恋の呪文

犬飼ハルノ

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本編

秋空と

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「わー、すげーっ!!ここすげーっ!!ラブホでもないのに風呂がでかい~っ!!」
 朝に強いからなのか、酒が抜けていないからなのか、ハイテンションな池山が素っ裸で登場した。
「なんだよ、こんないい風呂独り占めにすんなよ、みずくさい。入るぞ~っ!」
 そのまま飛びこまんばかりの勢いで湯船に突進しようとした池山を両手で押しとどめて長谷川は叫んだ。
「待て。入るな!ちょっと待て!!」
 池山は不服そうに足を止める。
「は?なんで?」
 湯船の淵に手をついて長谷川は大きくため息をついた。
「・・・まずは腰を洗って入れと、お母さんに習わなかったか?」
 不服そうに唇を尖らせたのを見るなり、長谷川は立ち上がった。

「それで?」
 ややそっぽを向いた池山を横目に立石が先を促す。
「仕方ないから洗ってやったさ。シャワーブースでくるくると」
「洗ったって…」
「頭のてっぺんからつま先まで、めっちゃくちゃ乱暴に洗われたさ。ありえねえって、全く…」
「あり得ないのはお前だろ!!」
 図らずも長谷川と立石が同時に叫ぶ。
「…全身洗ったんですか、この人を…」
 一歩前に進む江口に片手をかざして、何度目かのため息をついた。
「案ずるな。色っぽさも何もない。最後にはもう、なんだか、拾ってきた猫か犬を洗っているような気分だったとも…」
「あー。なるほど」
 二人は宙を見ながらうなずく。
「なんだよ、なんだよ、犬か猫って」
 不平不満を黙殺して長谷川は続ける。
「しかも、湯船に入ったら入ったで子供のように大はしゃぎで…」
「だって、オーシャンビューガラス張りの窓に丸いジャグジー風呂って、なかなかないじゃん!!」
 セレブに憧れる小娘のようなセリフを吐く池山。
 そんなに喜ぶなら是非とも連れて行きたいと陰で小さくコブシを握る江口。
 結局、やはり一緒に入ったんだと別の意味でコブシを握る立石。
 三人三様の反応に、男って、やっぱり馬鹿だなと嘆きつつ物語を続けた。
「・・・もはや男と言うよりも、息子と入っているって感じしかしなかったよ」
 安堵のため息をつく三人にとどめをさす。
「そもそも一度も勃たなかったしな」
 今度こそ噴火した。
「うわ、なに昼間っから言ってるんだよ、生!!」
 茹でダコ状態の半泣きで慌てる池山の腹にコブシを沈める。
「・・ぐは」
「うるさい。こんなあほうにわざわざ時間を割いた私をどうしてくれる」
 女のプライドを思いっきり踏みにじられたにしては、まだまだ軽い処分だと長谷川は思った。
 そして、今度はくるりと江口の方へ振り返り足を進めて問う。
「で、これからどうするつもりだ?こいつはいつもこんなだぞ?戻るなら今だと思うが」
「・・・大丈夫です。もともと、一筋縄じゃいかない人だと思ってますから」
「まあなあ・・・」
 僅かに首を傾けて顔を先を促す。
「そこがまた面白いんですよ、いつもはらはらさせられて。それに俺達、これからだから。・・・これから、何があるか、すごく楽しみですね」
 ゆっくり考えながらの惚気いっぱいの答えに、長谷川は満足気な笑みを浮べた。
「なるほど」
 すっと腕をのばして江口の首に絡め、その唇に自らのそれをやんわりと押しあてる。
「・・・噂に違わぬいい男だな。池山なんかやめて、私にしないか?もっと楽しくなることを請け合うぞ」
「生!」
 池山と立石が同時に叫ぶ。
 腕を絡めたまま顔を寄せていたずらっぽく笑いかけるその表情と、低く暖かな声は、江口の知っている女の誰よりも妖艶で、何だかんだいいように振り回される二人の男の心情が充分理解できた。
「・・・池山さんに飽きられて捨てられたら、慰めてくれますか?」
 片目を瞑ってみせる江口に、
「そりゃあ、もう、大歓迎だな。ちなみに、それはいつ頃になるのかな?」
 と、長谷川は唇の端を釣り上げる。
「いつ頃だと思います?」
「そうだな・・・」
「ちょーっと待ったぁっ!俺を差し置いて、勝手に話をすすめるんじゃねーよっ」
 池山が二人の間に割って入って引き剥がし、江口の腕を抱えこむ。
「あいにくと、これから、ずーっと、江口は俺のもんだよ。他をあたるんだなっ」
 いーっと歯を剥いてみせ、ますますコドモ返りしている。
「・・・だそうです」
「おや。そりゃまた残念」
 長谷川は意地の悪い笑みを浮べて、肩をすくめた。
「ところで、三時に会議があるから出てきたんじゃなかったのか?今はもう二時をかなり過ぎてるぞ」
 長谷川が公園の中の時計台を顎でしゃくると、池山はぴくりと肩を波打たせる。
「やばっ。まじで袋叩きだっ。行くぞ、江口っ!じゃあなっ、立石、長谷川」
「おう。達者でな」
 もつれ合いながらも駆けだした二人を、長谷川は立石の傍らに立って見送った。


 軽やかに流れてきた風が木の葉を優しく騒めかせるポプラの木陰で、残された二人は顔を寄せて煙草の火を分け合う。
「お前もなかなか楽しい所で働いているんだな。一応これで、めでたしめでたしだが、ありゃあ、これからが大変だ。二人は当然、周りもな」
 木漏れ日に当たって切れ長の瞳がきら、と瞬いた。
「・・・そう思うか?」
 長谷川を見下ろす立石の口元に、ふわりと笑みが昇る。
「ああ。台風の目同士という感じかな。用心しないとあっという間に巻き込まれて、大嵐になりそうな気がする」
 長谷川は楽しげに煙草の煙を空に向かって吐き出した。
「どうする?立石。逃げ出すなら、今のうちだぞ」
「・・・お前に比べりゃ、あいつらなんざ、まだまだ微風みたいなもんだよ」
 ゆっくりと肩を寄せて囁く。
「…好きだよ」
「知るか、そんなもん」
 憎らしい言葉しか紡がない女のつれない唇に、立石は静かに唇を落とした。



 公園中の木々にとまる蝉たちが思い思いに大音声を上げる中、池山と江口は会社へ続く道を猛スピードで突き進んでいく。
「あああ。絶対岡本、怒ってるぞ。いいか、江口。こんなに遅刻したのは、お前が寝坊したせいだからなっ」
 時計をちらちら見ながら池山が叫んだ。
「あ、ひどいな。俺ひとりのせいにするんですか?」
 脇に二人分のカバンを抱えた江口は唇を尖らせる。
「俺は、ちゃんと電話が鳴ったら起きただろうがっ」
「・・・行きたくないってぐずってベッドからなかなか降りなかったのは、池山さんじゃないですか」
「だって、それは・・・」
 言いかけて、池山は道の段差に足をとられて前へつんのめる。
「おっ!」
「あっ!」
 すかさず横から伸びた江口の腕のおかげで、地面との激突は免れた。
「・・・ふう」
 二人は同時に息をつく。
「・・・サンキュ」
「いいえ」
 目と目が合った途端、どちらからともなく笑みがこぼれだした。
「・・・池山さん、他人の想い人なんかにもう、のこのこついていかないで下さいよ」
 耳元にそんな言葉を落とすと、江口はゆっくりと足を進める。
「お前こそ、のほほんと空なんかに騙されてんじゃねーよ」
 ばん、と広い背中を思いっきり叩いて、池山は走りだした。


 青くきらきらと輝く空に白い飛行機雲がすっと線を引きながらゆっくりゆっくり昇っていく。
 芝生に座り込んだ小犬が、せわしなく飛び交うとんぼをじっと見上げ、きゃん、と一声鳴いた。
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