6 / 20
夜の女王 カサンドラ②
しおりを挟む演目が終わり袖に引き上げるなり、エリシアはハンナに抱きついた。ハンナは突然のことに目を丸くした。
「お、お嬢さま…?」
ぼそりとエリシアが耳元でささやく。ハンナは最初、聞き間違いだと思った。
「え?」
「…マティアス様が、いらっしゃったの…」
エリシアは絞り出すような苦しい声で囁いた。体が震えていた。ハンナは落ち着かせようと背中を擦る。まさか、と思った。
「よく似た方では…?」
「そうならいいんだけど…分からない」
「どこ…?どこにいますか?確かめてきます」
「駄目よ!ハンナは顔が知られているわ」
「顔を隠しますから。お嬢さま、落ち着いて」
エリシアをなだめ、顔を隠して酒場へ。女王の演目が終わった為か、帰宅する客がチラホラいた。ハンナは失礼の無い程度にさり気なく店内を周り、客の
顔を一人一人、確かめた。
エリシアの話では、ステージに近い席に座っていたらしい。果たして、目的の人物を見つけた。身なりこそ質素な服に変えているが、間違いない、マティアスだった。
控え室で待っていたエリシアは、ハンナが入ってくると不安そうに詰め寄った。ハンナはマティアスだったと告げると、力無く座り込んでしまった。ハンナは慰めようと肩を叩いた。
「お嬢さま、マスターに話を聞いてきました」
「マスターに?」
「マスターならお客さんの事、よく知ってらっしゃるでしょう?それで、マティアス様の事を聞いてみたいんです。月に二、三回程飲みに来ているらしく、あまり自分のことは話さないそうですが、毛皮を扱う行商だと言っていたそうです。供回りも連れてないようですし、恐らくお忍びでしょうね」
「…そう、そんなことをなさってたのね」
「お嬢さまの正体に気づかれた様子は無さそうですが、今日はもう帰りましょうか」
「私のこと、調べられたりしないかしら?」
「それは…まだ何とも。その気になったら向こうはどうとでも出られますからね。向こう次第としか」
ハンナが言うことは最もだった。取り乱してしまったと自覚して、エリシアは落ち着こうと息を大きく吐いた。
「ごめんなさい。驚いてしまって」
ハンナは首を横に振った。
「領主が自ら治める街を視察するのは、よくあります。酒場となれば数も限られてくるでしょう。今日は偶々、運が悪かったんですよ」
「…そうね。そう思うことにします」
と思っていたら翌日もマティアスは来ていた。昨日と同じ席。エリシアは生きた心地がしなかった。
ハンナも気づいたらしい。袖から心配そうに見ている。でも疎かには出来ない。エリシアはカサンドラとしてステージに立った。
何とか終えて早々に引き上げようと帰り支度をしていたら、コンコンと戸を叩く音が。戸を開けるとオリビアが立っていた。
「今日もいいステージだったよ」
「ありがとうございます」
「マスターがね、着替えてからでいいから話があるってさ。呼んでいい?」
「私から行きます」
「なんか秘密の話らしいよ」
エリシアとハンナは嫌な予感がした。
マスターは断ったんだが、と前置きして、小さな箱を渡してきた。エリシアが蓋を開けると中には真っ赤な宝石が。それはルビーの指環だった。
「受け取れません」
「俺もそう言ったんだがな。無理矢理押し付けられた。返そうと思った時には姿が無くって、すばしっこい奴だ」
「どのような方でした?」
「それがな、ハンナが前聞いてきただろ?毛皮の商人。そいつからだったんだよ」
エリシアの手が震える。するりと箱が落ちていった。床に転がっていくのを、マスターが拾った。
「おっと、そんな驚くことないだろ。もしかして知り合いかい?」
「まさか」
「ソイツの名前、レオンだってよ。俺が持っててもしゃあないし、煮るなり焼くなり好きにしな」
エリシアの手のひらに箱を乗せてマスターは出ていった。扉が閉まってから、直ぐにハンナに箱の宝石を見せた。
「どうしましょう…こんなもの」
「そのレオンという人…マティアス様…ですよね?本当に」
「私もハンナもそう思ったじゃない。顔もそっくりだったし」
「何だか別人のように思えてしまって。だってマティアス様、全然女っ気ないじゃないですか」
「それは三年後に別の婚約者と結婚するからでしょう?」
「いやいや、結婚しなくても愛妾は作れますよ。出入りしている女もいないみたいですし、だから何だか、急にこんな宝石を寄越してくるお方とは思えないんですよ」
「他人の空似ってこと?それこそまさかよ」
あ、でも、とハンナは人差し指を顎に当てた。
「だからお忍びで発散してるのかもしれませんよ。屋敷の者たちには隠しておきたいのかも」
「ハンナ…貴女そういえばゴシップ好きだったわね」
「違いますよ!全然違います!だって、不思議じゃないですか。こんな偶然、有り得ないですよ。もっと事態を重く見ています」
「マティアス様が私たちの事を知っててわざとそう振る舞ってるってこと?」
「そうやって罠に嵌めたいのかもしれませんよ」
エリシアは懐疑的だった。そんな遠回りな事、わざわざするだろうか。箱を閉じる。掘っ立て小屋に持ち帰る訳にはいかない。棚の済に置いておいた。
翌日、エリシアは思い切って屋敷を訪れてみた。取り次ぎを頼んだが、待てど暮らせどお呼びがかからない。仕方なくそのまま帰った。
庭を散策していると、マティアスが供回りと馬に乗って駆けていた。遠乗りにでも行くのだろうか。エリシアに気づいたのか、マティアスが近づいて来て馬上から話しかけた。
「屋敷に来ていたな。何か用か」
いつもの冷たい瞳。腰の剣が光に反射した。エリシアは体がすくんで喉が締め付けられる思いがしたが、何とか絞り出した。
「この間の…王都では、どうだったのか気になりまして…」
「生きてるだろ」
「どういう…」
「それが答えだ」
マティアスは待たなかった。そのまま手綱を引いて走り去っていった。エリシアの心臓は早鐘を打っていた。胸を押さえる。
ハンナの考えすぎだと思った。わざと罠にはめるなんて。そんなことしなくても、アンナを殺すのに躊躇わなかったように、きっと自分を殺すときも一瞬だ。今はまだ死なれたら困るから生かしているだけ。三年後はどうなるか分からない。体が震える。ハンナに抱きしめてほしいと思った。
124
あなたにおすすめの小説
愛されなかった公爵令嬢のやり直し
ましゅぺちーの
恋愛
オルレリアン王国の公爵令嬢セシリアは、誰からも愛されていなかった。
母は幼い頃に亡くなり、父である公爵には無視され、王宮の使用人達には憐れみの眼差しを向けられる。
婚約者であった王太子と結婚するが夫となった王太子には冷遇されていた。
そんなある日、セシリアは王太子が寵愛する愛妾を害したと疑われてしまう。
どうせ処刑されるならと、セシリアは王宮のバルコニーから身を投げる。
死ぬ寸前のセシリアは思う。
「一度でいいから誰かに愛されたかった。」と。
目が覚めた時、セシリアは12歳の頃に時間が巻き戻っていた。
セシリアは決意する。
「自分の幸せは自分でつかみ取る!」
幸せになるために奔走するセシリア。
だがそれと同時に父である公爵の、婚約者である王太子の、王太子の愛妾であった男爵令嬢の、驚くべき真実が次々と明らかになっていく。
小説家になろう様にも投稿しています。
タイトル変更しました!大幅改稿のため、一部非公開にしております。
王妃を蔑ろにし、愛妾を寵愛していた王が冷遇していた王妃と入れ替わるお話。
ましゅぺちーの
恋愛
王妃を蔑ろにして、愛妾を寵愛していた王がある日突然その王妃と入れ替わってしまう。
王と王妃は体が元に戻るまで周囲に気づかれないようにそのまま過ごすことを決める。
しかし王は王妃の体に入ったことで今まで見えてこなかった愛妾の醜い部分が見え始めて・・・!?
全18話。
訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果
柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。
彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。
しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。
「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」
逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。
あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。
しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。
気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……?
虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。
※小説家になろうに重複投稿しています。
婚約破棄された公爵令嬢ですが、どうやら周りの人たちは私の味方のようです。
ましゅぺちーの
恋愛
公爵令嬢のリリーシャは王太子から婚約破棄された。
隣には男爵令嬢を侍らせている。
側近の実兄と宰相子息と騎士団長子息も王太子と男爵令嬢の味方のようだ。
落ち込むリリーシャ。
だが実はリリーシャは本人が知らないだけでその5人以外からは慕われていたのだ。
リリーシャの知らないところで王太子たちはざまぁされていく―
ざまぁがメインの話です。
はじめまして、旦那様。離婚はいつになさいます?
あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
「はじめてお目にかかります。……旦那様」
「……あぁ、君がアグリア、か」
「それで……、離縁はいつになさいます?」
領地の未来を守るため、同じく子爵家の次男で軍人のシオンと期間限定の契約婚をした貧乏貴族令嬢アグリア。
両家の顔合わせなし、婚礼なし、一切の付き合いもなし。それどころかシオン本人とすら一度も顔を合わせることなく結婚したアグリアだったが、長らく戦地へと行っていたシオンと初対面することになった。
帰ってきたその日、アグリアは約束通り離縁を申し出たのだが――。
形だけの結婚をしたはずのふたりは、愛で結ばれた本物の夫婦になれるのか。
★HOTランキング最高2位をいただきました! ありがとうございます!
※書き上げ済みなので完結保証。他サイトでも掲載中です。
幼馴染みの婚約者が「学生時代は愛する恋人と過ごさせてくれ」と言ってきたので、秒で婚約解消を宣言した令嬢の前世が、社畜のおっさんだった件。
灯乃
ファンタジー
子爵家の総領娘である令嬢の前に、巨乳美少女と腕を組んだ婚約者がやってきた。
曰く、「学生時代くらいは、心から愛する恋人と自由に過ごしたい。それくらい、黙って許容しろ」と。
婚約者を甘やかし過ぎていたことに気付いた彼女は、その場で婚約解消を宣言する。
前半はたぶん普通の令嬢もの、後半はおっさんコメディーです。
皆様ありがとう!今日で王妃、やめます!〜十三歳で王妃に、十八歳でこのたび離縁いたしました〜
百門一新
恋愛
セレスティーヌは、たった十三歳という年齢でアルフレッド・デュガウスと結婚し、国王と王妃になった。彼が王になる多には必要な結婚だった――それから五年、ようやく吉報がきた。
「君には苦労をかけた。王妃にする相手が決まった」
ということは……もうつらい仕事はしなくていいのねっ? 夫婦だと偽装する日々からも解放されるのね!?
ありがとうアルフレッド様! さすが私のことよく分かってるわ! セレスティーヌは離縁を大喜びで受け入れてバカンスに出かけたのだが、夫、いや元夫の様子が少しおかしいようで……?
サクッと読める読み切りの短編となっていります!お楽しみいただけましたら嬉しく思います!
※他サイト様にも掲載
夫が愛人を離れに囲っているようなので、私も念願の猫様をお迎えいたします
葉柚
恋愛
ユフィリア・マーマレード伯爵令嬢は、婚約者であるルードヴィッヒ・コンフィチュール辺境伯と無事に結婚式を挙げ、コンフィチュール伯爵夫人となったはずであった。
しかし、ユフィリアの夫となったルードヴィッヒはユフィリアと結婚する前から離れの屋敷に愛人を住まわせていたことが使用人たちの口から知らされた。
ルードヴィッヒはユフィリアには目もくれず、離れの屋敷で毎日過ごすばかり。結婚したというのにユフィリアはルードヴィッヒと簡単な挨拶は交わしてもちゃんとした言葉を交わすことはなかった。
ユフィリアは決意するのであった。
ルードヴィッヒが愛人を離れに囲うなら、自分は前々からお迎えしたかった猫様を自室に迎えて愛でると。
だが、ユフィリアの決意をルードヴィッヒに伝えると思いもよらぬ事態に……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる