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森が泣いている
しおりを挟むブレアウッドの森には、今日も精霊の涙が降る。
その雨足は途切れることなく、いつしか雨音にも慣れてしまった。
一ヶ月前まであれほど元気に飛び回っていた精霊達は、あの日から俺の前には姿を見せない。けれど、屋敷中からは精霊のすすり泣く声が響いてくる。
屋敷の中だけではない。
森の全てが泣いている。
ネネリアがいない未来に絶望している。
(ごめんな、お前達。俺のせいで……)
俺は毎日、悔やんでいる。
もっと、想いを言葉で伝えておけば。
さっさとプロポーズしておけば。
彼女を早くここに住まわせていたなら、こんなことにはならなかったのに。
ネネリアは、誰にも行き先を告げずに出ていった。シュシュにも、この俺にさえも。彼女の部屋に残されていたのは、これまでの感謝が綴られた手紙のみ。
【ルディエル様、どうかお幸せに】
彼女の自覚のなさを、もっと深く気にしておくべきだった。俺にはネネリア以外いるはずもないのに、勘違いされたまま終わってしまった。
恨みごとなど一切無い彼女の手紙。最後に綴られた彼女の美しい筆跡が、俺の幸せを望んでいてくれたけれど――
ネネリアのいない世界で俺が幸せになれるわけが無い。手紙を見た瞬間に俺の視界はぐにゃりと歪み、明るかった未来はガタガタと崩れ落ちた。
俺はネネリアを必死で探した。シュシュも、森の精霊たちも血眼になって探した。例の新聞記者を脅して、毎日のように記事を書かせた。街も懸賞金まで用意して、ネネリアの捜索にあたっている。
けれど――誰がどんなに探しても、ネネリアは見つからない。
ソルシェ家の女達のことは、口もきけないほど懲らしめておいたよ。精霊の姿を見せた途端、俺に許しを乞いにきたけれど……もちろん許すつもりなど一欠片もなかったから安心して。もう、ネネリアを苦しめる奴は誰もいない。だから気兼ねなく帰っておいで。
彼女にそう伝えたいのに、肝心の居場所が分からないのではどうしようもない。なぜ、彼女は誰にも告げずにブレアウッドを出ていってしまったのか。
もしかして――ソルシェ家だけではなく、本当は俺のことも嫌だったのだろうか。
そうだ……きっと嫌だったのだ。俺の気持ちに勘付いて、未来を憂いて去ったのだ。
俺みたいな男なんて、ネネリアに見限られて当然だ。彼女は誰のものでもないはずのに、俺にはどうしてもそう思えなかった。
ネネリアは、精霊が選んだたった一人の番だ。
俺だけの運命の人だ。
その気持ちばかりが強く育って、彼女と共にある未来を疑いもなく信じていた。ネネリアの意志など、まるで無視したままで。
屋敷を整える前に、プレゼントを贈る前に、俺にはまずやるべきことがあったのに。
ネネリアに「愛している」と、ひとこと言えたら良かったのに。
ひとつひとつ手を加えていったこの屋敷で、彼女と暮らす日を心待ちにしていたけれど……彼女がいない限り、その日はもう永遠にやって来ることはない。
(いや……愛していると伝えたところで、彼女は戸惑うだけだろう。俺のことなんてただの幼なじみ程度にしか思っていなかったのだから)
それでも、ネネリアの捜索を止めることは出来なかった。彼女の優しさにつけこんで、いつか戻ってきてくれるはずだと浅ましい期待をして。
雨が降りしきる中、屋敷の扉をノックする音がする。
諦めることなく、何度も何度も――しつこく屋敷の扉が叩かれる。
どうせ、今日も街の役人達が婚約者候補を連れてきたのだろう。
この長雨をどうにかして止めようと、彼らは俺の説得を試みているようだ。新しい婚約者として、街で魅力的だと言われる女を何人も連れてくるけれど……薦められた彼女達の顔を、俺はもう覚えていない。
彼らは何も分かっていないのだ。仮に俺を説得しても意味は無い。精霊達はネネリアを失い泣いている。彼女でなければ、なんの意味もありはしないのに。
しかし、コツコツと扉を叩く音は鳴り止まない。
今日は一際しつこく諦めが悪い。仕方なく立ち上がったその時――ノックの音は二階の窓へと移動した。
「……なんだ?」
窓をコツコツと叩く音は、次第に大きくなっていく。
これは人間の仕業ではない。
音のする窓を振り向くと――そこでは風の精霊が窓を叩き続けていた。
以前から、時々この森に立ち寄る精霊だ。こいつには、『おまえもはやくしろ』と結婚を急かされたこともある。
この雨の中、なぜか俺に用があるらしい。少しだけ窓を開けてやると、彼はその隙間からするりと室内へ滑りこんだ。
「お前……いつもの精霊か? どうした?」
――でんごんがあるぞ
「伝言……?」
――ネネリア、見つけた。こっちにくるぞ
「え!?」
――もどってくる。もどってくるぞ
耳を疑った。
あんなに探しても見つからなかったネネリアの居場所を、なぜこいつが知っているのだ。
信用出来ない。疑わしい。
でも……なぜか胸が騒いだ。
わずかな可能性にも期待してしまう。胸に希望がわいてくる。
「……ほ、本当か?」
――もどってくるぞ。かえってくるぞ。
「それは本当に……ネネリアなのか?」
――ネネリアが、ブレアウッドにかえってくるぞ。
「っ! 案内してくれ!!」
俺は風の精霊を連れ、真っ暗な屋敷を飛び出した。
降り続けていた雨はいつの間にか止んで、空には虹がかかっていた。
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