうかも」
先王はレイラが五才の時に身罷られた。持病が悪化したらしく、幸いにして苦しまずに眠るように息を引き取ったという。次の子を妊娠していたルイーズは死に目に会えなかった。
余談だが、ルイーズの母が先王の愛人だったのは事実だが、押し付けられた訳ではなく、一目惚れした父が熱心に願い出て妻に迎えたらしい。兄がこっそり教えてくれた。
「何にせよ陛下は最初から気にしてなかったみたいよ。今もだけど。子煩悩なのよ」
「でも、跡継ぎがいないからこの国は隣国に取られちゃうんじゃ」
「貴女が女王になってみる?」
「私?無理よ。父さまのようには出来ないわ」
「出来なくてもいいの。私は案外、上手くいくような気がするわ」
突っ走るのは悪い癖だが、皆を引っ張っていくカリスマを持っている。若干十六ながら、外交もきっちりとこなしてくれるから、陛下も助かっている。
「貴女もそろそろ良い人見つけないとね。夜会では、大人気だものね」
「色んな人が話しかけてくるけれど、王女だからご機嫌伺いに来てるだけよ。本気じゃないわ」
「でも親の欲目かもしれないけど、とっても綺麗よ貴女」
「ありがとう母さま。でも私と話してるより、皆、他の人と話してる方が楽しそう。きっと私が怖いのね」
「緊張してるのよ。きっと」
「まさか。こんな気の強くて地位の高い女、誰も欲しがらないわ。言い寄ってくる人がいるとしたら、きっと私を当て馬にしたいのね。信用ならないわ」
「………まぁ、ふふ。絶対にそんなことないのに、疑り深いのね」
今日は特に過去を振り返る日らしい。ルイーズだけが知っている記憶が蘇って、一人で笑った。
侍従がやって来て話が途切れる。二人は執務室へ向かった。
執務室の隣には、陛下が休憩する部屋がある。そのバルコニーで、陛下は二人を待っていた。
「珍しいなこんな時間に。何かあったのか?」
休憩中ということもあり上着を脱いでリラックスした装いとなっている。多忙でも休みをきちんと取るので、顔色は悪くない。
「レイラが会いたいと言うので参りました」
「やっぱり夏の休暇はサウス島が良かったか?山より海の方が楽しめるだろう」
前日に家族での夏の休暇をどこにするか話し合っていた。山と海のどちらかで揉めに揉めて、結局くじ引きで山に行くことになっていた。
「女に二言はありませんの。決まったことをグダグダ言うしみったれた人間ではありませんので」
「じゃあどうした?」
「母さまから聞いてしまったんです。結婚した理由を」
「理由…?」
「しらばっくれないで。何もかもすっとばしていきなり結婚だなんて!いくらお祖父様の為とはいえ、人権を無視しています」
娘の剣幕に陛下は、呆然としている。いまいち内容が掴めていないようだ。
「何言ってるんだ?何を話した」
質問はルイーズに向けられている。ルイーズは素直に無理矢理のくだりを話すと、陛下は苦い顔をした。
「年頃の娘にそんな話するなよ」
と、苦言を呈される。
「レイラが年頃だからこそ、知っておいた方が良いと思ったんです。夢ばかり与えては可哀想だわ」
「そんなに俺との結婚が嫌だったというわけか」
「そう見えますか?四人も子供がいて、私が嫌だったと言いましたか?」
あんな始まりで、お互いよく知らないまま一緒になったのに、彼は律儀に歩調を合わせてくれる。彼の隣を歩くだけで、愛を感じてきた。
レイラが話をしたいとばかりに手を上げる。
「父さまは、どうして母さまと結婚したの?お祖父様のため?」
「義父上の為だった。それは確かだな。だが何もいきなり結婚したわけじゃない。ちゃんと確かめた」
「どんな?なんの?」
「趣味とかどんな男が好みとか。遠駆けは俺も好きだったし、ルイーズの好み通りの男だと自負していた。それで自信がついて求婚した」
ルイーズは思わず吹き出した。自分で言ってしまうなんて。彼は昔から自意識過剰気味だった。
「何よそれ!」レイラは憤慨する。「全然母さまの気持ち確かめてないじゃない!」
陛下は目を丸くする。普段は顔色一つ変えない風格のある人なのに、こと娘においては人間味を出す。
「そ、そうなのか…?」
「そうよ!自分だけで決め込んじゃって最低よ」
「だがプロポーズしたら承諾してくれた」
「あんな状況下で本音が言えるわけないじゃない!どういう神経してるの!?」
ショックを受け狼狽え出した陛下に、レイラがトドメとばかりに指をさす。
「私、父さまみたいな人とは絶対に結婚しないわ!」
なんて残酷なことを言うのだろう。彼はこの世の終わりのような顔で固まってしまった。これはもう立ち直れないかもしれない。
「レイラ」
「なに母さま」
「私の話は一つの参考だから、もう十何年も前の話だし、今更むし返すのは止めましょう。しっかり者に育ってくれて嬉しいけれど、陛下がちゃんと貴方たちを慈しんでくれた記憶があるのなら、そちらを優先してあげてね」
「良いお父さまよ。良い母さまでもあるから、もっと良いお父さまでいて欲しいの」
「もう、口が減らないんだから」
レイラの肩を叩く。背の高さは父親譲りだ。頭を撫でるにはもう届かない。
「レイラ、雑談はおしまい。どうしても続きを話したいなら夕食の時に、ね」
「まだ母さまの気持ち聞いてないわ」
「もちろん幸せよ。間違いなくね。レイラは部屋に戻って。私は陛下と話しがありますから」
「でも」
「レイラ、陛下は政務でお忙しいの。聞き分けて」
納得のいかない顔をする娘に微笑みかける。何か言いたげだったが、最後は分かったと言ってくれた。別に本気でレイラも陛下を責めているわけじゃない。陛下がどれだけ子どもたちに心を砕いているか、知らないレイラではない。経緯が経緯なだけに、ただ驚いただけなのだ。
レイラが手を振って部屋を出ていく。見送って、ルイーズはやれやれと陛下に向き直った。彼はしっかりダメージを受けてうなだれている。ルイーズがその頭を包むように抱きしめると、すがるように背中に手を回される。
「レイン、そんなに落ち込まないで。うっかり話しちゃった私が悪かったのよ」
「……今朝、知らせが届いた」
「なんの?」
「王太后が死んだそうだ」
王太后は、亡くなった第一王子の実母だった。レインが王太子となった後も王妃であり続け、さんざん恨み言を吐かれたものだ。娘を産んだときなどはあからさまに非難されたが、先王とレインが激怒して直ぐに王宮から追い出し、離宮に監禁された。以来ずっと離宮に閉じ込めた状態が続いていた。
「そうでしたか…祈りを捧げなければ」
「必要ない。すべての儀式を省略して、今頃は土の下だ」
今朝、死んでから今の時間までに既に埋葬済みとは。前々から予兆があり準備していたのだろう。ルイーズはその場で短く祈りの言葉を述べた。
レインはルイーズの腹に額を擦り付ける。犬のように甘える仕草に、母性がむくむくと芽生える。
「貴方様と一緒になって良かったと思っておりますよ」
「言われなくても分かってる」
「ならそんなに落ち込まないでください」
「落ち込んでない。確かめてる」
「何を?」
「君を」
背中の骨を指がなぞる。ルイーズは彼の頭を叩いた。
「昼間ですよ。やめてください」
「確かめただけだ。確かにルイーズだ」
「私の骨の形まで知ってるんですか」
「もちろん」
ルイーズは呆れた。さも当然のような顔をされても、こちらはそうじゃない。
「落ち込んでいないのなら、私は必要ありませんね。失礼します」
「嫌だ」
「子供みたいなこと言わないでください」
「嫌なものは嫌だ。ルイーズ」
離れたかと思えば、抱き上げられる。室内の長椅子に座らされて、唇を合わせる。どちらともなく離れると、レインに強く抱きしめられた。
「愛している」
毎日聞いてきた言葉。二人っきりの時にだけ、そっといつも伝えてくれる言葉。温もりに包まれて、同じ言葉を返した。
夜、共に眠る。レインの大きな腕に抱かれながら、ルイーズは意を決して聞いてみた。
「次の王はどうするの?」
女四人ばかりを産むと、レインはそれ以上を望まなかった。でも男を産まないと食い下がると、ルイーズの体の方が大事だと言われた。実際、四人目は難産で、何日も苦しんだ上での出産だった。
「貴方のことだから何か考えてるんだろうけど、心配になります」
「子供たちの産んだ将来の孫に期待したい所だが、まだ皆幼いから、結婚だなんて考えたくないな」
「考えてください。この国の行く末に関わることです」
強く抱きしめられる。
「子どもたちには王家の役目から離れて、幸せになって欲しい。苦労させたくない」
「可愛い子には旅をさせよと言うじゃありませんか」
「なら俺もついていく。悪い虫が寄ってこよう者なら切り殺してやる」
子煩悩なのだから。ルイーズは呆れた。
「ルイーズ、俺は子どもは女でも男でもどちらでも構わなかった」
「貴方の喜びようを見たら分かります」
「もっと言うなら、最初は直ぐに離婚しようとすら思っていた」
「え?そうだったの?」
「父親の為に好きでもない男と結婚して、世継ぎ産めとか言われたんだぞ。可哀想だろ」
そんなこと思われていたなんて全く知らなかった。でも思い返せば、最初の頃は寝室が別々で、会いに行くといつも不在で、王太子の仕事が忙しいんだと思っていた。
一緒に眠るようになったのはいつ頃だろうか。ああそうだ。旅行に行った時だ。夫婦だからと一室しかなくて、初めはレインがソファで眠るとか言っていたので、説得するのに苦労した記憶がある。
「ショルツでのこと、覚えているか?」
レインも同じことを思い出していたらしい。ルイーズは、ええ、と答えた。
「新婚旅行で行った場所ですね」
「初めて君と同衾した」
「よく覚えています」
「その頃には君の髪は腰ぐらいまで伸びていて、眠っていたらいつの間にか下敷きにしていたらしい。夜中に痛いと叩き起こされた」
「そ、そうでしたっけ?」
全然覚えていない。寝ぼけてたのかもしれない。
「次からは確かめながら寝返りを打てと言われて、寝てるのに出来ないと反論したら、抱きつかれてな。最初にくっついていたら、寝返り打つときに重石がいるから起きるだろうって」
「そんなこと言ったんですか?」
「言った。嬉しかった」
「ええ?」
「だってずっと一緒に居てくれる気じゃないと、そんなこと言えないだろ?遠慮するような関係じゃないと思ってくれている。嬉しかった」
いつも眠るときに抱きしめられるなぁとは思っていた。レインの癖だと思っていたら、そんなやり取りがあったなんて。全く覚えていないのだから、やはり寝ぼけでいたのだろう。
「あの時の嬉しさがずっと続いている。ルイーズを妻と迎えて、本当に良かった」
「改めて言われると照れます」
「全然そんなふうに聞こえない」
「照れてますよ。本当です。ねぇ」
「笑ってる」
指摘された通り、ルイーズはくすくす笑っていた。
「嬉しいから笑っちゃったんです」
「からかってんのか」
「まさか。なんて良き夫だと感心しておりました」
ルイーズは起き上がって、レインに口づけを落とした。
「本当ですよ。幸せなんです」
「……今日は、寝れそうにない」
「お付き合いします。どこまでも」
手を重ねる。幸福の中に身を委ねて、二人はいつまでも笑い合っていた。
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