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序
しおりを挟むエッジワーズ伯爵家のご息女の輿入れ。嫁ぎ先はマクナイト伯爵家当主、マティアス。家柄の釣り合いも取れ、年齢も十八歳と二十三歳。申し分ない結婚の筈だった。
絢爛豪華な馬車から花嫁が侍女に手を引かれ降り立つ。顔はきらめくレースに覆われよく見えなかった。
出迎えの中に当主の姿は無かった。花嫁はいざなわれるまま、屋敷へは入らず、質素な馬車に乗り換え、そのまま教会へ向かった。
馬車の中、一人座る花嫁は外の景色を見ようともせず、じっと目を閉じていた。花嫁はとっくに自分のこれからを知り尽くしていた。
教会にも当主の姿は無かった。一人で式を受け、一人で署名し、一人で指輪をはめた。レースだけはそのまま、だから誰も花嫁の顔を知らないまま、式はあっという間に終わった。
屋敷にとんぼ返り。当主に会えたのは、次の日の午後だった。
私室ですらない、執務室に呼ばれた花嫁、エリシアは、部屋の隅に立ち尽くし、声がかかるのをじっと待った。
当主、マティアスは家令やら召使いやらに囲まれ政務を行っている。エリシアの周りには誰もいなかった。
やがて指示を受けた者から一人一人部屋を出ていく。最後の一人が出ていくと、部屋は急に不気味なほど静かになった。
カッ、と音がした。エリシアがその音に反応すると、それはマティアスがペンを机に打ち付けた音だった。
「こちらへ」
低く、冷たい声だった。エリシアは足音をさせず近づいた。マティアスはエリシアを上から下まで見たあと、またペンを打ち付けた。
「警告した筈だが、義父は取りやめなかったようだ」
「父は…父からも、私は疎まれておりましたから」
「母は存命か?」
「喪が明けましたので、ここにおります」
マティアスは立ち上がった。見上げる程の背の高さ、整った顔立ち、金色の髪、周りが褒めそやすのも分かるような気がした。
対してこちらは顔こそは母譲りだが、黒髪までも受け継いで、一目で外の国の娘だと分かるような下賤の成り立ちをしている。エリシアの容姿を褒めてくれるのは死んだ母と、幼い頃から一緒にいてくれる侍女だけだった。
そもそもこの結婚は、一つの王命からだった。わざわざエリシアを指名してまでの強制的な婚姻だった。
先の戦争で大いに活躍し国難を救った両家だったが、そこに王は危機感を覚えたらしい。名声著しい両家の力を削ぐ一手が、この結婚だった。
エリシアの母は元踊り子だった。見初められエリシアを儲けた。妾の娘。庶子。わざわざ正妻の娘たちを差し置いて、エリシアが選ばれた。庶子と貴族との結婚は通常認められない。だからエリシアは表向きは正妻の娘となっている。だが周知の事実である。マクナイト伯爵家としては庶子との間に産まれた世継ぎなど欲しくないし、いつ王からこの結婚は無効だとも言われかねない。将来、マクナイト家で問題が勃発したとき、エリシアの出自が問題となり最悪お家断絶などとなるかもしれない。何にしろ、エリシアは迷惑者で、邪魔者。歓迎されるわけがないのだ。
エリシアは呼ばれたときから手にしていた手紙を差し出した。
「父から、直接渡すようにと」
「そこに置け」
そっと机の端に置くと、マティアスは奪うようにサッと取り、封を開けた。マティアスは一目通すと、ふ、と嘲笑った。手紙を燃やし灰皿に燃えカスを落とした。
「私には元々、婚約者がいた。王命により破棄されたが、相手は十五でな。婚姻が許される年になるのは三年後だが、それまでに私の隣が空いていることを望む」
カッ、とまたあの音。エリシアは首筋にヒヤリと刃が突きつけられる錯覚を味わった。
踊り子の娘。そう囁かれた。伯爵夫人としての役目も無ければ権限も権威も無く、夫には無視され続けた。エリシアは部屋に軟禁され、教会すらも行かせてもらえなかった。
実家から連れてきた侍女、ハンナとアンナ。双子だった。彼女たちはエリシアに少しでも快適に過ごしてもらうために、心を尽くしたが、限界があった。冬が厳しいこの地で、中々、薪を支給してもらえず、皆で身を寄せ合って寒さを凌いだ。冷たい食事。食べれたものではなかった。
エリシアは次第にやせ衰え、起き上がれなくなる。二人の侍女は懸命に世話をした。
夫の望む死が来ているのだと思った。エリシアは激しく咳を繰り返す。ハンナは必死に背中を擦った。
ある日、家令がエリシアの部屋を訪れた。領主様の執務室へ来るようにと。満足に起き上がれない、話すのも難しいとハンナは抗議したが、無視された。ハンナは拘束され別の部屋へ。エリシアは、衛兵に無理やり立たされ、引きずられるようにして執務室へ連れてかれた。
執務室に入るなり衛兵が離れる。立っておれず膝をつき項垂れていると、軍靴が視界に入った。エリシアは力無く顔を上げる。マティアスだった。マティアスは冷たく見下ろしたまま、衛兵に声をかけた。
「連れてこい」
マティアスの命令に従って連れられてきたのは、アンナだった。後ろ手に縛られ、髪は乱れ、頬はぶたれたのか腫れて、口は切れたのか出血していた。エリシアはその時になって昨日からアンナの姿を見ていなかったのに気づいた。どうしてこんな目にアンナが遭っているのか、状況が全くわからなかった。
アンナ、と呼びかける。アンナはチラリとエリシアを一瞥して、それからマティアスを睨みつけた。
マティアスはアンナの視線など物ともせず、近づいて悠然と腰の剣を抜いた。
「この女は盗みを働いた。よって、処罰する」
「盗み…?嘘です。アンナは」
「証拠がある。盗んだその場で捉えた。全く、踊り子に盗人に、碌なやつないないな」
マティアスの剣がキラリと光る。その意味を察した。何が起こるのか気づいてエリシアは身を乗り出したが、病の身体は言うことを聞かない。僅かに身じろぎした程度だった。エリシアは必死に頭を巡らせた。
「お待ち下さい…!アンナは私の侍女です…盗みを働いたのなら、私が処罰します」
「お前の物など何もない」
「待って!」
無情にも、マティアスの剣がアンナの胸を貫いた。エリシアは金切り声を上げてアンナの元へ。アンナの胸からは血が飛沫のように溢れ出て、どんなに押さえても止まらなかった。
「アンナ…!アンナ!」
エリシアは呼び続ける。だがアンナは既に絶命していた。心臓を貫かれ声も挙げられぬまま死んだ。
マティアスはその様を見下しながら、従僕に血で汚れた剣を拭かせた。
「なんだ、元気じゃないか」
そうも言った。そして机に腰掛けた。
「侍女の監督責任を果たしてもらわないとな。踊り子」
身体的にも精神的にも限界が来ていたエリシアは、その言葉を聞きながら意識を手放した。
男の鼻で笑ったかのような声が聞こえた気がした。
アンナは卵を一個、盗んだという。伏せっているエリシアの為に、卵を要求したが、給仕は馬鹿にして取り合ってくれなかったという。エリシアはその話を目覚めてからハンナから聞いた。ごめんなさいと言うと、ハンナは目に涙を一杯に溜めて、とんでもございませんと答えた。
エリシアは屋敷から別邸に移された。庭の隅の一画に掘っ立て小屋のような、およそ伯爵夫人には相応しくない小さな家だった。元々、庭師の住まいだったらしい。二部屋しかなく、雨が降れば雨漏りし、風が強い日は崩れそうなほどガタガタと揺れた。ハンナは妹を失った悲しみを全く見せず、気丈に振る舞った。エリシアを献身的に世話した。お陰でエリシアは起き上がれるようにはなっていたが、中々本復しなかった。幸い、小屋から外に出るのは自由だった。体調の良い日はハンナに支えてもらって庭を眺めた。冬が過ぎ去ったのもあり、ゆっくりゆっくりエリシアの身体は回復した。
粗末な食事、使い古しの衣服の支給。慣れてくれば何とも無かった。屋敷に軟禁されていたときよりも、心無い言葉をかけられることは無かったし、外の空気を吸うだけで穏やかになった。
屋敷の召使いから被服を受け取った。綺麗な光沢のある青の服。それを見たハンナは憤慨した。
「こんなものを寄越すなんて!」
「どうして?綺麗な服なのに」
ハンナは苦しい顔をして答えなかった。後で、それが踊り子の衣装だと知った。
エリシアはその衣装を当ててみた。鏡代わりの窓ガラスにすかしてみると、死んだ母を思い出した。
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