【完】夫から冷遇される伯爵夫人でしたが、身分を隠して踊り子として夜働いていたら、その夫に見初められました。

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真実

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 ハンナは一命を取り留めた。マティアスが引き連れていた数名が、ハンナに適切な処置を施した。誰もが背が低く、男ですらエリシアと変わらない高さだった。彼らはロマ族と名乗った。定住せず、森の中で暮らしているという。ロマの人たちはハンナを森の中へ運び、小さな小屋の中、ベットで眠らせた。
 エリシアは、ハンナの傍から片時も離れなかった。ずっと手を握って、呼吸を確かめた。

 ふいに、肩を叩かれる。マティアスだった。
「もう休め。付き人は俺が看ておく」
 エリシアは無視してハンナに向き直った。
「カサンドラ」
「…私のこと、もう分かってるんでしょ」
「すまなかった」
 エリシアは再びマティアスを見た。いつもの冷たい顔。だが、どこか憂いを帯びたような、そんな顔をしているようにも見えた。
 そんなことどうでもよかった。エリシアはカッとなってマティアスの頬を叩いた。今更酷い言葉をかけるものだと思った。
「何の謝罪ですか。私、結婚、望まれていないの分かってました。自分に負い目がありました。だから仕方ないとも思ってました。でも、ハンナをこんな目に遭わせておいて。何の謝罪なんですか」
「襲撃した輩は俺が指示したものではない。今調べさせている。下手人は見つける」
「アンナを殺したくせに」
「彼女は貴女を殺そうとしていた」
「嘘言わないで!」
「貴女の父親の命令を守ろうとしていた。食事に毒を混ぜ、弱らせた。支給された薪を捨てていた」
「信じません」
「貴女が父からと持ってきた手紙、あれには三年後の貴女の腹違いの妹との婚儀の約束があった。それで貴女がそれまでに殺されるのだと知った」
 マティアスは言葉を切って続けた。
「…貴女を助けたかった。信じられないだろうが、本心だ」
 到底信じられなかった。反抗しようとして、ふと、彼の腹の辺りが血で滲んでいるのが見えた。エリシアの視線に気づいたマティアスが手で隠す。あの男たちにマティアスは一人で相手していた。無傷でいられるわけがない。
「お怪我を…?」
「かすり傷だ。治療は完了している」
 見れば、マティアスの額には汗が。エリシアはこの男を恨む気持ちが少し萎えて、でも全てを信じる気にもなれなくて、色んな感情がないまぜになって落ち着かなかった。

 ハンナの意識は戻らなかった。喉を負傷しているから何も食べさせられない。エリシアはせめてと濡らした布で唇を湿らせた。
 ロマ人の女性が食事を持ってくる。昨日からずっと緊張が続いていて、食べる気になれなかった。
 昼過ぎになって、マティアスが部屋に入ってきた。
「屋敷で治療する。馬車を連れてきた。一緒に乗りなさい」
「……………」
「誰を優先するべきか分かってるだろう」
 ハンナの顔を眺める。血の気のない、青い顔。小さな頃から一緒にいた。死んでほしくなかった。エリシアは涙を堪えて立ち上がった。

 馬車の中、ハンナを寝かせて対面に座る。何かあればすぐ呼べるように、エリシアはずっとハンナを見守っていた。
 途中、見知った街中を通る。昨日通った酒場、その前をニールが歩いていた。エリシアは窓から離れた。

 屋敷に入る。ハンナは直ぐに運ばれ医師の治療を受けた。エリシアは部屋の隅で様子を見守る。召使いが椅子を用意してくれた。座ってじっと待った。
 
 一人の召使いがエリシアに近づいた。恭しく礼をすると、自らをソルと名乗った。本日付けで、エリシアの侍女になったという。
「入浴の支度が整っております」
「…いらないわ」
「旦那様より申し付けられております」
「…ハンナが心配なんです」
「奥様、この屋敷の者たちから受けた仕打ち、どうかお許しください」
 ソルが深く屈み頭を垂れた。エリシアは咄嗟に立ち上がって顔を上げさせた。エリシアは直ぐにまた座った。
「…何が何だか分からないの。だからどうすればいいか分からないの」
「私は、お亡くなりになったマティアス様のお母様の侍女をしておりました」
「それがなんなの」
「そのお方は、踊り子でございました」
 エリシアは顔を上げた。侍女はあくまで使用人らしく、無表情に話し始めた。

 先代には元々跡継ぎがいたという。その跡継ぎを次々と病で亡くすと、残ったのは、当時、愛人として囲っていた踊り子との間に産まれた子供ただ一人となった。正式な妻でない者との子供は伯爵家を継げない。だから、その子供は、死んだ跡継ぎと入れ替わった。それがマティアスだった。
「旦那様は、同じ境遇の奥様を哀れに思い、密かに国外へ脱出させようとなさいました。それで表向きは屋敷を追い出し、いつでも抜け出せるように配慮なさいました。奥様が無事逃亡出来るように、ロマ族を護衛に国境を超えさせるつもりでしたが…」
 ソルは少し口元を緩ませた。エリシアは怪訝に見返した。
「…まさか、あのように酒場でお働きになるとは思わず、旦那様も相当苦心されたようでございました」
「全部知ってたのね」
「はい。旦那様が店で宝石をお与えになったのは、逃亡資金に当てさせるため。全て返されてしまいましたが」
「どうして言ってくれなかったの。一言でも言ってくれたら」
「昔の失敗を繰り返したくなかったのでしょう…」
 ソルは深くは話さずに、最後にこう言った。
「旦那様は、下々の者にまで配慮なさる、お優しいお方です。ハンナを治療している医者のこの領地一の名医です。きっと回復なさります。今は…奥様、どうか、このままでは貴女様が倒れてしまいます。どうか、お休みになってください」


 入浴など、久しぶりだった。いつもは簡単に身体を拭くだけだったから。温かい湯に浸かっていると、心も凪いでくる。エリシアは湯船の中で目を閉じた。

 ソルが湯の中に沈み込むエリシアを見つけて慌てて引き上げる。湯から引き上げても全く起きる気配が無い。静かに寝息を立てている。緊張の日々だったのだろう。伯爵夫人などとんでもない。奥様と呼ぶのもはばかられるほどに、まだ少女なのだ。
 使用人の助けを借りて衣服を整え寝台に寝かせる。ソルは傍らに待機した。

 コンコンと扉を叩く音。ソルは扉をそっと開けた。
「旦那様」
「容態は」
「ハンナは落ち着いてます」
「違う」
「奥様はよく眠っておられます」
 ソルは中へ入るように扉を大きく開けたが、マティアスはそこから動かなかった。
「旦那様、様子をご覧になってください」
「入れるわけ無いだろう。未婚の女性だ」
「お顔を見れば、旦那様もホッとなさるでしょう」
「別に」
「レオン様」
「やめろ」
 ソルは苦笑した。
「…不思議なものですね。似ているわけでもないのに、どこかイズベル様を思わせるような、そんな雰囲気を持っておられる…」
 マティアスは黙った。そのまま部屋を離れた。


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