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第五章 群雄
第百三十七話 稲葉山城の落城
しおりを挟む賢島でセルロースナノファイバーの実用実験の続きを雑賀から来ている鍛冶職人たちと始めたのは永禄9年も半分を過ぎ夏を迎えてのことだった。
ここは堺との交易の中継地点だが、最近整備した熱田からは距離もあり、熱田の件はすっかり張さんに任せきりだ。
そう、ここに来るときには一緒に来たが、いつまでもここにいていい人じゃなく、2~3日ここに居た後、幸を連れて三蔵村に戻っていった。
戻る時に幸と一緒に「ここからどこかに出かけるときには、出かける前に必ず連絡を下さい。」としつこいくらいに念を押された。
全く信用がない。
そういえばいつも唐突にあちこちで問題が上がり、取るものも取り敢えず身一つで出かけていたことを改めて思い出した。
帰ってくるたびに、心配したと延々とお小言を貰うのは俺の定番となっていた。
なので最近は誰かしらいつも一緒にいたのだが、俺のライフワークである研究までは、その場に居ても全くやることもなくなるし、また、張さんだけじゃなく葵にまで重要な仕事があるので、いつまでも俺に付いている訳にはいかない
そのためか、俺を一人にはしたくなかったようだが、ここでの研究だけならという条件で、そういう監視の目が今はない。
俺も今までが異常に忙しかったが、やっと好きな研究をできる時間が取れたこともあり、今の状況を楽しんでいた。
状況を楽しんではいるが、必ずしも研究がうまくいっているわけじゃない。
「お頭、こいつもだめですぜ。
歪んでやがる。」
「空さん、うまくいきませんね。
ここに来て色々と試しておりますが、なかなか板状の物ができませんね。
乾くと必ず歪んでしまいます。
このまま使うわけにはいきませんかね。」
「歪んだ板じゃ使いにくいだろう。
加工しようも、固くて切ることすら大変なのにどう使うと言うんだ。
乾くまでほおって置くからいけないんだよ。
ある程度乾いたら、枠から外して何度もひっくり返しながら乾かそう。
それがダメなら重しでもおいて、ゆっくりやるしかないかな。」
「は~~、手間がかかりますね。
そんなんで実際に使い物になるんですかね。」
「こいつの硬さは実験済だろ。
こいつなら絶対に優れた甲冑が作れるんだよ。
愚痴っていないで、続きをやろうか。」
「空さん、どうもそうはいかないようですぜ。」 と鍛冶職人改工夫方の技術者の頭が近づいてくる家老の藤林を見つけて声をかけてきた。
「あら、本当だね。
藤林さん、なにか急いでいるようだしね。
俺は抜けるしかないかな。
悪いけど続きを頼むね。」
「へい、わかりやした。」
俺は頭に作業の続きを頼んで、急いで近づいて来る藤林の方に向かって歩きだした。
「殿、至急報告したいことがあります。」
いきなりですか、藤林さんが自身で報告って何、なんなの、緊急事態だよね。
俺は出来れば聞きたくはないのだけれど、やっぱ聞かなかればいけないよね。
俺は諦観を持って藤林の話を聞くために屋敷に戻った。
だって外でしていい話じゃないよね。
外でして良いくらいの軽い話だったら藤林さんがわざわざ訪ねてくるはずがないからね。
屋敷のそれも奥まった密談をするにふさわしい一室に入り、話を聞いた。
「織田勢が稲葉山城を落としました。」
いきなり本題ですか。
しかし、なんだって。
信長さんが史実通りに稲葉山を無事落としたって????
あれ、もう史実からずれていたよね。
墨俣城はないし、その代わりに岐阜羽島駅じゃなくて羽島に城を、それも柴田勝家と丹羽秀長のふたりがかりで作ったのを前に聞いたけれど、それにしても、俺の記憶が正しければ墨俣城は今年のはずだが、稲葉山城が落ちるのは来年の永禄10年のはずだった。
歴史が少し前倒しで進んでいるような。
「それじゃ、信長さんはほとんど美濃を抑えたことになるのかな。」
「いえ、落としたのが稲葉山城だけで、今回勢力を伸ばしたのはせいぜい羽島から稲葉山までの中央付近だけですね。
西美濃のあたりは、まとまりがないのですぐにでも抑えられそうですが、東美濃は状況が複雑になってきております。」
「どういうことなの。
斎藤龍興さんだったっけ、彼が東にでも逃げたの。」
俺の質問に対して、藤林が現在の美濃の状況を詳しく教えてくれた。
斎藤道三が守護の土岐氏から美濃を簒奪して、その美濃を息子の義龍にさらに簒奪されたために、各地にいる豪族たちの動揺が止まらない。
義龍がその後の美濃を掌握していれば状況は変わったかもしれないが、完全に美濃を掌握する前に世を去ったために幼い息子の龍興が家督を継いだ。
これがいけなかったようだ。
実力ある家臣たちはほとんどが道三側の人間で義龍によって排除されたために龍興の周りには佞臣しかいない状況だった。
そこに信長が国譲り状を大義に攻め込んだものだから、美濃は大混乱になった。
そんなごたごたが続く美濃で賢い人間が東美濃で、土岐氏の末裔を担ぎ出して反斎藤、反信長を掲げまとまっていった。
なので龍興が東美濃には逃げられず、先の城攻めの際の混乱でどこかに落ち延びていったと聞いている。
元々美濃は東と西ではその気質の違いから仲が良くなく、まとめにくい土地柄だ。
道三だったからまとめられたものの、その力量が平均以下の者では城の周りを治めるだけで精一杯になることは自明の理だったそうだ。
信長にしても経済の中心に近い西美濃は是が非でも抑えにかかるだろうが、東はそれほどの魅力がない。
石高も大したことがない上、そのあたりの豪族は揃って頑固者が多く融通が利かないために配下に収めるのが大変だそうだ。
おまけにその先は木曽の地を挟んで信濃に続く、また、北に向かえば北陸の朝倉の領地にも繋がる国境問題を孕みやすい土地なのだから、藤林さんの判断では美味しいところだけ抑えて緩衝地帯として放置が一番理にかなっているとまで説明してくれた。
どちらにしても、信長はこのあたりで一旦兵を収めるというのがその見通しだ。
西にはすでに調略の手も入っているだろう。
となると、そろそろこの北伊勢の地が心配になってくるので、例の件を進めたいというのでここまで来たと言う。
「そうですか、織田勢に軍の余力が生まれるというのですね。
その余力で最悪、北が攻められるかもしれないと。
ただでさえ我々の持つ軍事力を警戒していましたから、先制攻撃をかけてこないとも限らない、その心配があるというのですね。」
「いえ、信長はそこまでは望んでいないでしょう。
しかし、我々の脅威は常に感じているはずです。
ですので、この機会に不可侵条約までは結びたいと考えております。
今なら変な条件を付けずに結べるはずだと半兵衛殿も言っておられましたから。」
「わかりました.
一旦大湊に戻りましょう。
そこで対応を協議しましょう。
向こうから何らかの報告があるかもしれませんし、そうなれば取引のある伊勢屋からお祝いを持って伺えば不自然でもないでしょう。
伊勢屋の訪問で一度地ならしをしましょう。
あまり派手に動いて六角氏あたりを刺激したくはありませんからね。」
藤林さんが使って来た船に乗って空は九鬼家の本拠を置く大湊に向かった。
大湊の城の建設は続いていたが、政務を執り行う御殿はすでに完成しており、その奥で家老たち重臣が集まって今後について協議をしていた。
稲葉山城が落ちたのが昨日のことだったそうで、いくら隣国のこととは言え情報が伝わるのが異常な早さだ。
優秀な忍び衆を早くから多数抱えることができた我々のアドバンテージだ。
「いずれ、信長から知らせが参ることでしょう。
その返礼を兼ねて使節を送り不可侵条約を結ぶしか選択肢はありませんな。」
「向こうから要求が来るまで待つという選択肢は。」
「それは悪手でしょう。
現状は我々の方がはるかに有利な状況です。
向こうからだとかなり譲歩しないと難しいと考えるのが普通です。
それができる人などそうはいません。
仮に信長ができる器だとしても感情的にしこりが残ります。
友好関係を結ばなくとも、こちらからあえて敵を作る必要なないでしょう。
こちらからの提案ならば何も条件なしに願い出ても、向こうはこちらの誠意を汲んでくれるでしょう。
信長にできなくとも、丹羽はそれができる御仁だ。
どちらにしても我々には悪くはありません。」
その後、交渉の進め方や送る使節についての細々した打ち合わせを行いその日はくれていった。
そろそろ夕餉の時間という頃になって部屋の周りが慌ただしくなってきた。
俺を探していた滝川さんがこちらに訪ねてきたというのだ。
稲葉山城を落としたという情報を持って。
その場にいた全員は、信長のあまりに早い対応に戦慄を覚え固まった。
「一体、どういう神経の人なんだ、信長は。」
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